第24話 転生したら、映し合ってた
マンションを出ると、夜の風が髪に触れた。
五月の夜は、少しだけぬるい。
アキラさんが、サンダルの先で軽くアスファルトを蹴った。
こつっと、薄い音がした。
「あー、外、気持ちいいー」
俺は、二歩遅れて隣に並んだ。
耳の奥で、まだ薄く息の感触が残っていた。
自分の心臓の音が、まだ少しだけ不規則だった。
「コンビニ、いつものとこでいい?」
「そうですね」
夜の道に、二人の足音が薄く重なった。
道の脇で、誰かの家の窓に、テレビの薄い光が見えていた。
アキラさんの歩幅が、いつもよりほんの少しだけゆっくりだった。
「あのね」
アキラさんが、視線を前に向けたまま口を開いた。
「パルサーさんのことなんだけど」
一拍。
声が、ほんの少しだけ低かった。
しばらく、二人の足音だけが流れていた。
「あの人ね、最初はほんと、熱心だったんだよ」
「私が色々やるようになって、少しずつコメントが変わってきてね」
「ASMRとか手を出した辺りから、アンチコメントとかセクハラコメントも、増えてきて」
俺の指が、ふっとこわばった。
胸の奥で、何かが熱くなった気がした。
……。
言葉が、すぐには出てこなかった。
コンビニの明かりが、すぐそこに見えていた。
◇ ◇ ◇
コンビニの自動ドアが、ピンポンと軽い音で開いた。
白い照明が、目にふっと差した。
冷蔵棚の前で、アキラさんが缶を二本、手に取った。
レモンと、グレープフルーツ。
「いつもの! 何本か買っとこ」
「追加しておきましょうか」
もう二本、棚から手に取った。
お菓子の棚で、アキラさんがナッツとチップスを両手に持って、見比べていた。
「ナッツとチップス、どっち?」
「……どっちでも」
「じゃ、両方」
ふっと笑った。
レジで、ピッと軽い音がした。
コンビニの袋を、俺が受け取った。
ずっしりと重みが手に来た。
◇ ◇ ◇
夜の道を、また二人で歩いた。
コンビニ袋が、カサカサと薄く鳴った。
空には、半分くらいの月が薄く浮かんでいた。
しばらく、二人の足音だけが流れた。
「……」
「セクハラは、許せないですけど」
一拍。
「あの人が、本当にレトロゲー好きだったのは、なんとなく伝わってきます」
アキラさんの足が、ふっと遅くなった。
俺の足も、自然に遅くなった。
「……うん」
一拍。
「そう、だからこそ、裏切られたって、感じたんだろうなって」
一拍。
アキラさんが、ふっと息を吐いた。
「変わったのは、リスナーじゃなくて私だった」
また、二人の足音だけが流れた。
「数字追って、自分の軸見失って、色々やりすぎて」
「どんどん疲弊してね」
「ある日ね、仕事で、結構大きなミスしちゃって」
「……」
信号が赤になった。
二人で、立ち止まった。
「もう、駄目だなって思って」
「焔れとろは、引退したんだ」
信号が青に変わった。
しばらく、歩く音だけが流れた。
「でね、半年くらい何もせず、休んでたの」
「でもやっぱり、レトロゲーを広めたいって思いは、変わらなくてさ」
「今度は無理のない範囲で、本当に好きなことだけ、少しずつやろうかなって」
アキラさんの声が、少しだけ温かくなった。
「同じ声でバレてもなんだし、性別ごと変えちゃって」
「で、和太郎。いわゆる、転生ってやつね」
VTuberが、別のキャラで再デビューすること。俗に「転生」と呼ばれている。
「声の方は聞いての通り、びっくりするくらい上手く出ちゃってさ」
一拍。
「おじいちゃんの、おかげかも」
ふっと笑った。
「いやー、『転生したら、昭和のおじさんだった』みたいな、ね」
軽く、笑った。
俺は、しばらく考えた。
「……つまり」
