表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/12

第9話 なんかさ、自分ちみたいで

 ドアが閉まった音が、まだ耳の奥に残っていた。


 ローテーブルのコップを、流しに運ぶ。二つ。


 タブレットは片付けた。


(……静かだな)


 静かなのに、昨夜までの賑やかさが、まだ耳の奥に残っていた。


 ——徹夜明けの疲れが、急に身体に落ちてくる。


 冷蔵庫を開けかけて、やめた。


 俺は、そのまま寝ることにした。


◇ ◇ ◇


 数日が経った。


 和太郎さんの配信日。夕方、スマホが震えた。


 『今日、ちょっと早めに行っていい? コンビニでよければ晩ごはん買ってくけど。リクエストある?』


 和太郎(わたろう)さんからのDMだった。


 『全然いいですよ! パスタ系があれば、それでお願いします』


 しばらくして、チャイムが鳴った。


「おじゃましまーす」


 薄手のロング丈プルオーバーにレギンス。手にはコンビニの袋。パスタに、中華丼。いつものプリンと炭酸水。


「リクエスト通り、パスタね。季節の和風のやつ」


「ありがとうございます」


 迷いのない足取りで、和太郎さんがリビングに上がった。


 洗面所の歯ブラシは、二本並んだまま。戸棚の中のコップは、定位置にある。


(……前からあったっけ)


 自分で買った記憶が、曖昧だった。歯ブラシの予備も、コップも、いつの間にか「そこにある」状態になっていた。


紗雪(さゆき)ちゃん?」


「あ、いえ。お茶、出しますね」


 冷蔵庫からお茶を出す。コップを二つ並べるのは、もう手癖だった。


 ソファに並んで、配信前の晩ごはんにした。


 和太郎さんは中華丼の蓋を開けて、割り箸を割った。


 ソファの上で胡座をかいて、かきこんでいる。


 ロング丈のプルオーバーが膝まで被さって、すっぽり収まっていた。


 タブレットで誰かのアーカイブを流しながら。


 俺も和風パスタのフィルムを剥がした。大葉の匂いがふわっときた。


 ——そうだ。


「そういえば」


 つい、口が動いていた。


「この前言ってた弟さんって、どんな感じの人なんですか」


 和太郎さんが、ふと目を瞬かせた。


「あれ、覚えてたんだ」


 お茶に視線を落とした。


「なんとなく気になって」


「ふーん」


 和太郎さんは、少しだけ笑って、お茶を置いた。


「弟ねぇ。けっこう年離れててね、まだ大学生」


「あ、そうなんですね」


「今はあんまり会わないかな。受験のとき何週間かうちに泊まりに来てたけど、それっきり」


 声の調子が、いつもより柔らかかった。和太郎の豪快さでもない、いたずらっ子のからかいでもない。——姉としての顔だった。


「最近ね、ゲーム配信にハマっちゃってて。自分もやりたいって——あ、VTuberじゃなくて顔出しの方ね。好きな配信者がいるらしくて」


「あ、顔出し」


「大学入ってから、そっち系にハマったみたいでね」


「そうなんですね」


「配信やりたいって言われたとき、無駄にドキッとしちゃってさ」


 和太郎さんが、困ったように笑った。


「……わかります。身内にそれ言われたら焦りますよね」


 話題が、自然に広がっていく。


「紗雪ちゃんとこ、最近コメント増えたよね。新しい人も来てない?」


「あ、わかります? 常連さんが話を振ってくれるおかげで、新規の人も書き込みやすくなったみたいで」


「いいねぇ。うちはね、古株がもう勝手に仕切ってくれてるから楽なんだけどさ」


「和太郎さんのところ、コメント欄の空気いいですよね。ツッコミの間とか絶妙で」


「あれは常連さんの芸だよ。私が育てたわけじゃない」


 タブレットの画面が切り替わって、誰かのVR配信が映った。薄暗い西洋の城の中を歩いている。壁に蝋燭が並んでいた。


「あっ、これ。ムチで敵倒すやつに似てない?」


「ああ、階段で落とされるやつ」


「それそれ! 子供の頃めっちゃやってた。思い出すなぁ」


 遠くを見るような目で、お茶をすすった。


(子どもの頃の和太郎さん、どんなだったんだろう)


 和太郎さんが、お茶のコップを両手で包んで、ふっと息をついた。


「なんかさー」


「はい?」


「自分ちみたいに落ち着くな、ここ」


 ——っ。


(……ああ、いや)


 曖昧に笑い返して、お茶をすする。


 ——この部屋に越してきた日の、何もなかった景色がよぎった。


 和太郎さんは何も気づかずに、画面を見ている。


「さ、そろそろ配信の準備しよっか」


 立ち上がって、ぐっと伸びをした。


「——よっしゃ、今日もいくかぁ!」


 和太郎の呼吸だった。


◇ ◇ ◇


 配信が終わって、和太郎さんが帰っていった。


 ドアが閉まった。


 ——静かだ。


 ローテーブルのコップを、流しに運ぶ。


 洗面所の歯ブラシが、二本並んでいる。


 ——どの動作にも、和太郎さんの痕跡があった。


(……いつのまに、こんなになったんだろう)


 口から零れそうになった言葉を、飲み込んだ。


 いつもの静けさのはずなのに、今日は落ち着かなかった。


もし面白いと感じられたら、★★★★★やブックマーク、レビュー、ご感想など何卒~!


本当に嬉しいし励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