35話 サーフ・ライダー 疾走
きつしはもうどうの肩を掴んだ。もうどうは動じずにきつしから視線を外さない。
「わざとやったのか……? 汚物を口から吐いたり、人を殺したくてたまらなくなるように、君がわざとそういう風に作ったのか?」
「落ち着けって。何があったんだ」
「落ち着けるわけないだろ」
きつしにしては珍しく怒鳴り声を上げた。
「君が、わざと、そういう風にしたのか?」
たばこの箱の中を覗いた。コーラが一本。メロンが一本。コーラは直接的な味で、メロンは遠回しな味がする。
「聞いてるのか」
「なあ」
もうどうは手のひらをぐっと出してきつしを押す。きつしは少しく体をこわばらせた。
「最初に言わなかったか? その子供がどんな風に育とうと所詮はお前と出っ歯の要素だ。俺がどんな風にその忌々しい生き物を作ったって遺伝子は俺のじゃない。お前らの遺伝子にそういう側面があったということだよ。人を殺したくなる? 口から汚物を吐く? それはお前らにそういう側面があるからだ。自覚していなくとも、それお前らの遺伝子の情報の一部だ」
「だけど……。あり得ないことが起こったんだ! 銃を奪われて、僕たちを殺そうとした。実際外に出たときに他の人を殺したんだ。無実の人をね。僕らにそんな一面があるっていうのかい? それに、カゼインアレルギーを知っててカゼインの入ったミルクをバッグに入れただろ。それに、汚物のことだって知ってただろ。フォルダに入ってた書類に書いてたんだから」
「だからそれはお前らの要素なんだって。そういう風に作ったんじゃなくて、体が出来上がった後に、検査したら分かったことなんだ。だから注意書きをしただけで俺がそう設定したわけじゃない。やろうと思えばいくらでもできたよ。ミルクの件にしたって、俺がミルクに含まれてる成分をいちいち気にするはずないだろうが? 適当に盗んできたものの詰め合わせがあのダッフルバッグだ。むしろありがたく思ってくれていいんだぜ? カゼインアレルギーの症状と汚物発射の兆候を混同しないように注意書きもしてやったしエピペン注射も用意してやったろ。大体、説明書きを読まずに使う方が悪いだろうが」
「『使う』って……もういいよ。とりあえず、君がやったんじゃないんだね?」
「そんなことするわけないだろ? いいか、俺は科学者だが科学を信じてるわけじゃない。万能なんかじゃない。永遠に続くわけでもない。いつかは滅びるんだ。だからいいんだろうが。そういう不確実性の中で色んなものを作る。子供だってそうだ。人工的に作るなら説明書きがあって然るべきだろうが。わざわざ用意してやったのに、読
まなかったのはお前らだ。それで? 何のようだ。どうしてわざわざ俺のところにつれてきたんだ?」
きつしは鈴音とアイコンタクトすると罰が悪そうにもうどうの耳に口を近づける。
「子供はもう手に負えないよ……」
「そらきた!」
手を叩いて笑った。きつしは深く目を瞑って指で目の上をこすった。
「絶対そう言うと思ったよ。分かってた。お前らがちゃんと子育てできるわけがねぇ。ちょっと待ってろ」
もうどうは黒板の横の掲示板の下側を触ると壁が上に移動して冷蔵庫が現れた。嬉しげに開けて、オレンジ色の液体の入った大きな瓶を取り出した。
「ラベルを読んでみろ」
瓶を見せる。きつしは呆れたように頭を振ると瓶に顔を近づける。
「『だから言ったのに』のボトル、中身はオレンジジュース……」
「どうだ? いいだろ」
「ふざけてないで早く対処してよ。おしゃぶりとか哺乳瓶とか赤ちゃんっぽいものに触れてるときは普通の赤んになるけど飽きるとまた人を殺したくなるんだよ」
「分かった分かった。その前に『だから言ったのに』のボトルを開けさせてくれ」
m65ジャケットのポケットから栓抜きを取り出すと、ゆっくりとした動作でボトルの栓を開ける。冷蔵庫からグラスを取り出して注ぐ。口をつけかけて
「危ない危ない。これを忘れるところだった」
ボトルを近くの生徒の机の上に置いて冷蔵庫の中に手を突っ込む。一輪のオレンジを取り出してグラスに差す。
「チアーズ!」
きつしと鈴音や生徒の視線なんか気にせずにゆっくりじっくりと飲み干す。グラスを勢いよく口から離して近くの生徒の机の上に置いた。衝撃でグラスは割れた。座っていた生徒は飛び退いた。それでクラスが多少ざわついた。
「さて。なんだって?」
