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第8話 わたさゆシークレット

 終電が、なくなっていた。


 スマホをもう一度覗き込んだ。最終は十五分前に出ている。


「……あー」


 和太郎(わたろう)さんが、天井を見上げたまま固まっている。


「……明日って仕事休み?」


「休みです」


「ほんっと申し訳ないんだけど、始発までいさせてもらってもいい? 何もしないから!」


「……はい!?」


 両手をぶんぶんと胸の前で振っている。眉が下がって、目はまん丸。


「ほら、あの、ね? 何もしないからね!?」


(何を言っているんだ、この人は)


「——だってよ」


 低い声だった。和太郎の声だった。


おっさん(和太郎)美少女(紗雪)だぞ!? どう見ても通報案件じゃねえか! 何かあったら長文スクショ添付ツイートで晒されて、活動終了だからな!?」


 ——腹の底から声を出して、和太郎さんが言い放った。


 でも現実は真逆だ。女性と、普通の男。


 事案なのは、どっちかといえばこっちの方で——


「……っ、ふ」


 笑ってしまった。


 和太郎さんも笑っている。おじさんの声で、女の人の顔で。


「ね? だから大丈夫。——紗雪ちゃんじゃなきゃ、こんなことお願いできないし」


 和太郎さんがこちらをじっと見ている。返事を待っている顔だった。


 ——あの声を出すとき、和太郎さんの指先が少しだけ握り込まれていたのを、見なかったことにした。


「……わかりました。じゃあ、夜食でも買ってきます?」


「おっ、いいじゃん。いこいこ!」


 和太郎さんがくるりと玄関の方を向いた。さっきまでの低い声が嘘みたいに、肩の力が抜けていた。


 始発は、五時十三分。あと五時間。


◇ ◇ ◇


 戻ってきた頃には、夜風で頬が冷えていた。五月の深夜はまだ上着がいる。


 会計は和太郎さんが引き取った。「お邪魔するんだから」だそうだ。


 買ってきたお菓子をローテーブルに並べた。ポテチ、チョコ、グミ。


 袋の底に、歯ブラシが残っていた。


「あ、それ洗面所置いていい?」


「……どうぞ」


 和太郎さんが歯ブラシを持って洗面所に消えた。戻ってきたときにはもうポテチを開けている。


「せっかくだし、作業しよっか。BGM代わりに何か流す?」


「……じゃあ、誰かの配信アーカイブでも」


 ソファに並んで腰を下ろして、ローテーブルにタブレットを立てかけた。他の個人VTuberのアーカイブを流す。


 ——三十分後。


 俺たちはどちらも、作業を始めていなかった。


 ふと立ち上がった拍子に、冷蔵庫からお茶を出していた。コップを二つ並べてから手が止まった。


(……配信でもないのに)