「焔れとろさんが、本来の動機を取り戻して、和太郎さんに転生した」
「ってことは」
「和太郎さんの中には、本当のれとろさんも、ちゃんと生きてるんですね」
アキラさんが、ふっと、こっちを向いた。
目が、ふっと揺れた。
「……」
「……うん」
「……うん、そうだね」
声が、少しだけかすれていた。
「……ありがと」
二人の足音だけが、しばらく流れた。
「あ、そういえばさ」
「紗雪ちゃんって、前世はある?」
「……いえ」
「紗雪が、初めてですね」
「そっかー」
一拍。
「じゃあ、大事にしなね」
「私、紗雪ちゃんのこと、大好きだから」
俺の足が、少しだけ乱れた。
「……はい」
また、少し歩いた。
アスファルトを踏む音が、二つ重なっていた。
「アンチコメも、たぶん」
「根っこにあったのは、レトロゲー愛だったんだよね」
「……」
「私が本来やりたいこと出来てる自分に戻ったら」
「あの人も、本来の純粋なファンとして戻ってきた」
「戻ってきたっていうのも変かな? 姿も声も違ってて、中身が同じだって気付かれてもいないのに」
一拍。
「……きっとお互い、映し合ってたんでしょうね」
アキラさんの足が止まった。
俺も、自然に止まった。
街灯の下で、二人の影が薄く伸びていた。
夜の音が、ふっと聞こえてきた。
遠くの車の音、葉ずれの音。
アキラさんが、空を見上げた。
笑わなかった。
少し経って、また歩き出した。
俺も、半歩遅れてついていった。
マンションのエントランスが、見えてきた。
◇ ◇ ◇
玄関のドアが、軽い音で開いた。
コンビニ袋を、ローテーブルに置く。
ガサっ、と、ビニールが薄く鳴った。
「ふー、話しちゃったね」
アキラさんが、両手を上に伸ばした。
Tシャツの裾が、少しめくれた。
「アキラさん」
「ん?」
「……話してくれて、ありがとうございます」
「……!」
アキラさんが、ふっと顔をそむけた。
「ちょっと洗面所行ってくる〜」
声が、少しだけ震えていた。
アキラさんが、廊下の方へふらりと消えた。
——廊下のドアの、向こうから。
グスッ、と小さな音が聞こえた。
俺はコンビニ袋から二本だけ残して、缶をひとつずつ、冷蔵庫に入れていった。
アルミの冷たさが、指先にしみた。
しばらく、台所に立っていた。
冷蔵庫の唸る音だけが、薄く続いていた。
手のひらは、まだ缶の冷たさを覚えていた。
水を流す音が聞こえた。
しばらくして、また止まる。
しん、とした。
廊下のドアが、開く音。
「お待たせ」
アキラさんが戻ってきた。
髪を軽く、整え直していた。
目が、少し赤かった。
俺は、何も言わなかった。
「じゃ、飲み直そっか」
声はもう、いつも通りだった。
◇ ◇ ◇
俺たちは、ソファに戻った。
ローテーブルの上に、コンビニ袋から缶を二本、取り出す。
レモンの方を、アキラさんに渡した。
俺は、グレープフルーツの方を開けた。
プシュッと軽い音がした。
カチン。
軽く、合わせた。
一口飲むと、冷たい炭酸が舌の奥ではじけた。
アキラさんが、ふっと息を吐いた。
「聞いてくれて、ありがと」
短い言葉だった。それだけだったのに、なんだか元気をもらえた気がした。
「あ、そういえばさ」
アキラさんが、缶をふっと傾けた。
「次は、紗雪ちゃん始めた理由、もっと詳しく聞かせてもらおうかなー」
「……和太郎さんがきっかけ、でした」
「それは前聞いた。それ以外も、絶対あるでしょー?」
「……機会があれば」
「えー、絶対だよー」
ふっと笑った。
アキラさんの柔らかい笑顔に、ほんの少し元気が戻っている気がした。
お互いに何か、心の余裕の様なものが回復した。そんな感触。
壁の時計が、また薄く鳴った。
夜は、まだ続いていた。




