第25話 VTuber同士のカップル
数日後の、週末の夜だった。
夕飯のスパゲッティの皿をシンクに置いた。二人分の白い皿に、ミートソースの跡が薄く残っている。
開けたままの窓から、六月の生ぬるい風が流れてくる。
「そろそろ配信行ってくるねー」
アキラさんが、リビングを横切った。
Tシャツに短パン、髪をふわっと束ね直しながら配信部屋の方へ歩いていく。
「今日、楽しみだなー」
「コラボですもんね」
アキラさんが、ふっと立ち止まった。
「コラボもなんだけどさ。パルサーさん、来てくれるかなー、って」
「ちょっと、緊張しちゃって」
「……大丈夫ですよ、きっと」
「そっか。うん、ありがと」
笑って、配信部屋のドアが軽く閉まった。
俺はリビングのソファに腰を下ろした。タブレットを開く。
缶の炭酸水をローテーブルに置いて、プルタブを引いた。プシュ、と小さく鳴る。
配信が始まった。
◇ ◇ ◇
『よっ、和太郎だ。今夜はレトロゲーチャレンジ、前回のレオに続いて——スパイ系VTuber、シルヴィ・ノワールさんが来てくれてるぞー』
画面の左半分に、銀髪の女性アバターが現れた。
黒を基調にした潜入スーツが身体の線にぴったり張り付いている。
腰にそれらしい武装、手の甲に薄い手袋の刻印。軽くお辞儀をした。
『どうも、シルヴィ・ノワールです。よろしくお願いしまーす』
声はクールビューティ系。ただ語尾がほんの少しだけ柔らかい。
コメント欄が流れていく。
「銀髪きれい」「和太郎と絵面違いすぎw」「待ってた」「銀×黒映えるわ」
『いやー、スパイキャラだからな。潜入とか得意そうだろ? 期待してんぞー』
『えっ、ハードル上がってるじゃないですか! 設定と腕前は別なんですけど……』
『はっはっは。あらためて、今日のゲームは、これだ!』
画面にレトロなタイトルロゴが浮かび上がった。
潜入アクションの古典——スパイが敵の基地に侵入して、巨大兵器を破壊するやつ。
『あ、これ!』
『お前さんの設定にぴったりだろ? スパイには潜入アクション』
『えー、嬉しいー! でもこれ初めてなんだよね』
『そうなのか。じゃ軽く解説するな』
和太郎さんが、ゲームの基本を簡単に語った。
主人公がスパイで、敵に見つからず進むのが基本。
見つかったらあの独特の警報音が鳴り、一気に不利になる——というシステム。
『へぇー、見つかると音鳴るんだ。面白い』
ファミコンのドット絵が画面に立ち上がった。主人公が、潜入施設の入り口に立っている。
『よし、行ってみっか!』
ノワールがコントローラーを握り直す音がマイク越しに聞こえた。
数分後。
ピロリッ。
画面の中で、敵の頭上に見覚えのある記号が浮かんだ。
『あ、見つかった』
『あ、また見つかった』
『えっ、なんで……敵の視界範囲、意味不明なんだけど……』
『おい見つかりすぎだろ潜入できてねぇぞ!』
和太郎さんの声に笑いが混じった。
『もっと壁沿いに進め! あと敵の動きのパターン覚えるんだ』
『えー、難しいよー。勘じゃダメ?』
『勘でいけるゲームじゃねぇんだよ!』
「www」「素出てるw」「ノワールさんかわいい」「勘プレイw」「!マーク量産」
『うぇーん! また! なにこの敵、視界360度じゃないの?』
『違う違う。ちゃんと範囲決まってるから。敵の動きのパターン覚えろって』
『覚えるの?! ちょっと待ってムリムリわかんないぃ……』
「シルヴィおもしろすぎ」「設定崩壊」「スパイ失格w」
ふと、画面の隅に四角い箱のアイコンが見えた。
『あ、それ隠れる装備だ。拾っとけ~』
『え、隠れる?』
『箱だ、箱。被るんだよ』
『……箱? いや、なんでスパイが箱で隠れるの?』
『そこは突っ込むなー、これがこのゲームのロマンだから』
「箱は紳士のたしなみ」「歴代スパイの礼儀」「異論は認めない」
ノワールの操作キャラが画面の中で箱を被った。四角い箱がふらふらと進んでいる。
『ナニコレww 箱が動いてる! 敵から見てどうなの? いけてる?』
『いけてるいけてる。ロマンだ、ロマン』
『ロマンで片付けるなー!』
俺はふっと口の端を上げた。缶を一口飲んだ。炭酸が舌の奥ではじける。
画面の中でノワールが箱のまま移動して、ようやく敵を一人やり過ごした。
『あ、いけた! 箱すごい!』
『だろ? だからロマンなんだよ』
コメント欄が「箱の信仰」「入信しましたw」と流れていく。
和太郎さんが、ふっと声のトーンを変えた。