 和太郎さんは画面から目を離さずにコップを受け取った。ありがと、と小さく言う声が、もう完全にだらけていた。


 お互いソファに体重を預けて、タブレットの方を向いている。お互いの顔は見えない。


 それだけで、なぜか声が出やすくなった。


「手だけのVTuberもいるんですね……右手ライトさん?」


「いるいる。この人ね、喋らないんだけど、手の動きが妙に達者で見てて飽きないんだよね」


「動きだけで……」


「うん。手だけぶんぶん振ったり、ピースしたり。何か伝わってくるんだよね」


「個人は何でもありだよ。商業みたいに売れなくてもいいし」


 話題が飛ぶ。タブレットの画面が変わるたびに、別の話になる。


「弟がさ、ゲーム実況始めたいとか言い出してて」


「弟さんいるんですか」


「うん。けっこう年離れててね、まだ——あっ、ちょっと待って待って、見てこれ」


 和太郎さんが急にタブレットを指差した。画面の中で、配信者がレトロゲーの隠し落とし穴に派手にハマっていた。


「あー、痛い痛い痛い。これ罠だってわかんないんだよなぁ」


「初見殺しですね……」


「私もこれ初見でやられたんだよね。同じとこで」


 時計を見ていなかった。見なくていい夜だった。


 ——レトロゲーの話題になった。画面に映った配信者が、昔のRPGのBGMを口ずさんでいた。


「あー、これ懐かしい。おじいちゃんの家にあったやつだ」


 和太郎さんの声が、一瞬だけ変わった。


「……おじいさん?」


「うん。おじいちゃんの影響でね、レトロゲーム」


 それだけだった。すぐに画面に目を戻して、「あ、この人のゲーム選び面白い」と話題が移っていった。


 ——口を開きかけて、やめた。和太郎さんの横顔が、もうタブレットの方を向いていた。


◇ ◇ ◇


「あ、ちとせさん配信してる。珍しい」


 タブレットの画面に、和風ロリアバターが映っていた。千歳飴モチーフの着物姿。配信中の乙奏(おとな)ちとせさんだ。


 俺はスマホで紗雪のアカウントを開いて、コメントを打ち込んだ。

 『こんばんは~。久々の配信ですね~』


 画面の中のちとせさんが「あ、紗雪ちゃん来てくれた〜! ありがと〜」と手を振った。


 隣で和太郎さんも、笑いながらスマホを操作している。


 『おっ、元気してたか~』


「和太郎さんも来た〜! 今日豪華メンバーじゃん」


 画面の中のちとせさんが嬉しそうに笑っている。


 ——和太郎さんと顔を見合わせた。


 ちとせさんの画面の中では、二人は別々の場所からコメントしているはずの知り合いだ。


 俺たちが今、同じソファでこれを見ながらコメントしていることなんて、想像もしていない。


「この前VRで会いましたよ」


「わーそうなんだ、元気だった?」


「たこ焼きでした」


「たこ焼き!?」


「パックの。六個入りの。手足が生えてる」


「なにそれ!? いや全然想像つかないんだけど」


 画面の和風ロリちとせさんは上品に喋っている。あのたこ焼きと同一人物だと思うと、深夜テンションも相まって笑いが止まらなくなった。


「あはは、VRの姿知ってると別物すぎるよね」


「かつお節が揺れてました」


「ぶふっ……いやだめ、想像したらだめ……かつお節がぁ……」


 和太郎さんが腹を抱えている。


 笑いが収まった頃、和太郎さんがタブレットの画面をぼんやり見たまま呟いた。


「ねえ、今のこの状況って何て言えばいいんだろうね」


「……リアルコラボ? ですかね」


「でもこれ配信じゃなくてシークレットだし」


「リアルシークレットコラボ……?」


「なっが。あと名前入れとこ。わたさゆで」


「わたさゆ……リアルシークレットコラボ」


「だから長いって。わたさゆシークレットでいいんじゃない」


 ——その名前が、妙にしっくりきた。


 長い名前が、二人の間で削られていく。「リアル」が落ちた。「コラボ」も落ちた。


 残ったのは二つだけだった。


「わたさゆシークレット。……いいですね」


「でしょ?」


 和太郎さんが膝を抱えて、満足そうに笑った。


 ——笑いが、少しだけ引いた。


 タブレットから配信の音だけが鳴っている。和太郎さんはもうこちらを見ていなくて、画面のちとせさんをぼんやり眺めていた。


 この人には言えない。誰にも言えない。


 言葉にしてしまうと、この時間が秘密になる。秘密になる、ということは——たぶん、もう普通じゃない。


 和太郎さんが何を考えているのかはわからなかった。膝を抱えた姿勢のまま、ただ画面を見ている。


 深夜の空気が、ほんの少しだけ静かになった。


◇ ◇ ◇


 タブレットの音が、遠くなっていた。


 お菓子の袋は空になっている。エアコンの微かな音。和太郎さんの声がゆるやかになって、返事が遠くなって——


 意識が、落ちかけた。


 ——柔らかいものに頭が触れた。肩だった。シャンプーの匂いが、近すぎた。


「——っ」


 跳ねるように身体を起こした。心臓がうるさい。


「す、すみません」


「いいよ別に。眠いなら寝なよ」


「あ、いえ、大丈夫です(あきら)さん」


 ——口から出ていた。


 和太郎さんが、ぴたりと止まった。


 俺の脳が、三秒遅れて理解した。


「あっ、いや、その」


「……ふふっ」


 和太郎さんが、口元を押さえて笑っている。半分本気で面白がっている顔だった。


「やっと呼んでくれた」


「……いや、寝ぼけてただけで」


「ふーん?」


「本当です」


「やだ、覚えとく」


 心臓がうるさい。完全に目が覚めた。


 俺は——もう眠れなくなっていた。


 仕方がないから、一緒にタブレットを見るふりをした。


◇ ◇ ◇


 窓の外が、白くなっていた。


 カーテンの隙間から差す光。タブレットもいつの間にか暗くなっていた。いつスリープしたんだったか——和太郎さんが消したのか、俺が消したのか、覚えていない。


 隣で和太郎さんが伸びをした。


「うわー、徹夜しちゃった。久しぶり」


「俺もです……」


 目の下が少しだけ重い。でも、嫌じゃなかった。


 和太郎さんがソファから立ち上がった。


「お茶でも飲む?」


「あ、俺が——」


「いいから座ってて。昴さん寝かけてたじゃん」


 和太郎さんが冷蔵庫を開けて、お茶を二つ出している。手慣れていた。


 ——うちの冷蔵庫なのに、俺より迷いがない。


「はい、お茶」


 コップを受け取る。冷たい。少しだけ目が覚めた。


 和太郎さんがローテーブルのお菓子の残骸を片付け始めている。これも手慣れていた。


 ——ちゃんと言わなきゃ。


「……和太郎さん」


「ん?」


「昨夜はすみませんでした」


「何が?」


「終電とか、色々」


 和太郎さんの手が止まった。


 こちらを見て、ふっと笑った。


「——楽しかったのに、なんで謝るの?」


「…………」


「私は楽しかったよ。わたさゆシークレット」


 お菓子の袋をゴミ箱に入れて、手を払った。


「またやろうね」


 玄関に向かう背中を見送った。


 ドアが閉まった。


 ——静かだ。


 ついさっきまで、この部屋には人の声があった。今はエアコンの微かな音が、天井から落ちてくる。


 ローテーブルの上には、お茶のコップが二つ。

 スリープしたままのタブレット。

 ソファのクッションには、二人ぶんのへこみ。


 洗面所には、二本の歯ブラシ。


 ——人がいた、ということだけが、部屋に残っていた。


 昨夜の感触は、まだ消えていなかった。

今回、いろんなことが動き出しました。2人で夜を越すからこそ見えてくることも


もし面白いと感じられたら、★★★★★やブックマーク、レビュー、ご感想など何卒~!

本当に嬉しいし励みになります!

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