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第23話 焔 れとろ

 壁の時計が、また、薄く鳴った。


 アキラさんの指が、缶のラベルの端にまた戻った。

 爪先が薄いラベルを、少しずつめくっていく。

 めくれた紙の端が、手のひらの熱で薄く湿っていた。


「……ちょっと長くなるんだけどさ」


 アキラさんが、ふっと肩の力を抜いた。

 ソファの背に、頭を半分預ける。


「最初はね、普通に、レトロゲー配信から始めたの」


 ラベルの端が、少しめくれて、缶の側面に立った。


「動機は、今の和太郎(わたろう)と一緒。レトロゲー、もっと色んな人に知ってもらいたかったの」


 俺は、缶を持ったまま、頷いた。

 頷いたつもりだったが、首の角度がたぶん、足りていなかった。


「おじいちゃんの影響ってのは、もう言ったよね。すっかりハマっててさ」


 アキラさんの目が、少し遠くを見た。


「あの、カートリッジ抜き差しする感じとか好きでさ」


「あとサターンのね、電源入れた時の、あの独特な起動音、知ってる?」


「……動画サイトで聴いたことはありますね」


「あれ聴いただけで、これから何時間も遊べるぞーって、ワクワクしてたんだよねー、子供の頃」


 ふっと、笑った。


「で、配信始めて、ちょっとずつでもファンが増えていって」


「『懐かしい』とか、『初めて見た、面白そう』とか、コメントもらうとすっごい嬉しくてさ」


「あ、伝わってる……って」


 缶を、一口。


「あ、それでね」


 視線がふっと、こっちに動いた。


「あのリスナーの人、パルサーさん」


「あの人ね、その頃から見てくれてた人で」


 一拍。


「すっごい、熱心なレトロゲー好きの人だったの」


「コメントもさ、めっちゃ細かくてさ」


「『このBGM、海外版だとアレンジ違うんですよね』とか」


「『この敵の出現パターン、後期ロムだと変わってます』とか」


 アキラさんが、ふっと笑った。

 今度の笑い方は、少し温かかった。


「ほんと好きなんだなー、この人、って思ってた」


 俺は、缶の表面を、指先で撫でた。


 (……やっぱり)


