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14話 ドロップ・デッド 心臓発作

 鈴音はおでこに手を当てる。


「あついわ」


 すぐにダッフルバッグの中を漁った。もうどうは赤ん坊の情報が入ったフォルダが入っていると言っていた。ないぞ。


 そんなものは。入っているものを全部出してみても見当たらない。赤ん坊の情報ということはアレルギーや臓器機能についての記載があるはずだ。


 もしかしたら与えたミルクが良くなかったのかもしれない。まさかもうどうが嫌がらせで臓器を欠損させていたとか、そんなことはないだろう。祈るようにバッグの底を両手で押した。


 硬い。よく見たらポケットになっている。


 紛らわしい。ココロにかかった霧の一つが晴れていく。


 すぐにフォルダを取り出す。赤ん坊の写真と基本的な生体情報。性別や身長、体重、血液型といったような情報だ。


 ご丁寧に赤ん坊の製造過程の写真まで。緑色の培養液の中で産声を上げる、四肢のあるぶよぶよの物体。地球の高画質なんて比べ物にならない。


 培養液に写る写真を撮るもうどうのニヤニヤ顔まではっきりと見える。とっさに目を背けるものでもないが、ずっと見ていたいものでもなかった。 


 書類はざっと見ただけでも十枚はある。どこかにアレルギーに関する項目はないか。目次みたいなものがあればいいんだが、と思っていたら最後のページに目次があった。なぜか「mokuji」だったが。


 そんなしゃれには一ミリの関心もくれてやらずに「アレルギー」の文字に目を血走らせる。人間に取扱説明書がついているだなんて、改めて手が震えてきた。

 見つけた。排泄に関する項目の下だ。


「アレルギー情報 オレンジ カゼイン そば粉」


 どれも与えていない。多分。どういうことだ。オレンジやそば粉はどんなものか大体検討がつく。


 だけどカゼインはちょっとよく分からない。何かに含まれる成分か。それとも、それ単体の食べ物か飲み物なのか。どっちにしろカゼインなんていうのは聞いたことがない。


 かつしの泣き声がどんどん強くなっていく。どんどんココロに隙間ができていく。風が吹き抜けて、悲しい気持ちになる。鈴音のあやす声も戸惑いを帯びたものになっていく。


 きつしはパソコンでブラウザを立ち上げてカゼインを検索する。こういう時に限って中々表示されない。検索バーの下の細い青い線を睨みつける。


「牛乳タンパク質の約八十パーセントを占めておりアレルギー反応の中心となるタンパク質」ページをスクロールする。「粉ミルクなどに含まれているため、乳幼児に与える際にはアレルギーに注意しなければならない」


