高校三年、冬 前編
街中はすっかりクリスマスムードになって、最寄駅から家に向かうまでの大した距離ではない道のりだけでも浮かれたようなイルミネーションで街路樹まで飾り付けられている。
クリスマスは去年も一昨年も同じ高校の同級生たちと集まって騒いで大いに楽しんだけれど、さすがに今年はそうも行かない。皆死んだような目をして必死に机に向かっている。だから授業中寝なきゃ良かったのに、そんなことを今更言ったって後の祭りでしかない。それだけでもずいぶんマシだったはずなのに。
おれは幸い推薦が通ってもう進路は決まっているけれど、仲間内のほとんどは一般だから遊びになんて気軽に声をかけづらい。早くみんな決まればいいな。そんな完全に他人事の感想を抱きながら白い息を吐き出した。
「ただいま」
返事がないことは知っていてもつい言ってしまう、長年の習慣はなかなか抜けるものではない。
最近少し慣れてはきたものの、玄関の鍵を開ける動作はまだ少し手間取る。薄暗い家の中は何とも言えず寂しいもので、リビングに灯りを点けてようやく少しほっとした。
母はおれが記憶している限りずっと専業主婦をしていたが、おれの進路が決まってからパートに出始めた。何事もなく入学出来た場合一人暮らしした方が良いだろうな、という微妙な距離ということもあったのだと思う。敷金礼金はお母さんが払うからねと目を輝かせていた。
そんなに家計が苦しいなら他の方法や別の進路を選んでもいい、と焦って言うおれに、ずっと働く機会を窺っていたのだと母はからりと笑った。
あなたが家を出るならお母さん暇になるじゃない、ついでにお金も稼げるなんて良いことしかないでしょう。俯くおれにそう告げた母は、シフトが入っている日は慌ただしくも楽しそうにバタバタと家を飛び出して行く。
母さんが良いなら、良いけど。そう言うしかないおれに父は笑って、一人暮らしに備えて今のうちに少しでも家事の練習をしておきなよと言った。
昔から残業の多い父は相変わらず帰宅が遅くて、大黒柱として頼もしいことだが健康面を心配してしまう。子供が余計な心配をするもんじゃないと一蹴されてしまったけれど。
とにかく、おれの日常というものはそんなものになってきていて。不在の多い家族と、遊びに誘いづらい友人たち。
中学まで仲の良かった友人たちはみんな各々の進路に行って、連絡も取っているし会わない訳ではないが最優先に会いやすい訳でもない。
昇ってきた階段の電気を消して部屋に入ると、本棚の中身が全て背表紙を奥に向けるようにして入っていた。朝は何ともなかったような気がするけれど記憶が定かではない。
だる。
適当に引っ張り出してどんな話だったかとぱらぱらと内容を確認すると、表紙カバーと中身も別物になっていることに気が付いた。制服の少女が可愛らしくポーズを決めている表紙なのに、少しページを捲った先では線の太い男たちが汗を撒き散らしながら両者死ぬ気で殴り合っている。明らかに世界観がおかしい。
おいおい、と思いながら隣の本や上の段のものも確認する。どれも不作為に取り替えられていることに気付き、思わず低い声が出た。
「だる! お前なにめんどくさすぎることしてんの。戻しておけよ」
「何で?」
家に誰もいないと思うと、つい声が大きくなる。気配は感じないけどどうせいるんだろうと思いながら怒鳴れば、案の定近くにいたのだろうそいつが薄く笑いながら壁から上半身を覗かせてきた。
十年以上おれに付き纏うこいつはまだおれの傍にいる。今回みたいな下らない悪戯もあれば登下校時に歩道橋の階段で転びかけることもあった、今のところ友人や見知らぬ通行人に助けられてどうにか致命傷は免れているけれど。
