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第38話 行ってらっしゃい

 展示会当日——。


 秋葉原UPXの入口は、八月の日差しと人混みで蒸していた。


 一般来場者用のリストバンドを巻いて、中に入った。


 正面の大画面ステージから、司会のアナウンスが響いている。


『続きまして大画面ステージ! 「グランドクライムVI」先行プレイ実況、まもなくスタートでーす! 出演は——』


 歓声。人だかり。有名個人Vの名前が飛び交っている。


 来場者の多くがそちらに流れていく。


 どんなものか覗いてみたが、人垣が厚くて画面がほとんど見えない。


 まあいいか、と足を進めた。


 少し奥にVRゾーンがあった。ヘッドセットの試遊コーナーに列ができている。


 壁面の大型モニターにソーシャルVR内の映像が流れていた。


 VR界隈では活動する二人のVTuber、だんじにっぽんとミセスVRが並んで、来場者にVR空間を案内している。画面の中でわいわいやっている。


 ——その後ろに、見覚えのあるアバターが映り込んでいた。


 たこ焼き……じゃない。今日はソフトクリームだ。


 相変わらずのちとせさんだった。


『はーい、目の前のおにーさーん。こっちから見えてるよ~』


 スクリーン上のカメラに映った会場の様子が、VR空間に投影されているらしい。ちとせさんがこっちに手を振っている。


 ……こっちが紗雪の中身だと気づくはずもない。


(……楽しそうだな)


 ……今度は何か、自分でも出てみたいな。紗雪として。


 そんなことを考えながら画面に手を振った。


 会場は広い。ジャンルごとにゾーンが分かれていて、どこからも音が聞こえる。


 実機の電子音、笑い声、配信のBGM。


 インディーゲームのゾーンで足が止まる。


 試遊台に見たことのないドット絵のアクションが映っていて、つい手が伸びた。


 思いの外難しい。三面であっさりやられて、コントローラーを置くとき指が少し湿っていた。


 歩いていると焼きそばの匂いが流れてきた。


 屋台の前のテーブルで、二人連れが焼きそばを分け合っている。


 なんとなく目が留まって、なんとなく通り過ぎた。


◇ ◇ ◇


 和太郎ブースは会場の隅の方にある。


 大画面側に比べると静かだけど、足を止めている人たちの表情が明るい。


 画面を覗き込んでうなずいたり、小声で「これ知ってる」と話したりしている。


 ブースの前で、二人連れがモニターを覗き込んでいた。


 小柄で小動物系の可愛さのある女性と、恰幅の良いおじさん。


 女性の方がなぜか恥ずかしそうにもじもじしていて、おじさんがそれを温かい目で笑っている。


 俺が近づくと、二人は手を繋いで隣のブースに移っていった。


 入れ替わりにモニターを覗くと、潜入ゲームのアーカイブが流れていた。


 画面の中で段ボール箱がこそこそ移動している。


 顔を上げると、和太郎ブースの案内ポスターが目に入った。ハイパーナゲットとのコラボポスター。

 