「だから、子供を何とかしてくれよ。凶暴性が下がる血清を注射するとか、まともな人間になるとかそういうのできるでしょ。子供を育てたいとはいったけど、猟奇殺人鬼にしたいとは言ってないよ」
「別に子供が悪いわけじゃないぞ」
「分かってる! 分かってるさ。僕らの要素だっていうんだろ。だけど危なすぎる。他の人を傷つけてまでこの子を尊重することはできないよ」
「やれやれ、本心が出たな。結局お前らは自分の手に負える範囲の鎖が欲しかっただけなんだよ」
きつしと鈴音の間を練り歩く。赤ん坊はくっくっとおしゃぶりを動かしている。
「二人がずーっと一緒にいられるようにしたかったんだろ? 何があっても別れられないようにそういう鎖が欲しかったんだろ? 子供がいい鎖になると思ったか?」
鈴音に顔を近づける。すぐに目を逸らした。
「まあ俺も、お前らと同い年であまり偉そうに言うとひんしゅくを買っちまうから表現を、まあ、柔らかくするが、とにかく学生で子供を持とうなんていう発想をする奴は決まって知能を持ち合わせない失敗作だ。頭の悪い、将来の見えていないぼんやりしたどもり野郎か出っ歯女だ」
きつしと鈴音は俯いた。教師は相変わらずこっちを睨んでいる。生徒たちは怖がって物音を立てない。
「お前らは子供が欲しいとせがみこの天才につくらせた。しかし今は? もういらないか。まるで楽しみにしてた品物が不良品だと分かった瞬間にいらなくなるみたいに。結局自分の望む子供じゃないと分かると育てる気がなくなったんだ。人を殺したくなる? 口から汚物を吐く? 結構じゃないか。いらん人間なんぞこの世には腐るほどいるんだ。そいつらを殺させときゃいい。汚物だって肥溜めに吐きゃ良い肥料になる。腹を痛めて産んでないから、出産に苦しむ女の姿を見てないから簡単に人に何とかしてくれって頼めるんだ」
「分かった、分かった、鈴音はともかく僕はくそ野郎だ。それでいいよ。確かに自分が期待していた子供じゃない。だけどそれでも精一杯愛そうとした。今も愛してるよ。撃ち殺されかけたり他人を巻き込んだりしたって自分の子供だって意識してるからこうして君のところに連れてきたんだ。子供のために君のために連れてきたんだ。このまま育てばいずれもっと人を殺す。無実の人もだ。だからその性質を取り除くために、この子が警察に捕まったり賞金首になったりすることのないように君のところに連れてきたんだ」
「……なるほどな。いやあいい話だ。自分たちが育てたくなくなったというのを子供のためだという責任感にすり替えて伝えることで共感を勝ち取ったか。今回はお前の勝ちだ。その親としてのけじめに免じて今回は俺が対処してやろう」
言ってやるときつしと鈴音は心底安心したようにため息をついた。
もうどうはポケットの中のたばこに触った。
「それはそうとお前。直接的なのと遠回しなの、どっちが好きだ」
「え?」
「いいから、直接的なのと遠回しなの、どっちの方が良い」
「そりゃ、直接的な方が好きだけど」
「そうか。銃を奪われたと言っていたな。今は持ってるのか?」
「あ、ああ。取り返した」きつしは制服のブレザー越しに右の腰をポンポンと叩いた。
「そうか、じゃあとっとと終わらせよう」
もうどうはきつしのブレザーのサイドベンツのスリットをひらりと上げると銃を抜き、そのまま赤ん坊の額に押し付けて引き金を引いた。脳と顔の部品、おしゃぶりのかけらと血が飛び散る。教室は銃声と破裂音におののいた生徒と教師の悲鳴で埋め尽くされた。
「おぉおう。どうした? そんなに騒いで、羨ましいのか? お前らも撃ちたいのか? それとも撃たれたいのか?」
怒声をあげると静まり返った。鈴音は失神して倒れた。きつしは赤ん坊に寄っていった。
「きつし。分かると思うがもう死んでる。これでいいだろ。どうせあと数日しか生きられない体だったんだ」
「どういうこと……」
「お前らが子育てに飽きるのが大体四日だと計算してた。その日数に達するとバイオプラスチック爆弾が炸裂するようになってる。だからどっちにしろ赤ん坊は死んでた。しかし一日で飽きるとは思ってなかった。もう切り替えろ。死んだ者は戻らない。どうやったってもう二度と会えないんだ。どれだけ泣いたって涙の泉から復活するわけじゃない」
「簡単に受け入れられるわけないだろ。こ、こ、こ、こんなこと、もっと解決策が他にあっただろ? 君なら、暴力性だけをなくせたはずなのに……。どうして殺す必要があったのさ……」