日々脅かされるおかげで危機察知能力は磨かれてきているけれど、それでも完璧ではない。そのせいで長い付き合いの友人には「お前昔からなんかどじっ子だよね」と不名誉な印象を植え付けてしまっている。
中学の頃、占い師に「冷静でいろ」とアドバイスを貰って以来、こいつに何かされても極力気を付けるようにはしてきた。こいつの力が強化されてしまうからと。
けれど咄嗟の時やあまりにも酷い嫌がらせにはやっぱり苛ついたりしてしまうから、気を付けたところでやっぱり少しずつ強くなっているんだろうな、と思う。
初めて見た時から中学に至るまでの十年よりはその度合いはマシになっているとは思うけれど、やっぱりあの頃よりも僅かではあるがより存在感を増してきている気がする。
「別に、俺は困らないけど」
ずるりと壁から全身を出したそいつが笑いながらそう言った。その拍子に泣きぼくろがきゅ、と上がったのが分かって、前までは見えなかったそれにげんなりしてしまう。いつの間にここまで見えるようになったのだったか。
そりゃあおれの本棚がどうなろうとお前は困らないだろうよ。ため息を吐きながら掴めるだけの本を取り出して机に移動する。
そうして目に入った机の上の教科書類にも違和感を覚えた。見慣れているはずなのに何だろう。一瞬遅れてそれら全てが去年使っていたものだと気付いた。
最悪。
「おい、今年の教科書は?」
「本棚見て気付かなかったの? 交換したんだよ」
「じゃあ物置じゃねえか、ふざけんなよ」
外し忘れていたマフラーを取ると一気に身体が冷える気がした。暖まるまでは、と巻き直しながらエアコンのスイッチに手を伸ばす。
面倒だが物置に行かなければならない、明日使うはずの教科書もそちらにあることだろう。ついでにそろそろ家族も帰ってくるだろうしリビングの暖房も入れておこうか、とちらりと時計を見る。
いつもの母の帰宅時間まであともう少しあるようだった。
「まじ昔から嫌がらせばっかしてくるけど何なの、お前好きな子虐めるタイプ?」
「おまえ自分が俺に好かれてるって思ってるの? 幸せな頭だね」
「ずっとおれの近くにいるのにそれ以外理由あんの? おれとしてはキモいから違っててほしいけど」
「体しか大きくなれなかったんだね。可哀想に」
ああ言えばこう言う。
古い教科書をまとめて抱えると、本に付着していたのだろう埃が舞って鼻がむず痒くなった。それすらも憎たらしい。
別に仲良くなった訳ではない。飽きもせずに妙な悪戯はされるし、こいつに関して楽しい思い出なんか一つもない、むしろ大小差はあれど嫌な記憶ばかりだ。
けれど、というか、だから、というか。少なくとも会話は出来るこいつにヒアリングをしていけば、いつかぽろっと原因であったり解決法だったりを漏らす機会があるのではないか。
そう思ったおれは努めて対話を試みることにしていた。幸い家に一人の時間が増えたから、家族に聞かれる心配もない。
小学生の頃にもどうにか原因を突き止められないかと試した事があったけれど、あの頃よりもこいつの「気紛れ」が作用する日が年々増えてきている。会話の途中でこいつが消える事も多いが、最近ではずいぶんラリーが続くようになってきた。大きな進歩だと思う。
いつか家を出て就職して一人の時間がもっと増えたら自分の力でお祓いなり何なり行こうとは思っている。ただその前に解放されるのならそれが一番望ましい。そう思っての涙ぐましい努力だった。
今のところ一切効果は出ていないけれど。
「は? 教科書入れといた箱ここじゃなかったっけ。お前段ボール移動した?」
「してないけど」
「場所教えろよ。え? この辺だったよね? 模様替えした?」
「お前の母親がやってたね」
「まじかよ……」
何で物置事情をおれより把握してるんだよ。マフラーを鼻の上まで上げてマスク代わりにしながら段ボールを一つ一つ確認していく。父が買うだけ買って放置している健康器具が邪魔なことこの上ない。