 粉ミルクだ。粉ミルクに含まれていた。それがいけなかった。


「ちょっと、きつし」


「ど、ど、ど、どうしたの」 


 音の速さで鈴音の隣にいく。


「これ、どうなってるの」



 かつしが布団の上で痙攣している。がくがくと四肢を震わせて。よだれを垂らし、布団の下も濡れている。匂いはしないがすぐ分かった。


 下痢だ。おそらくショック症状だろう。身体中真っ赤だ。熱で死んでしまうんじゃない

か。

 焦るな。焦るな。焦るな。今までもっと難しい局面も乗り越えてきた。


 大丈夫だ。今回もきっとうまくいく。そう。こういう風に考えていたら、どもりと一緒にパニックは消えていく。心臓はいつも通りのステップを取り戻す。


「多分、アナフィラキシーショックだ。確かダッフルバッグにピルケースと注射器ケースがあった」


 鈴音はすぐに駆け出して、ダッフルバッグに飛びついた。


「ピルケースはオレンジ色。注射器ケースは銀色だ」


 かつしの両頬に両手を当てて、落ち着け落ち着けと念じた。


 実際、子供が苦しんでいても親は苦しみを分かってあげられるわけじゃない。真に寄り添えるわけじゃないんだなと、冷めたことを頭の片隅で考えていた。

 後ろで鈴音がバッグを漁る音がする。


「あった」


 錠剤がケースの中で転がる音がする。


「かして」

 注射器ケースを開ける。ふたの裏に「エピペン アドレナリン物質自己注射 間に合わなかったらあの世で後悔せえ」のラベル。


 もうどうめ。


 とにかくこれを打てば大丈夫。注射器の先端のケースを振り取る。


「注射するんだったら、太ももにしなきゃだめなのよ。それより、これほんとに、大丈夫なの、間違って死んじゃ

ったりしないよね」


 息切れした声。ああ、大丈夫とか大丈夫じゃないとか、結局どうすればいいのかわからない。


 だけど我が子が苦しんでいて解決策の入った注射器を右手に握っている。自分は父親だ。自分が治してやらないで誰か治してくれるというんだ。


 注射針を見る。


 気持ちとは裏腹に慎重に太ももを掴んで注射針を刺す。暴れられたら終わりだ。かわいそうだが動かないように

力を入れて持ち上げる。液体を押し込む。


 抜く時も油断ならない。


 棚の下の隙間、際どいところに転がったレゴブロックをとるときのような緊張。間違えれば、レゴブロックはもっと奥に行って取り出せなくなる。注射針、もし折れでもしたら。いいや、悪いことは考えない。いつもそうしてきたんだから。


 注射針の先端が見えた。


 泣いてはいるが痙攣は止まった。おでこに手を当てる。あつくは、ない。自分の手の方があつくて汗をかいていることに気がつくとそれ以上に安心したことはなかった。


 もはや大声とも呼べる安堵の吐息を漏らす。後ろに倒れ込む鈴音が受け止めてくれた。


「ご、ご、ごめん」


「ほんと、安心した。死んじゃったら、どうしようかと思った」


 死んだものは蘇らない。作り物だろうが天然物だろうが同じ。この事実が今日ほど重かったことはなかった。足の震えが止まらない。安心しても、まだ脳は揺れている。


 鈴音の腕を取って体を預ける。鈴音ごとカーペットに倒れる。落ち着かない時は誰かに身を委ねるのが一番なのだ。赤ん坊のように。


 泣き声は徐々に小さくなっていく。


 が、しかし。もうどうだ。


 こうなることが最初から分かっていた。


 自分たちに育児は無理だと言ったつもりだろう。わざと子供をカゼインアレルギーにして、カゼインの含まれている粉ミルクをバッグに入れて自分たちに渡した。


 アレルギー情報などが入ったフォルダも読まないことを知っていた。実際赤ん坊の情報はもうどうから聞かされたので十分だと思っていたし、いくら人造人間とはいえ電化製品のように説明書があるとは思わなかった。


 大体アレルギーだなんて重要な情報は口で説明するべきだろう。それにずっと気になっていたことがある。排泄をしていない。さっきフォルダを見た時ちらっと目にした。排泄に関する項目。


 きつしは鈴音から離れて立ち上がると、フォルダを読み返した。


「排泄に関する項目。その一。『ぼろ布を拾う時には大小便が染み込んで取れないものは拾ってはいけない』道元 正法眼蔵 袈裟功徳 なんてな。次が本題だ」


 そういうのはいいから。


「基本的に大小便はしないが一日に一回汚物を吐くので要注意。ばけつかなんかに受け止めてあげれば。ちなみに予兆は高熱がでること。アレルギーの症状と勘違いするなよ。カゼインアレルギーの症状には高熱なんてないからな」


 高熱? ということは。ベビーベッドの方を見る。鈴音がかつしを抱き上げている。


 まずい。


 ばけつなんてのはどこにもない。バッグにもなかった。どうする。おいおい、かつしが頬を膨らませている。なにかが、出てきそうだぞ。


 考えるより早く鈴音からかつしを取り上げてキッチンのシンクの上に連れていった。ものの数秒もかからず、シンクは緑色の汚物まみれになった。しかも飛び散る。横に立てかけてあったまな板、近くにあった炊飯器、ケトルにも飛んでいく。匂いがしないのがたちが悪い。