 冷たさが、さっきより薄かった。

 手のひらの熱が、缶に移っていた。


「でさ、もっと数字があれば、もっと多くの人にこれの良さを知ってもらえる、って」


「そう、思ってさ」


 一拍。


「ここが、間違いの始まりだったんだけどね」


「あ、数字を追うこと自体が、悪いわけじゃないからね」


「目的のためにちゃんと使えれば、必要なこと」


「ただ、私の場合は、追い方がおかしくなってただけ」


 しばらくの沈黙。

 冷蔵庫が、薄く唸る音を立てた。


「あ、ちなみにね」


 アキラさんが、ふっと、こっちを見た。


「当時のチャンネル、もうぜんぶ消してあるからね」


「サムネとか、私名義の素材とか、ぜんぶ消したの」


「探そうと思っても、たぶん出てこないと思う」


◇ ◇ ◇


「で、数字の話なんだけど」


「最新ゲームのコラボに出たり、流行り物追いかけたり、ほんと色々やったの」


 アキラさんの爪が、ラベルをまた進めた。

 めくれた紙が、半分くらい剥がれていた。


「新作の派手なホラゲーとか、流行ってるバトロワとか」


「相手のVTuberさんと、自分のチャンネルの色って合ってないなー、とか」


「薄々、わかってたんだけど」


 もう一口、缶を傾けた。


「再生数の伸びる方に、ぐーって、流れていって」


「気づいたら、最新タイトルの実況の方が再生回数で上に来てて」


「あれ? 私、何やってたんだっけ? ってなった時には、結構深く入ってた」


 しばらく、沈黙が流れた。

 アキラさんの指が、ラベルの上で、止まっている。


◇ ◇ ◇


「で、まあ」


 アキラさんの指が、ラベルから、ふっと離れた。

 空中で、少し止まった。


「色々やってるうちにね」


「数字の伸び方を……なんていうのかな、優先する感じになってきて」


「流行りの最新ゲームばっかり、追いかけるようになって」


「お色気系にも、手を出してね」


「……ASMRとかも出したなー」


「……」


 窓の外で、何かの車が、遠くを通り過ぎる音がした。


「いやー、今思うと、ほんと、ね……」


 ふっ、と、笑った。

 その笑い方が、今までより少しだけ低かった。


「自分で、何やってんだろなー? って思いながら、止められなかったんだよね。当時は」


 アキラさんの指がラベルの上で、また止まった。


 壁の時計が、また、鳴った。


◇ ◇ ◇


(すばる)さんは、ASMRって知ってる?」


 アキラさんの目が、こっちを見た。


「……名前を聞いたことくらいは、ありますけど」


「実際は、わからないです」


「あ、そっかー」


 アキラさんが、缶をテーブルに置いた。

 コトン、と軽い音がした。


「ええっとね、ダミーヘッドのマイクとか使ってさ」


 両手で、何かの形を空中に描いている。

 頭くらいの大きさのものを、両手で挟むような格好だった。


「マイクの右と左で、別々に音を録れるやつ」


「人間の頭と、同じ位置にマイクが付いててさ」


「だから、囁くと、聴いてる人の耳の真横で囁いてるみたいに聞こえるの」


「……」


「ほら、こうやって——」


 アキラさんの顔が、すっと近づいてきた。


 俺は、息を止めた。


「マイクの、すぐ側で——」


 俺の耳の、すぐそばで声がふっと、低くなった。


「『おやすみなさい』とか、囁くわけ」


 囁き声が、息が耳にかかった。


 肩が、びくっと跳ねた。

 心臓がひとつ、強くハネた。


 時計の音が、聞こえなくなっていた。


◇ ◇ ◇


 アキラさんが、ふっと身を引いた。


「——みたいな、ね」


 缶を取って、一口。


「いやー、実際やってみると大変でさ」


 もう一口。


「私の頃は、マイクも安いやつだったし、防音もちゃんとしてなくて、ノイズとか拾っちゃってさ」


「クオリティも、微妙だったし」


「ファンの人が、優しさで頑張って褒めてくれてた感じ」


 ふっと、笑った。


「本気でやってる人たちは、ほんとすごいよ」


「機材も環境も、技術もぜんぶ別格でね」


「あの、息の質感とか間の取り方とか、ちゃんと届くの」


「聴いてると、ゾクゾクくるもん」


 俺は、缶を持ったまま、まだ息ができていなかった。


 (……充分、ゾクゾクしました)


「あー、まあでも」


 アキラさんが、缶のラベルを、また指で撫でた。

 めくれた紙がもう、ほとんど缶の側面で立っていた。


「ASMRに限らずさ、お色気路線とか、流行りのゲームとかもさ」


「結局、私の向き合い方が全部、中途半端だったんだよね」


「数字ばっかり見てて」


「……」


 ふっと、目線が、窓の外に流れた。


「……」


 戻ってきた声は、もう普通だった。


「あー、なんか、暑くなったね」


◇ ◇ ◇


 アキラさんが、缶を空にして、テーブルに置いた。

 めくれかけたラベルが、テーブルの天板に薄く触れていた。


「お酒もおつまみも切れちゃった。もうちょっと飲みたいかも。ね、コンビニ行かない?」


「……いいですよ、行きましょうか」


 俺は、缶を持ったまま立ち上がった。


 手のひらの中で、缶の中身が半分くらい、ちゃぷんと揺れた。


 台所のシンクに、缶を置いた。

 中で残った中身が、薄く底に動く音がした。


 サンダルに、足を入れる。


 アキラさんが、玄関の鍵に、手をかけた。


「あ、エコバッグ、いる?」


 肩越しに、こっちを振り返る。


「あ、いっか、コンビニの袋で」


 ひとりで、笑った。


「歩きながら、もうちょっと、続き話してもいい?」


 軽い音を立てて、ドアが開いた。


 夜の空気が、急に肌に当たった。


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