床に無造作に置かれていたステッパーを踏み台代わりにしようとすると、当たり前だが踏んだ分だけ沈み込んで何の意味もなかった。舌打ちするおれの後ろでふっと息の音がする。鼻で笑っていやがる。
「どっか行ってろよ」
「何で?」
うざいからだよ、と言いかけてやめた。どうせこいつは言うことを聞かない。おれで暇つぶしをすることに余念がないのだろう。
せめて母が帰るより前に見付けて元通りに出来たら良いな。そんなささやかな願いはやはり叶わず、何やってるの、と不審げに声をかけられるまで捜索は続いた。
暖房を強めに設定していたためか、いつかの記憶の残滓のような夢を見た。最近は会っていない別の高校に通う友人とすっかり日の暮れた神社の夏祭りに行っていて、背後の喧騒と虫の声がうるさいな、と思いながらおれたちは屋台を冷やかしていた。
境内に向かう石階段を上がっていたところでおれの足が動かなくなる。どうせまたあいつだ、と思った。声が出ない。友人の背中がどんどん小さくなる。
気付けば喧騒も虫の声も友人も、登場していた存在の全てが遠くなっていて、おれは静寂の中で夜の神社にたった一人で取り残されていた。
ざわざわと揺れていたはずの木々すら静まり返っている。足は動かない。自分の呼吸音がやけに大きく聞こえた。
友人は気付かない。もがくおれを嘲笑うようにぎりぎりと足首が締め付けられる。暗闇が迫ってくるような感覚を覚えた。
ようやく目を覚ました時、あいつがおれを跨ぐように仁王立ちでベッドに乗っているのが視界に入った。一体いつからそうしていたのだろうか。
布団の上から押さえ付けるみたいに踏まれていたせいで身動きが取れなくて嫌な夢を見たのか、それとも何か直接干渉されたのかは分からなかった。
どちらにしてもあれのせいであることに変わりはない。そしてどけよと言っても素直にどける奴でもない。起き上がろうと腕を動かしてもそいつが邪魔で布団がもこもこと波打つばかりだった。腹が立つが、寝起きで掠れた声は低く唸ることしか出来ない。
唸りながら微かな抵抗をする様はさぞかし滑稽だったことだろう。それをしばらく眺めて満足したのか、ひひ、と気色悪い笑い声を残して一気に布団が軽くなった。ようやく解放されたようだった。
朝から血圧が無駄に上げられた気がする、おかげで目が冴えてしまった。嬉しくはない。
部屋に外の明かりが差し込んできている。もう朝か、と時刻を確認すればもうすぐアラームの鳴る時間だった。二度寝するには時間がなさすぎて、このまま起きてしまおうと立ち上がる。
伸ばした背中がばきばきと音を立てた。相当な時間拘束されていたのかもしれない。
初雪を観測したのは今月に入ってからで、それからもぱらぱらと降ってはいたけど積もるほどではなかった。
だから油断していたけれど、昨夜はずいぶんと気合いが入っていたらしい。カーテンの向こうは真っ白になっていて、やば、と独り言が漏れた。
電車に遅れはないだろうか。そもそも駅に着くまでいつもより時間がかかりそうなのに、昨夜天気予報なんて見ていなかったからほぼいつも通りの時間に起きてしまった。
どうせならもっと早めに起こしてくれよ、とぶつぶつと文句を言う。いつも張り付いているのだから少しくらい役に立てば良いのに。
白い息を吐きながら階下に降りると、ちょうど父が出勤するところだった。行ってらっしゃいと背中に声をかけると、おう、と片手を上げられる。
「結構積もった?」
「凄いよ。お前も早く出な」
父が出ていくドアの隙間から見える外はすっかり雪景色になっていた。げえ、と眉を顰める。さすがにもう止んでいるようだけれど、果たして溶けきるのだろうか。
トーストとカフェオレを流し込んで支度を整える。母は今日はシフトが昼からだと少しのんびりとしながらおれがばたばたと準備をする様子を見守っていた。