 鈴音は何が起きたか分からず、キッチンカウンターに手をついて、ただ見ていた。


 口が空いている。驚いた時はみんなそんな顔になる。


 かつしはそのまま数分吐き続けていた。


 考えることは同じ。もうどうもうどうもうどうもうどう。

 もうどうがわざとやったのか? それとも人造人間故の特徴なのか? わざとやったのだとしたら意地が悪すぎる。


 いや、どれもこれも自分が最初にフォルダを見なかったせいだ。自分が悪いのだ。子供に罪はない。アレルギーを知っていればカゼインの入ったミルクは与えなかった。


 汚物を吐くと知っていればバケツだって用意した。自分たちは親になるには未熟すぎる。鈴音は家庭科だかショート動画だかで育児の知識を仕入れていた。だけど自分はどうだ。


 赤ん坊はようやく吐くのをやめた。


 シンクには目も当てられない。匂いはしないが、見ているだけでこっちも吐いてしまいそうだった。もうどうが臭いのしない汚物を出す設定にしたのか、それとも人造人間故の偶発的特徴なのか。

 

 この二択を考えるのも疲れてきた。かつしを持ち上げている腕がどんどん疲れていく。ココロに吹き付ける隙間風もだんだんと強さを増していく。


 鈴音を見た。自分と同じような顔をしている。後悔はしていなさそうだった。というよりかはそう思いたかった。


「……そ、そ、掃除しよっか」


「わたし、シンク綺麗にする……」


「いや、ぼ、ぼ、僕がやるよ」


「いや、いいよ」


「いいんだ。ぼ、ぼ、僕がやるから」


「…………じゃあ、この子を綺麗にしてあげなきゃね」


 鈴音にかつしを渡す。キッチンの戸棚や引き出しを開けてみる。雑巾やタオル類は全く入っていない。水に流すわけにはいかない。固形なんだか流形なんだか分からないがとにかく、ビニールか何かで…………。


 思考はそこで止まった。疲れた。体中の力が抜けていく。倒れるほどではなかった。それがまた、もどかしかった。倒れてしまいたかった。よっぽどその方が楽だったはずだ。


 それでも手はビニール袋を探し続けたし足は歩みを止めなかった。子供のために、親である自分がこんなではいけないと、本能的に動かしているんだろうか。


 鈴音を見た。カーペットの上で毛布を広げてかつしを寝かせて、口の周りを拭いている。目は暗かった。

「こんなはずじゃなかった」そう思っているのは確かだった。


 子供を責めることはできない。どれもこれも自分たちが悪い。


 そういう子供なら、受け入れてやらねばならない。人と違っていても、それがその子の個性であり、良さであり、愛すべき点なのだと思っていやらねばならない。それが親のつとめというものであるはずだ。



「ねぇ、きつし」


 鈴音の声がした。すぐに駆け寄る。


「ど、ど、ど、どうしたの」


「今の聞こえなかった?」


「なに?」


「……お、う、あ……つ……」


「え? しゃべってるの?」


「そうよ。何か言おうとしてる」


 鈴音の、喜びに満ちた声がココロに沁みていく。


「しゃべったのよ!」 


 鈴音が自分の両腕を掴んで揺さぶった。


「え? 生後一日も経ってないんだよ?」


 フォルダには成長が早いなんてのは書いてなかったと思うが。


「天才児なのかもよ。ちゃんと教育したら、もしかしたら世界的な有名人になったりして」


 こんなのありか? 落差というかギャップというか。


 少し拍子抜けた。分からない。この感情を言語化するには自分には語彙力が足りない。複雑で、不思議で、嬉しくはあったがどうしてか、同時にまた不安も感じていた。


「ちゃんと、教育しましょうよ。今から数学とか理科とか教えたらすごい研究者になったりするかもしれないよ」


 鈴音は浮き足だって喜んでいる。それもいいかもしれない。


 生後数時間で話せるだけの能力があればきっと何にでもなれる。

 この子のやりたいことを見つけるためにも何か学問を教えてみるのも手だ。この子が幸せになるために。


「そ、そ、そ、そ、そうだね」


 そう言ってやると、鈴音は笑った。今まで見たこともないほど嬉しそうで、綺麗な形だった。



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