29話 バルカローレ 舟唄
もうどうはとろりとした口調でゆっくり言った。フェンネルからはもうどうの目が、光の加減で暗くなって見えていなかった。
「私を殺したら元請けが黙っちゃいない」
「ほうらな、分かってない」
もうどうは左手をひらひらさせた。
「あんたの元請けは、あんたから俺に乗り換えたのさ」
「私の元請けだって、君を攻撃することに同意したんだぞ」
「だから言ってるだろ」
もうどうは銃を上げてフェンネルの方を指す。
「彼らとは合意に至ったんだ。だけどあんたとはもう何の合意もない。そして悪い奴らからも利用価値はなくなった。あんたの組織はこれから俺が管理する。全ての財産、持ち物はもう俺のものだ。そしてあんたの存在はいずれ忘れられる。裏社会では表向き、ややこしいな。偉大なるドン・フェンネルは病死したということになる。真実は裏にも表にも出ない。俺があんたを殺したという真実も、あんたが下請けの俺をはめた真実もな。伝説のまま死ねるんだ。良かったな」
フェンネルは何も言わなかった。言えなかった。ふと、自分の名前の意味を考えた。両親からつけてもらった名ではない。裏社会に台頭してから自分から名乗った名前だ。故郷の惑星での意味は「革命家」地球に自分と同じ名前の花があるらしい。黄色の花を咲かせる。花言葉は「裏切り」
どうして今そんなことを思い出したのかは分からなかったが、一つだけ、死ぬということは確かだった。
「俺も、あんたのことは好きだった。だけどな。こうなった以上やることをやるしかない」
「ああ、そうだな。分かってるよ。この稼業を始めた時、私は敵に殺されると思っていた。時には想像もできないような残酷なやり方で殺されるんだと悲観したこともある。しかし組織が大きくなるにつれて不安は消えていった。逆にどう殺すかを考えるようになっていた。君を今この場で始末できることならしてやりたいよ。そうすれば私は組織を取り戻せる」
「残念だが、無理だよ。それでは、何か言い残すことはあるかい、ドン・フェンネル。俺はあるぞ。あんたに持っていってもらうことがな。正直辛いよ。あんたを撃つのは。最初に仕事を紹介してくれたのはあんただった。俺が今この地位にいるのは間違いなくあんたのおかげだ。ずっと他人を疑ってきた。他人は信用ならない。家族でさえも信用できなかった。だがあんたは親父か親戚みたいに面倒をみてくれた。本当に感謝している。永遠に忘れない
だろう。しかし、そんなあんたに裏切られたと分かった時はさすがに傷ついたよ……。今まで大勢失った。本当に大事だった者も。それにあんたを加えなきゃいけないのは本当に辛い。しかもこんな形で」
もうどうは視線を合わせてくる。フェンネルももうどうを見た。ファブリシオはただそこに立っていた。
「俺は、比較的許す男だ。だから恩人が殺されるのを見るのは許してやる」
もうどうは視線をくれずしてファブリシオの左目に穴を空けた。
「…………」
ファブリシオは黄色い血を噴き出す左目をゆっくりと触って、手を離した。ファブリシオはもうどうを見たがもうどうの視線はフェンネルに向けられていた。フェンネルの視線はファブリシオにあった。
二発三発と、ファブリシオは穴を増やしていく。膝をついた時には胴体はトムとジェリーに出てくる穴あきチーズのようになっていた。いや穴というよりは、えぐられていたのだ。
「酔ってたんだろ、ファブリシオ。俺も今相当へべれけだぜ」
それでももうどうファブリシオの方は見ない。
ファブリシオはなんのうめき声もあげずに、ただただ忠誠を誓った相手を眺めながら倒れていった。
地獄へ滑り落ちる数秒前はもうどうの方を見ていた。
ファブリシオにかけよる。何も言わず、さほど期待もこめずに体を揺さぶった。ファブリシオは動かなかった。当然のことなのに、何かすごく、それがおかしなことに思えてならなかった。全てを失ったような感覚がしていた。
実際、組織を失ったがそういう感情ではなかった。自分の全てを側で見てきたこの男を失ったということは、どこか自分が自分ではなくなってしまっていることに似ていた。
「俺は比較的許す男だ」
もうどうはフェンネルを見た。
両者の瞳には怒りや震え、恐怖はなかったはずだ。なにかお互いを認め合ったような、向き合えたような色が流れていた。
「それでも、平気で仲間の部下を裏切らせたり、敵とはいえ今回の件においては潔白の者を殺させるような奴は許せない。そして自分も許せない……。悪人とはいえ無実の者を殺したんだ……」
瞬きをした。右目だけ。ゆっくりと一回だけ。そうしてから口を少しだけ開けた。深く息を吸った。違う種族の死体の匂い、酒の匂い、オレンジの匂いがしたのはなぜだろうか。
「何か言い残してくれ……。頼むから………………」
フェンネルはもうどうから目を逸らして下を向いた。血まみれの手を見た。何も思い出すことはできなかった。幼い頃も、成長した後も。何も思い出がめぐってこなかった。
地獄に流れ落ちる直前、最後に思い出したのは本名だった。顔も知らない親がつけたであろう名前。ラバイヨーネ・ズドウィッチ。ラバイヨーネはボロ雑巾という意味だった。
「もうどう……」
実際のところ、言葉は続かない。一発だった。心臓を一抜き。
自分を裏切ったフェンネルの最大の罰は、死ぬことだった。
無実の者を殺した自分の罰は、師を失うことだった。
もうどうはしばらく師を見ていた。硝煙の立ち上る銃を向けたまま。足を組んだまま。そこから何一つとして動かさず、じっとしていた。
床に転がる三人と椅子に座る一人は、もう誰一人として動かなかった。