やっぱり積もったままの雪の上に午後からちらついた雪が更に少し積もって、帰る頃には近所の子供が雪遊びを楽しんだ気配がそこかしこにあった。ブロック塀の上に小さな雪だるまが作られていたり、ぶつけられたのだろう、潰れた雪玉が電柱にへばり付いている。
子供は元気なもんだ。おれも前はそうして遊んでいたはずなのに、今は冷たい雪に手を突っ込むのを躊躇ってしまう。かと言って冬仕様の重装備はしたくない、高校生にもなって一人でスキー場にいるみたいな格好をしていたら馬鹿みたいに見えそうだ。
庭にずいぶん雪が積もってしまっている。出勤前に母が雪かきをしてくれたのか歩く範囲は確保されているけれど、それでもなお地面は見えない。
白一色のそれに大したもんだな、と思いながら足跡のない部分にそっとスニーカーで触れる。プリントしたみたいに足底部の模様がついた。
家の鍵をまだ持ち慣れていないおれは財布に鍵をしまっている。そうでもしないとどこかに置き忘れそうだからだ、鈴は防犯上良くないと聞いた気もして剥き出しの鍵をそのまま紙幣と一緒に突っ込んでいる。
玄関に向かいながらそれを取り出そうとしていると、ふと違和感を覚えた。ずず、という微かな音が聞こえている。
音の正体を見るより先に慌てて後ろに飛び退いた。その直後、屋根からどさどさと雪の塊が地面目掛けて降り注いでくる。さっきまでおれのいた場所だった。玄関ポーチ前の数段しかない階段がすっかり埋もれてしまっている。
あぶな。まじか。思わず頭上を見上げると、ざんねん、とあいつの声が耳に届いた。
よく目を凝らすと、灰色の空を背景に雨樋に座るあいつが見えた。残念という言葉とは裏腹に、どうでも良さそうに少し笑っているように見える。
居たのかよ、と思わず眉間に皺が寄った。
「うざ」
玄関前に置きっぱなしの竹箒でがさがさと落ちた雪を掃き出した。放置しているとそのうち凍ったり踏み固められて転びやすくなるからだ。
成長するに従って両親には「うちの息子は気の利くいい子だ」と紹介されるようになった。実際のところはただの生存戦略でしかない、あいつの嫌がらせを放っておくと実際におれの命に関わる。結果として住みやすい自宅が完成されてしまって、何となく面白い気分ではない。
片付けを終えて家に入ると、今日も少し薄暗くてひんやりとした空気が家中に満ちていた。
「お前さあ。おれがまじで死んだらどうしてくれんの」
家の中なのに息が白い。温かいものでも飲もうとキッチンで電気ケトルのスイッチを入れた。
待っている時間にじっとしているのが耐えられなくて、部屋に荷物を置きに行こうと階段に向かう。ひとり分の足音がぎしぎしと聞こえた。
「どうって?」
「前から思ってたけど、お前がやってること結構やばいからね。普通に死ぬ可能性あるから」
何がしたいの? と見上げた先には、そんなことを訊かれるとは思っていなかったのか、少しきょとんとしたあいつの顔があった。
少し首を傾げている。
「どうしてほしいの?」
考えても分からなかったのか、そんな風に返されて面食らう。
どうしてほしいか。まず嫌がらせをやめてほしいんだけれども。
「迎えに行ってやればいい? 連れてく場所とかよく知らないけど」
成仏したことないし、と真剣な顔でそいつは答えた。それはそうだろう、見れば分かる。
「そういう問題じゃなくない?」
「ああ、景色の綺麗な場所なら知ってる。連れてってやろうか?」
「何でだよ」
部屋着に着替えてリビングに戻ると、ちょうど電気ケトルのスイッチがかちりと音を立てて戻った。
カップにティーバッグを入れて座り、テーブルの上にあったリモコンを手に取った。
あいつはまだ考えているようで、やっぱり首を傾げながらおれの隣に立っている。
