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5話 リーン・オン・ミー おれがついてる

 その日は嫌な視線を浴びながら六限目まで終えた。家には帰らず学校の地下に作った拠点で、売るはずだった武器の処理と、同僚への説明をした。


 取引が失敗したことは思った以上の悪影響をもたらしていた。早くも喉通りの悪い人員が仕事から離れたいというようなことを言ってきただけでなく今になって別の組織から打診を受けているだの何だのと言い出してきた。

 

 もうどうは一晩中、グラスに一輪のオレンジが挟まったオレンジジュースを飲みながらよく分からない歌を歌っていた。時々パソコンのモニターを見ては目を細めていた。人員を整理して、誰が裏切っているかを定めていたようだった。 


 書類と電話の対応に時間を取られすぎたせいで睡眠時間が著しく短くなってしまった。


 きつしが地下の長机で目を覚ますともうどうはいなかった。また、どこかをぶらついているのかと思うと呆れながらも怒りはなかった。抜け殻になるのは当たり前だ、あんなことがあれば。机の上に散らばった書類に弾薬の匂い。こんなことがあった次の日はどこかでほうけたくもなる。車庫の隣のバスルームでシャワーを浴びて、身支度を整えるとシャツを取り替えて、教室へ向かった。


 嫌な視線はまだ消えていなかった。


 結局始業してももうどうは現れなかった。


 四時限目。授業は地学。担任が担当する科目だった。


 担任は自分たちを退学にしたい派閥の頭でもうどうが出席していないことに気付くと嫌味と皮肉の散弾できつしを攻撃した。

 

 取引が失敗したり、裏切り者がいることを告げられたり、頼み事をあっさり断られたりしたせいでさすがに軽く流せなくなっていた。何度目かのいびりで本気の舌打ちをしてしあうと教室の雰囲気は凍りついた。後で鈴音から聞いたところ、「普段穏やかな人が怒ると怖い」とのことだった。


 四限目を終えるチャイムが鳴ると、教師はそそくさと出ていった。


 昼休みになるとどのクラスも廊下も騒がしくなる。食堂が暖かいので何も買わない生徒も無駄に集まってきて、コンサート会場の様相を呈する。


 きつしにとってはそんなことはどうでもよく取引相手をドン以外皆殺しにしたこと以外、何も考えられなくなっていた。そして時間が経つとその意味がより重くのしかかってきた。


 今まで受注した仕事は全て完璧にこなしてきた。それで莫大な利益を上げ、宇宙一の評判を手に入れた。コバヤシもうどうの作る武器は宇宙一と業界の誰もが言った。


 仕事だけではない。もうどうはものだけ作っていればそれでいいだろう。しかし仕事の受注、書類の用意、クリーン口座の保持、金の洗濯など、事務的な全てをやっていたのはきつしだ。


 これからの残務処理や他の取引相手に出す声明を考えるのもきつしだ。その上に噂を流して仕事が失敗するように仕向けた奴がいる?  しかも身内に? 


 両肘を机について頭を抱えた。胸騒ぎ。胃の辺りに重いものが生まれる。これからの仕事はどうなる? 今まで必死に守ってきたネットワークや組織は。


 裏切りは今までもあった。若造に使われるなんて馬鹿らしいと思っている者は少なくない。裏切りは雨漏りと同じだ。直すには、床にばけつを置くだけではいけない。屋根に登って修繕し、他にも漏ってるところがないか探さなければならない。時には屋根ごと変える必要がある。


 周りがどんどん騒がしくなっていく。思考が中断されて嫌な気持ちだけが残る。


 普段きつしに昼休みはない。場所を問わず仕事の受注や同僚への連絡に明け暮れている。時々空いた時間があれば軽いものを食べる。ただのそれだけだ。昨日様々起きすぎて食欲もなかったから地下で書類でも見ながらさっきから携帯にかかってきている同僚からの電話を処理することにした。きつしが席を立つと、足が床をこする音が近づいてきた。


「大丈夫?」


 振り返ってみるとそこにいたのは愛くるしく破顔する鈴音だった。仕事は失敗する、相棒は急に消える、周りからは冷たい目で見られる。もうこのまま鈴音を抱きしめて死んでしまおうかときつしは本気で思った。明日が今日よりも良い日だとどうしても思えないのだ。


「ちょ、ちょっと、きびしいかな」


 バレバレの作り笑いを浮かべてそう返すのがやっとだった。


「小林はまたどっかいっちゃったわけ?」


 鈴音は手に弁当を持っている。きりんがプリントしてあるランチョマットに包まれた小さな弁当だ。


「そうだよ。も、も、もうどうってどうしていつもああなんだろうね。どんな大変な時でも自分のことしか考えてない」


「なんかあったの?」


「し、し、仕事のことは話さないよ」苦笑いしてみせる。「君を巻き込みたくないしね。大体想像で分かるでし

ょ。な、な、な、な、何をしてるかは」


 鈴音は笑顔は消さずにうつむいた。


「ねぇ、ほんとにだいじょうぶ? 死んじゃいそうなんですけど」


 鈴音の口調から冗談ではないことは分かった。


「だ、だ、だいじょうぶ。大丈夫だよ」


 喧騒が耳を離れていく。瞳に水が溜まっていくのがはっきりと分かった。


「それで、子供の件はどうなったの?」


 鈴音はスカートにしわがつかないようにきつしの隣に腰を下ろした。

 きつしは右手をピストルの形にして頭に向けた。鈴音は控えめに笑った。


「ですよね……」


 その時教室のドアが倒れた。悲鳴が飛び交う。


「おぉおう。きつしとくそ出っ歯。ちょうどよかった。ちょっと付き合えよ」


 空色のシャツにネイビーのm65ジャケットを着込んだもうどうの声が教室中に響き渡る。


「は?」

 