『そういえばよ。ノワールの潜入スーツの意匠、いいねぇ。銀と黒の組み合わせが渋いんだよなぁ、この腕のラインとか』
『あー、ありがとうございます。デザイナーさんがこだわって作ってくれたんですよ』
ノワールの銀髪が、画面の中で揺れた。長さがアキラさんと同じくらいで——色は違うのに、ふと、重なった。
あの黒い潜入スーツを、アキラさんが着ている姿が。
(……待て待て待て)
炭酸が喉に刺さった。
◇ ◇ ◇
配信がしばらく進んだ。
ノワールがようやく一区画クリアした。
『やったー!』
『おう、やっと潜入っぽくなってきたな』
コメント欄に見覚えのある名前が流れた。
「パルサー:このゲーム懐かしい! うちの兄が当時ハマってましたよ」
和太郎さんの声がふっと優しくなった。
『お、パルサー! 来てくれてありがとな。相変わらずレトロゲー詳しいなぁ』
「パルサー:ノワールさん、頑張ってくださいー!」
『ありがとうございますー!』
ノワールが軽く笑った。
『常連さんですか?』
『最近来てくれてるんだ。いいやつだよ』
和太郎さんの声に余裕があった。普通の温かさだった。
◇ ◇ ◇
配信が後半に入った。ノワールが何度かのチャレンジの末にもう一区画進んで、時計を見ると配信開始から二時間ほど経っていた。
『よし、今日はこの辺でお開きにすっか』
『うんうん。長時間ありがとうございましたー』
『じゃあノワール、最後に何か告知があれば言ってくれ~』
ノワールが、一拍置いた。
『あ、あります』
声が、いつもより少しだけ低い。
『実はこのあと、SNSで重大発表があります』
「えっ」「なに」「気になる」「重大発表!?」
コメントがざわついた。
『え、なに何? 俺聞いてないぞ?』
和太郎さんが素で驚いた声を出した。
『ふふっ、見ててくださいね』
『ちょっと、教えろよー!』
『ふふふ、後でね』
「www」「ノワール意地悪」「タイムライン張る」「待機」
『よし、じゃ今日はここまでだ! みんな来てくれてありがとなー!』
『ありがとうございましたー! 楽しかったです!』
配信が終わった。
◇ ◇ ◇
タブレットの画面を閉じた。スマホを手に取る。
SNSのアプリを開いて、タイムラインをスクロールした。
……あった。
ノワールのアカウントから、長文スクショの画像。ほぼ同時刻に、レオからも同じ形式の画像。
「……」
俺はソファの上で固まった。
冷蔵庫が低く唸っている。窓の外から、遠い車の音が聞こえていた。
◇ ◇ ◇
ぱたぱた、と廊下から足音が聞こえた。
「ねー、みたみた?!」
アキラさんがリビングに勢いよく飛び込んできた。
息が少し上がっていて、頬がうっすら紅い。
「私びっくりしてさー、配信のあとちょっと固まってたよ」
ソファの隣にぺたんと座った。肩が軽く触れる。
「これね、これ」
俺の手のスマホを覗き込んだ。
二人で長文の画像を目で追った。
「『日頃応援いただいている皆様へ』」
アキラさんが読み上げ始めた。
「『私事ですが——』」
「『諸田原レオさんと、お付き合いをすることになりました』」
俺が続きを読んだ。
「『今後とも、それぞれのVTuber活動は継続して参ります』」
「『応援、よろしくお願い申し上げます』」
画像の最後に、両者の名前が並んでいた。
「はー」
アキラさんが、ソファの背に頭を預けた。天井を見上げている。
「VTuber同士のカップルか〜」
「最近、珍しくなくなってきたよね」
「確かに。この手の報告、よく見るようになりましたよね」
二人の間に、薄い沈黙が流れた。六月の夜の、湿った空気が動かない。
「あ、そういえばさ、ノワールさんって私よりだいぶ先輩なんだよね。けっこう長くやってるって聞いた」
アキラさんが首を傾けた。
「……そうなんですか」
「うん。すごいよねー、長く続けてる人って」
アキラさんが、ふっと、自分の手を見て、天井を見て、軽く息を吐いた。
「今日、このあと紗雪ちゃんの配信あるんだったよね」
「……ですね」
俺は立ち上がった。
「ちょっと、準備しときます」
「うん。私お風呂入ってくるねー。お風呂にスマホ持ちこんでゆっくり見よっと」
アキラさんがぱたぱたと廊下の方へ消えていった。
俺は配信部屋のドアを開けた。
椅子に座って、配信ソフトを開く。今日の配信メモを確認しようとして——手が止まった。
何を話すんだっけ?
いつもなら、ここで迷わない。
雑談のネタ、リスナーへのお礼、今週のこと。全部、頭に入っているはずなのに。
モニターの光が、指先を薄く照らしていた。