「舐めてる? おれお前みたいに彷徨いたくないし」
「まあ、そうなったらおまえはすぐ成仏するだろうね。単純だから」
好きにすれば? と言ってあいつがにやりと笑った。
エアコンの風でカップから立ち上った湯気がすぐにかき消されていく。テレビ画面にローカル局のキャスターが映し出されて、昨夜からの積雪についてまだ警戒するよう注意を促している。今夜もまた降る地域があるようだった。
「え、シチュー作ってくれたの? 嬉しい! ありがとう」
「時間あったから。雪の日ってシチュー食いたくなるよね」
夕方帰宅した母が惣菜買って来ちゃった、と言いながらテーブルにエコバッグを置いている。おれが作ったのは汁物だけだからおかずなんてない、問題ないよと惣菜のパックを見ると、天ぷらと酢豚を買ってきているようだった。
シチューに合うだろうか。そもそもシチューに相応しいおかずがおれには思い付かない。
「ご飯まだある?」
「あったけど、てかシチューに合う主食ってなんだろうね」
ご飯にかけるタイプの人間を否定はしないけどそうして食いたい欲も今はない。こんなに難しい料理だとは思っていなかった、今までどうやって食べていたんだったか。
まあ、その時食いたいもんを食えばいいか。酢豚のラップを外していると、母が鍋を覗いて嬉しそうに笑っているのが見えた。どことなく恥ずかしい。
「お父さんの分取っておかないと」
「こんなにあるんだから絶対残るでしょ」
そういえば牛乳使い切っちゃったと告げると、じゃじゃーん、と母がエコバッグから購入したばかりの牛乳パックを覗かせてきた。どうやら主婦は冷蔵庫の中身を完全に把握出来ているらしい。
「今日はあんまり降らないと良いけど」
冷凍食品をしまいながら母がぼそりと呟く。冬は嫌いではないけれど積もる雪は面倒くさい。
そうだね、と返事をして食器棚の扉を開けた。
『疲れた』
『疲れた』
『限界なので俺は夜食タイム入ります』
『今日の夜食何』
『こちらです』
『いいなーーーラーメン食いてーーー』
『俺のは?俺のは?』
『うち来ればある』
『無理』
一般組が夜食について盛り上がっている。同じグループに属するおれともう一人の推薦組は静かに見守っている、頑張っている彼らをあまり刺激してはいけない。
普段あまり触れないようにはしているけれど、未読スルーもあまりしたくない。一般組だけでグループ作ったりしてないのかな、と少し思わないこともないけれど改めて作るのも面倒なのだろう。良くも悪くも裏表のない連中だった。
どんどん貯まっていく通知を消すために開いたそこには、それはそれは美味そうなラーメンの画像が表示されていた。別の友人も対抗したのかカップ麺の画像を上げている。
時間を見る。夕飯から三時間程度経っている、もう寝ても良いけれど食らった飯テロのせいで急激に空腹を覚えてしまった。
カップ麺の気分ではない。少し悩んでコートを手に取った。スエットだけど少しの時間だから問題はないだろう。
「あれ。どっか行くの?」
「コンビニ。肉まん食いたくなった」
「今から? 気を付けてねえ」
家の外は相変わらず積もっていたけれど、今のところは晴れているようだった。月明かりに照らされて雪が白く反射している。
出来るだけ足跡のないところを選んでぎゅむぎゅむと歩く。踏み固められたところは一見歩きやすいようでいて、その実滑るから却って危ない。
「さむ」
はあ、と吐き出した息が煙草みたいだった。吸ったことはないけれど、何となく面白くて細く吐いたり大きく吐いたりを繰り返す。
白いそれが流れていった先を目で追うと、愉快そうにあいつが目を細めてすぐ横でおれを見下ろしていた。
「がきだね」
「……うざ、着いてくんなよ」
