8話 ビューティフル・スィング 美しきは罰せず
村山きつしの章
正直、退学になったり教師に怒られたりどうのこうのというのはもう、どうでもよかった。親になるんだ。住居もある。
住所を画像検索する限り、住宅街に佇む小さな一軒家という感じだった。それも奥まった場所にあり他の民家やマンションで囲まれて、外側からは完全に見えない。玄関までの道のりは広いが公道から住宅地の通路に入って右に曲がる必要があるため複雑であることには変わりはない。
門の前に止めてあった黒いセダンで住所まで移動した。
商業施設地帯を離れて閑静で色味のない住宅地を走る。
住所の向かい側の駐車場も世話されていた。車を停めて、赤ん坊と荷物を抱えてそそくさと玄関に向かう。玄関までのみちのりは広くて通りやすいがドアが奥まっているせいで結局、狭い通路を通る労力と変わらない。
グレーの金属の扉を開ける。玄関はそこまで広くないが廊下は長い。ドアの数も多い。
一番奥のドアがリビングに通じるものだろう。
泣き叫ぶ我が子を抱えながら、きつしはドアを開ける。右側にキッチン。正面に白いレースカーテンのかかった大きな窓。床には深緑のカーペットが敷かれており、左側の壁にはテレビがかかっている。座卓やソファも用意されている。家の中はそこまで寒くはないが、暖房はつけておく。
「中々いい感じの家じゃない」
「そ、そ、そ、そ、そうだね」
バッグを置いて、ソファに子供を寝かせる。
「ちょっと。ソファに寝かせたら寝返り打った時に落ちちゃうじゃん」
「え? そ、そ、そ、そうなの?」
「そうだよ」
鈴音が右手の人差し指を振り回した。きつしは急いで子供をカーペットの上に寝かせた。
「ず、ず、ずっとこうしておくわけにもいかないね」
「そうよ。バッグの中は何が入ってるの?」
きつしはダッフルバッグのファスナーを開けて、中をまさぐる。タオルが二、三枚、哺乳瓶、粉ミルク、おむつ、注射器ケースとオレンジ色の筒状のピルケース。中には錠剤が入っている。ラベルには「抗ヒスタミン」とある。
何に使うんだか。十中八九もうどうのおふざけだろう。
「ほ、ほ、哺乳瓶とかこ、こ、粉ミルクとかおむつとかはあるけど」
「毛布とかはないの?」
「な、ない。た、タオルが二、三枚ぐらい」
子供はまだ泣いている。しわくちゃの顔をもっとしわくちゃにして、両手を振り乱している。
「お、お、お、お腹でも空いてるのかな」
「ミルク作ろうよ」
「そうだね」
きつしはバッグから粉ミルクと哺乳瓶を引っ掴むと、キッチンテーブルに置く。キッチンの設備も整っている。ゴミ箱の上に空のペットボトルが何本かある。
冷凍庫を開けると、ドライアイスが座っていた。鍋にフライパンに炊飯器、ケトル。戸棚を開けてみる。箸やスプーンもきちんとある。シンクに水を流してみるとちゃんと出た。せっけんもタオルもある。手を洗っておく。
「み、み、水があればいいんだけどな」ミルクを作るにはきっと水が必要だろう。
冷蔵庫を開ける。右の収納から2Lのミネラルウォーターのペットボトルを取り出してケトルに注ぎ、スイッチを入れる。
鈴音が子供をあやしている。小さな手を握って微笑んでいる。
「な、な、名前、どうしようか」
「ほんとだね。名前がないと呼べないもんね」
「きつしジュニアとか?」
鈴音は自分のジョークで笑いを我慢をできなかったようだ。
「な、な、なんでだよ」
「でもよくない? よくあるじゃん。きつし二世みたいな感じで。だからきつしっていうのもいいかもよ」
「い、い、いやだよ」
「じゃあかつしは? ほら、漢字の『勝』に『士』かっこよくない?」
「いいね、そ、それ」
ちょうどお湯が沸いた。粉ミルクのパッケージの裏に書いてある作り方を見る。すりきり一杯分を哺乳瓶に入れてお湯を入れればいいらしい。
引き出しを開けてみるとはさみがあったので粉ミルクのパックの、はさみマークが描かれている部分をまっすぐ切る。チャックを開けてすりきり一杯を哺乳瓶に入れる。
「ちょっと待ってよ」
鈴音の声がする。手を止める。
「ど、ど、どうしたの」
「最初に哺乳瓶に入れるのはできあがりの量の三分の二よ」
「そ、そうなの?」
「家庭科で習ったじゃない。
「あ、あ、あぁ……そうなの?」
鈴音は呆れたように上を向くとすり足できつしの隣に来た。
「それより、この哺乳瓶消毒したの?」
「え? わ、わ、わかんない。バッグに入ってたのをそのまま使ってる」
「だめじゃないのよ。ちゃんと消毒しなきゃ」
「ど、ど、どうやって消毒するの」
「鍋で煮るの。水が沸騰してから三分から五分ね。それにプラスチック製は変形する恐れがあるから最初は水につ
けて鍋の底につかないようにするのよ」
「な、な、なるほどね。よく知ってるね」
「家庭科で習ったでしょ」