 きつしは放心のあまりそう漏らした。


「歯じゃねぇよ。俺は虫歯は一つもねぇ。そっちのくそ出っ歯にはあるかも分からんけど」


 教室の生徒の視線はもうどうに注がれるが全く気にする様子は見せずきつしと鈴音の腕を引っ張ると、教室から連れ出す。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ。どこに連れていくのさ」


「子供を作ったから見せてやるよ」


「え?」


 階段を降りて下駄箱を抜ける。くすのきとすれ違う。門の外にいつもはない黒いセダンが停まっている。


 食堂と運動部活動の更衣室の間の薄暗い通路に入る。廃部になったラグビー部の更衣室の鍵を開けるともうどうは壁の一部をスライドさせてキーパッドに「1216」と打ち込んだ。部屋全体が少し揺れて重低音と共に地下へ降りていく。 


「出っ歯はそこに座れ」


 天井に照明の列が吊るされているが点いているのは数個だけで、暗い。後ろから聞こえてくる水の流れる音が少々不気味だ。

 

 長机の上のモニターには更衣室付近のカメラ映像と地下の別の部屋の監視映像が表示されている。縦型のディスプレイには赤文字がずらりと羅列されている。

 

 ドアが開くともうどうはずんずんと歩いて、長机の前のパイプ椅子を指差した。きつしはもうどうの後をついていく。子供を作った、と言っていたが意味が分からない。


「ど、ど、ど、どういうことだよ」


 もうどうの返事はない。きつしは水溜りに上靴を突っ込んだ。いつもなら避けることができていたはずだ。顔をしかめながらも後ろの鈴音に微笑んで手招きすると鈴音は少しビクビクしながらエレベーターを降りた。ドアは重く閉まる。


「出っ歯じゃないし。毎度思うけどここはなんなの。学校の地下に水が流れてるなんて」鈴音はすねて言った。


「おぉおう。鏡見たことあるのか? なんならそこにあるぞ。見てみるか? あ?」


 もうどうはデスクの上の手鏡を投げた。手鏡は水たまりに溺れた。


「い、い、いいすぎだろ。それで、なんのようなの」きつしはキーボードをどかしてデスクの上に座った。


「お前らのガキを作ってやったんだよ」


 エレベーターの後方は柵を隔ててダムになっている。滝のように水が流れ、階段で下の通路へ行けるようになっている。もうどうの言葉は水の流れる音をミュートした。


「ほんとに」


 きつしは思わずデスクに両手をついた。


「さっきからそう言ってんじゃねえか。驚き方が怖いな。まあいい。ついてこい」


 もうどうは後へ回り階段を降りると渡り通路で反対側へ渡った。穴あきの金属通路のすぐ下は水が流れている。それ以上にめまいのするような高さだ。


「下を見ちゃだめだよ」

 

 きつしは鈴音にささやいた。

 もうどうが壁に作り付けられたドアを開けると白い光と冷たい煙が吹き出した。水溜りは一つもない。


「この部屋は、まあ人体実験スペースだよ。きつしはともかく出っ歯、お前には想像もできない科学がこの部屋では行われている」


 水道に、冷蔵庫のような保管庫が多数。緑やオレンジ、青や赤色の液体が入ったガラス瓶。培養液、金属張りのベッド。


 司法解剖部屋のような印象を受ける。歯医者にあるようなライトからは黄緑色の光が出ている。ただ照らすだけのものではないことは一目瞭然だ。

 

 もうどうは冷蔵庫からラップがされたペトリ皿を二枚取り出す。血液が保存されている。ラップの上のラベルに


「きつし」「出っ歯」と手書きされている。


「こっちがきつし。こっちが出っ歯」


 左手に持ったペトリ皿と右手に持ったペトリ皿を見せる。


「血なんていつとったの」


 鈴音が眉をひそめながら言った。


「まあとにかくだな。この血液からDNAを抽出してデジタル変換して、コンピューターに取り込んだ。人間の長くてくだらない歴史の中でDNAがどのように遺伝するのかを分析して確率化するプログラムを作った。そのプログラムでランダムにDNAの掛け合わせを行いそのDNAをアナログ変換して受精卵を作り光反貌物質を加えて赤ん坊に成長させた。そして? これが出来上がった子供だ」


 冷蔵庫から布がかけられた培養液を持ち出す。ベッドの上に置く。

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