さすがに外では警戒して、小声でぽそぽそと話す。こいつに鈴とかを持たせられないものなんだろうか、居るのか居ないのかだけでも分かれば多少気が楽になるのに。
足元の雪を掴んで適当に握り締めてそれに投げると、やっぱり通り抜けて向こうのブロック塀に当たった。あは、とまたそいつが笑う。
「まじむかつくな、一回くらい当たれよ」
「頑張って当ててみれば?」
「無理だから言ってんだろ」
向こうから物やおれに干渉することは出来るのに、こちらからは出来ないのはどういう理屈なのだろうか。聞いたこともあるけれど、さあ、としか返されなくて面白くなかった記憶がある。
普段なら徒歩で五分のコンビニが雪のせいで遠く感じる。明日は晴れるだろうか、天気予報はまだ見ていない。
再度大きく息を吐く。今度は行く末は追わなかった。
「ありがとうございましたー」
ビニール袋に幸せな重みを感じる、ついつい買いすぎてしまった。おでんの匂いとはどうしてあそこまでそそられるものなのだろう。
目当てだった肉まんもまだ残っていて良かった。結露で皮がべたついたそれに思い切りかぶり付く。歩きながらは少し行儀が悪いけれど、注意してくる者も居ない。
雪が音を吸って誰の気配もしない、静かな夜だった。
「何買ったの」
「見てたろ。肉まんとおでんだよ」
「ふうん」
「サイダーも買った」
不意に車のライトが道を照らした。元より住宅街の生活道路で、今は雪のせいで更に道幅が狭くなっている。歩道がなければ縁石もないような道だ。側溝だけは立派にあるのに。
慌てて端に身を寄せると、ほんの少しだけ山になっていた雪に足を取られた。通り抜ける車を見送りながら体勢を立て直す。
「あぶね、」
何勝手に転んでるの、とつまらなそうに顔を覗き込むそいつに、まだ転んでないと返してふと足元を注視する。
おれの足跡一人分しか付いていない雪道に、少し便利だな、と思った。路面状況がどうあれこいつは転ぶことはないのだろう。
「どんくさいね」
ほんとうざ、と吐き出したおれの一人分の白い息が夜の風に流れて消える。食べ終わった肉まんの包みを袋に突っ込んで、コートを顎まで引き上げた。指に触れた鼻はずいぶん冷たくなってしまっている。
冬の空気にどれだけ晒されようとも白くも赤くもならないそいつの顔に、やっぱりこいつは生きてる人間じゃないんだな、と今更ながら思った。
帰宅後開いたスマホでは、まだ飯テロが続いていた。おれもがんばる、と買ったばかりの商品の写真を添付して送信する。
一斉に『何を?』『何を頑張るの?』と突っ込みが入った。特に何も頑張る予定はない。
直後、別の友人がにんにくの匂いがこちらまで伝わってきそうなもやしと分厚い焼豚で彩られた山盛りのラーメンの画像を無言で上げた。全員で心からの『優勝』という賛辞を送る。
大根を齧りながら、そっちもありだったな、と少し悔しくなってメッセージアプリを閉じた。
買ってきたサイダーを開けようとすると、あり得ないくらいに炭酸が噴き出して慌ててキャップを締め直した。ティッシュを手繰り寄せて濡れた部分を急いで拭く。ズボンまで濡れてしまった、最悪。ベッドに座って開けるんじゃなかった。
シーツは無事だったかと視線を落とすと、ふは、とあれの笑い声がした。
見上げたそこであいつが肩を振るわせている。もしかして、と唸ると、やはりそいつはげらげらと笑い出した。
「お前やった?」
「く、ふふ、おまえそれ、漏らしたみたいだね」
「ほんとさあ……」
グレーの服は濡れた部分が分かりやすい。サイダーを買ったなんて言うんじゃなかった。
遅い時間に文句を言うのは憚られて、押し込めるように改めてキャップを捻った。着替えは後でいいや、とどうでもいい気分だった。炭酸の抜けたそれは酷く甘ったるく感じて、ちっともすっきりしていない。
がきなのはどっちだよ、ほんとに。