 実機写真がどーんと載っている。アキラさんが言ってた通りだ。これはいいものだ。


 アーカイブ映像が壁面モニターで流れている。


 ——紗雪の声が聞こえた。


 画面の中で、和太郎と紗雪が笑い合っている。格ゲー回だ。


 ブラック紗雪が暴れている。前を通った来場者が「これ面白いな」と足を止めた。


 ……しぶしぶ許可した甲斐があったかもしれない。


◇ ◇ ◇


 スタッフ通路の方に目をやると、アキラさんが女性と話しているのが見えた。


 見覚えのない人だった。会社の人だろう。


 何か笑い合って、アキラさんが軽く頭を下げた。


 それから、こっちに向かって歩き出した。


「おまたせー! 休憩もらった!」


 スタッフパスを首から下げたまま。白いブラウスに紺のスラックス。仕事着だった。髪はいつもより丁寧にまとめてある。


「ブース見た?」


「見た。ポスターいいね」


「でしょ! 実機写真のインパクトすごいよね」


 二人で和太郎ブースの前に立った。アキラさんがPOPの位置を微調整している。


 スタッフの顔と、和太郎の中の人の顔が、一瞬で切り替わる。


「ごはん行こ。おなかすいた~」


 会場の外に出ると、屋台が並んでいた。


 カレーとサラダを買って、空いているテーブルに座った。


 日差しはテントで遮られているけど、風がぬるい。


「VRゾーンすごかった。ちとせさんいたよ」


「あー、いそう。見たかったな~」


「大画面の方は?」


「チラッとだけ見たよ」


「もったいなー。結構盛り上がってたのに」


「和太郎ブースの方が面白い」


「……えへへ」


 素で笑った。スタッフモードが一瞬で剥がれる。


「ハイパーナゲットの実機コーナー、みんないい顔して遊んでたよ」


「ほんと? 嬉しいなぁ。あとね、ポスター写真に撮ってくれてる人いたんだよ」


「見た。何人かいた」


「うわー、田所さんに報告しよ」


「田所さん、来てるの?」


「うん、さっき話してた人。田所さんがいると現場の仕切りが安心できるんだよね。お子さんいるのに今日も来てくれてて、旦那さんが見てくれてるんだって」


 ——お子さん。旦那さん。


「……あ、女性なんだ」


「え? 言ってなかったっけ」


 なんだろう。少し、拍子抜けした。


 アキラさんがカレーを食べながら、ふと大画面ステージの方を見た。


 遠くから、歓声が聞こえている。


「……れとろだったらさ、あっちに立ちに行こうとしてたかもね」


 声が、軽かった。風に乗せるみたいに、さらっと。


「和太郎さんのブースがいい。れとろの思いも引き継いでる分、強い」


 アキラさんが、スプーンを止めた。


 一秒。それから、笑った。


「……そっか。ありがと」


 その笑い方は、和太郎でもなかったし、配信後のテンションでもなかった。


 目が少しやわらいで、口元だけが緩んでいる。ただ、嬉しそうだった。


 カレーを食べ終えて、トレイを片付けた。会場に戻る途中、アキラさんがスマホで時間を確認した。


「そろそろ戻らないと。——ゆっくり見てってね」


「行ってらっしゃい」


 軽く言った。アキラさんがぶんぶんと手を振って、スタッフ用の通路に消えていった。


◇ ◇ ◇


 一人で和太郎ブースに戻った。


 さっきと同じ場所に立った。アーカイブ映像が流れている。


 紗雪の声がまた聞こえる。画面の中の自分たち。


 推しゲー紹介のPOPが並んでいる。


 レトロゲー好きの個人Vが一枚ずつ書いたもので、和太郎のカードはブース代表として一番上に掲げてあった。


 他のVのカードも一枚ずつ読んだ。


 選んでいるゲームも語り口もバラバラで、でもどれも熱い。つい読み込んでしまう。


「お、これ懐かしいな」


 隣にいた親子連れの父親が、POPを指さして笑っていた。男の子が「どれどれ?」と背伸びしている。


 ハイパーナゲットの実機コーナーに移動した。ファミコンの実機を触った。ブラウン管の画面が眩しい。


 初期コントローラーの角ばった感触が指に馴染む。


 二面をクリアしたところで、隣で順番を待っていた女性に話しかけられた。


「実機触れるの、ほんと貴重ですよね。令和にこの体験ができる場所ってなかなかないので」


 ——丁寧な話し方の、穏やかな女性だった。


「……ですね」


「和太郎さんのセレクトがまたいいんですよ。渋いんですけど、ちゃんと理由があるっていうか——あっ、すみません、語りすぎですよね。再生リスト全部入れてるくらいには好きなんです。推しなので!」


 ——最後だけ、急にテンションが上がった。熱い人だ。


 目の前では、スタッフとしてブース間を行き来するアキラさんの背中がときどき見える。


 忙しそうだった。でも動きに迷いがない。


 翻って、俺はスタッフでもない。出展者でもない。ただの客。


 ——でも、それでいい。見たかったものは、見れている。


◇ ◇ ◇


 閉場のアナウンスが流れた。来場者が出口に向かっていく。


 アキラさんが小走りでこっちに来た。額に汗が光っている。


「おつかれさま。楽しかった?」


「楽しかった」


「よかったー。——あのね、打ち上げ行ってくるね。会社の方の。夕飯はそっちで済ませちゃうから、先に食べてて」


「行ってらっしゃい」


 さっきと同じ言葉のはずだった。でも、少しだけ声が柔らかくなっていた気がする。


 アキラさんが、一瞬だけ目を見開いた。


「……うん。行ってきます」


 和太郎と同じサムズアップが、さっきの屋台の笑顔に重なった。


 同じ人の、同じ手なのに。


 笑って、スタッフ通路に走っていった。


◇ ◇ ◇


 秋葉原の夜は、まだ暑かった。


 帰宅して、静かな部屋。エアコンをつけた。


 冷蔵庫から麦茶を出して、一杯注いだ。冷たい。うまい。


 ……ふう。


 ソファに座った。スマホを開いた。


 SNSのイベントハッシュタグで、来場者の写真が上がり始めている。


 ブースの前で撮った写真。実機で遊んでいる写真。あのポスター。


 ——あの場所に、和太郎・れとろ(アキラさん)の全部があった。


 しばらく写真を眺めていた。テレビはつけなかった。


 エアコンの音だけが鳴っている。


 静かだった。でも、嫌じゃなかった。


 今日は、いい一日だったと思う。


(……いい、一日だった)


 ——玄関の外から、階段を上がる足音が聞こえた。カンカン、と軽い音。


 アキラさんはまだ打ち上げのはずだけど。隣の部屋か?


 玄関ドアの開く音。


 早い。思ったより、ずっと早い。


「ただいまー! 1次会だけで帰ってきちゃった」


 靴を蹴るように脱ぐ音。スリッパがぱたぱた近づいてくる。


 がさり、とコンビニ袋の音がした。


「……おかえり。早かったね」


「えっとね——」


 リビングに入ってきたアキラさんが、コンビニ袋を持ち上げた。チューハイとつまみが覗いている。


「……うちらだけの、打ち上げしよ?」


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