声が暗いが望んだことをしてやっただけ、恨まれたり被害者ぶられる筋合いはない。
「もう、耐えられない」
後ろで女教師の声がした。女の方を見る。
「今すぐ、会議を開いてあなたたちを退学にするよう進言する。本当は今日の放課後だったけど待ってられない。みんな言ってるの。あなたたちを退学にするって。吐きそうよ。もう、無理。あなたたちがどうしてこの学校にいるのか理解できない。どうしてこの学校にいて、周りの人たちに迷惑をかけ続けるのか分からない。勝手にやればいいのに」
ヒステリックな女は嫌いだ。しかし本当に吐きそうな顔をしている。別に知ったことではない。教室が汚れても少しだって困らない。
きょとんとした顔で見ていると教室から出ていった。
きつしはもうどうの顔を見た。もうどうも見返す。その顔にからは動揺は消えていた。
「きつし、お前のせいで退学になっちまうぞ。どうすんだよ」
きつしは立ち上がって、少し赤ん坊の方を見てすぐにもうどうの隣に立った。
「き、き、き、君が銃をぶっぱなすからだろ」
「ここに連れてくるから悪いんだろうが」
「そもそも、ま、ま、ま、前々から君に問題があったんだろ。学校にこなかったり制服を着なかったり、ま、ま、ま、麻薬を換気ダクトの中で爆発させたり。今でもそうじゃないか」
「お前だって学校には行ってないだろうよ」
「し、し、し、仕事がないときは極力行くようにしてるだろ」
「いつも俺と一緒にいるのに俺よりも学校に行ってるって? 小学生の方がもっとまともな言い訳ができるぜ」
「と、と、と、とにかく。退学になるのは君のせいだろ。僕はいつもあ、あ、あ、あ、あやまりっぱなし。だから今度こそ、君がなんとかしてくれ」
「分かってる分かってる。心配すんな。ちゃんと手は打ってる。あとは会議室とやらに乗り込んで説明するだけだ。いいな?」
「あ、あ、ああ」
「いいか?」
「ああ、分かった」
「そうだ。何の問題もないだろう? お前らが時間を無駄にしてる間に、裏切り者も始末できたんだ。これからもっと組織はでかくなる。楽しみだな。じゃあ準備をしようじゃねえか」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ。組織がでかくなるってど、ど、ど、ど、ど、どういうことだよ」
「それは後で説明するからついて来いって」
揚々と教室を出るが後からついてくる気配がない。
もうどうは舌打ちをして教室に戻る。
案の定、赤ん坊のことを気にしてしゃがみこんでいる。意味のあるものじゃないのにどうしてそこまで拘泥することがあるのか。教室は葬式の雰囲気だ。女どもは目を逸らしている。震えている者もいる。男どもは怖いものみたさからか数人、ちらちらとこちらをうかがっている。
「もういいから」
「だけど、このままにしておくのは……」
「いいって別に」もうどうが語気を強めると流石に立ち上がった。「ほら、行くぞ」
「待ってよ」
次はなんだ。きつしは失神している鈴音に近づくと姫抱きしてもうどうの前を歩き出した。教室に地獄の空気を残してその場を後にする。もうどうはすぐにきつしに追いついて前を歩く。
「こ、こ、こ、これからどうするのさ」
「お前の言うとおり、現実を見て問題を片付け、退学を免れようじゃないか」
もうどうは自分より十センチほど低いきつしに言った。
「ぼ、ぼ、ぼ、ぼくがって言うけど退学になって困るのは君だろ」
二階まで降りると右に曲がって下駄箱へ通じる階段へ移動する。こっちの方が地下まで近いのだから。
「分かってる分かってるよ。ほんとお前には世話になってる。ありがたいと思ってる。本当だ」
階段を降りきって下駄箱を通り過ぎ、校舎の外に出る。
「君の、き、き、き、気持ちは分かる。さ、さ、さ、さ、沙織のことは本当に残念だったよ。君は昔の愛を取り戻そうとして、躍起になってた。でもぼ、ぼ、ぼ、僕は今の愛を大切にしたい。子供を持つっていうのは確かにひどいアイデアだったと思うけど、それはぼ、ぼ、ぼ、僕たちなりにお互いを大切するために考えたことだったんだよ」
「分かった分かった。良い教訓になったな。変なことをすれば変な代償が伴うってな」
「確かにね、分かってくれたら、も、も、も、も、もう鈴音を出っ歯とかいうのはやめてよ」
更衣室が連なる通路に入る。
「そいつは約束できないな、そうだ」
もうどうは一度言葉を切ってきつしの顔を見た。
「沙織を殺した男について進展がある」




