第18話 四十二時間の添い寝
2人の休みが、ようやく揃った日曜日。
起き抜けのリビングで、アキラさんがコーヒーを淹れていた。
「ねー、せっかく休み合ったしさ。今日の夕飯、なんか凝ったもの作らない?」
「凝ったもの、ですか」
「うん。餃子、どう? 包むの楽しいし」
「お、いいですね」
「二人なら、いっぱい包めるしさー」
——確かに餃子なんて、一人だと絶対に作らない。
「じゃあ俺、買い出し行ってきます。何が必要ですか?」
「メモ書くね、ちょっと待ってて」
アキラさんが、メモ用紙にすらすらと書いていく。
春キャベツ。ニラ。しょうが。にんにく。豚ひき肉。むきエビ。餃子の皮。
——なかなかに本格的だ。
「調理器具とつけだれは、こっちで仕込んどくね」
「お願いします」
「あ、あとさ」
アキラさんが、思い出したように声をかけてきた。
「買い出しの間、VR触っていい? またやってみたくって」
「あ、もちろん。セットアップは前のまま残ってるんで」
「オフラインのアプリなら自由に使っていいんだっけ?」
「いいですよ。好きに使ってください」
「やった」
「それじゃ、いってきます」
メモを受け取って、玄関で靴を履く。
——アキラさんの手が、軽く振られた。
◇ ◇ ◇
近所のスーパー。日曜の昼前で、そこそこ混んでいた。
カゴに春キャベツを入れる。ニラ。しょうが。にんにく。
豚ひき肉のパックを選んでいるとき、隣のおばさんがまったく同じパックを手に取って、裏のラベルをじっと睨んでいた。
——俺も同じことをやっていたことに気づいて、少しだけ可笑しかった。
エビ。餃子の皮。
レジを済ませて、外に出る。
日差しが思ったより強い。買い物袋が両手にずっしり来て、肩紐が指に食い込む。
春キャベツの葉の匂いと、ニラの青い香りがビニール越しに、鼻先で混ざった。
◇ ◇ ◇
「ただいまー」
返事が、ない。
代わりに、仕事部屋の方から声が聞こえた。
「……ふふっ」
「……だめだって、それ……」
——アキラさんの声だが、いつもと質が違う。配信のときの落ち着いた声でもない。もっと——なんだろう、無防備な。
買い物袋を玄関に下ろす。
靴を、脱ぐ。
仕事部屋の扉まで、足音を立てないように歩いた。
扉に、手をかける。
——ゆっくり、開けた。
仕事部屋の床に、アキラさんが横たわっていた。
VRヘッドセットを、被ったまま。
——ゴーグルで、顔の上半分は、隠れている。
でも、口元が完全にゆるんでいた。
頬が、笑いをこらえきれずに震えている。
半開きの唇の端から、ふっ、ふ、と、息が漏れる。
首は、横を向いたまま。
立てた片膝。靴下の白いつま先が、画面の中の何かに合わせて、リズムよく上下していた。
もう片方の脚は伸ばしたまま、両手は胸元で軽く組まれている。
ヘッドセットの黒いコードが、首筋から床へゆるく垂れていた。
……俺の手が、ドアノブの上で、止まった。
——待て。
これは——。
PCのモニターに目をやった。
見覚えのある、タイトル画面。
『添い寝ガールズVR』。
「ああっ!!?」
思わず、声が漏れた。
アキラさんの肩が、ビクッと跳ねた。
ヘッドセットを、ガバッと外した。
まだ半分VRの中にいるような、ぼんやりした目。
頬の赤みが引かないまま、こちらを見ている。
「……はぁ~。これ、すっごいね」
素の声だった。和太郎でもない、からかいでもない。ただ、感心したような。
「……アニメっぽいCGなのに全然、本物みたい。隣にいる感じ、するんだね」
耳の付け根が、熱い。
口が半開きのまま、止まった。
手が、宙で行き場をなくしていた。
——本物みたい、と言った。
馬鹿にする声でも、引いた声でもなかった。
ここまで前のめりな感想が来るとは思わず、何も言えなかった。
アキラさんが、こっちの顔を見た。
二秒。
——満面の笑み。
「……お帰り、紗雪ちゃん」
声の間合いが変わっていた。低く、余裕のある和太郎の間合い。
——終わった、と思った。
◇ ◇ ◇
——「好きに使ってください」と、言ったのは俺だ。言い訳のしようがない。
「えっと、これは、その。——技術検証で」
「技術検証」
「そう! 技術検証なんです! フルトラの、あれです、女性モーションの参考に! 紗雪の配信クオリティアップのため!」
「ふーん」
アキラさんが、床から起き上がった。チェアに座り直して、足を組んで、こちらを見上げている。
完全に和太郎モードの構え。
「……四十二時間も、技術検証したのかぁ? 全キャライベントコンプリート済みだって?」
「!」
「素直に好きって言えば、いいだけじゃん」
素のアキラさんに戻り、ケラケラと笑う。
「……」
完全に、論破された。
成すすべもなく、がっくりとうなだれる。
「——でもさ、昴さん」
「……はい」
「私だったら黒髪三つ編みの子にするけどなー」
「……え?」
「メインヒロインじゃないけどさ、図書室のシーンのあの子。声がいいんだよね、声が」
アキラさんが、指先で宙をくるくる回しながら言った。何かを思い出しているような目。
「……アキラさん?」
「……いや、ね、ちょっと、ハマりそうだった。うん」
——和太郎モードが、完全に解けていた。
アキラさんが、ばつが悪そうに頬をぽりぽり掻いている。
二人して、口をつぐんだ。
二秒。
「……お腹すいた。餃子、作ろっか」
肩を、軽く、叩かれた。
◇ ◇ ◇
台所に、二人で立つ。
まな板もボウルも、もう用意されている。
つけだれの小皿が3種、テーブルに並んでいた。
アキラさんが、エビの殻を剥いている。春キャベツを千切る音。ニラの匂い。
さっきまでのやり取りが嘘みたいに、普通に、料理をしている。
具を混ぜ合わせて出来た餃子の種をテーブルに移動して、餃子を包む。
「肘、こっちに来てるよ」
「おっと、すみません」
肘を、引く。
皮を、左の手のひらに乗せる。具を、中央に置く。
縁を、寄せる。ひだを作る。
「……不器用だなー、紗雪ちゃん」
「こういうの、あんまり得意でなくて……」
「いいよ、形悪くても、味変わらないから」
アキラさんの皮が、皿に並んでいく。ひだの数が揃っている。
俺のは、半分くらいの速度。
——皮の縁を寄せようと、手元に集中していたとき。
アキラさんの肘が、ぶつかってきた。
布越しに。思ったより柔らかかった。
手が、止まる。
アキラさんの手も止まった。
「あ、ごめんごめん」
アキラさんが、軽く肘を引いた。
最後の一枚を、皿に置いた。
◇ ◇ ◇
焼き上がった餃子を二人で食べた。
「これもう、店超えたでしょ」
「超えてるかどうかはわからないですけど、うまいです」
「——でさ、紗雪ちゃん」
「はい」
「さっきのゲームさ、やっぱり推しは、ツインテールの子?」
アキラさんが、両手で髪を、両側にぐいっと持ち上げた。
「……」
「こんな感じ?」
……目を、逸らした。
「あ、やっぱり」
アキラさんが、くしゃっと笑って、髪を戻した。
食べ終わり、片付けを済ませてからお茶を淹れた。
ソファに座る。
アキラさんはカップを両手で包んで、テレビの天気予報をぼんやり見ている。
——何でもない時間。
俺は、右の肘を見た。
まだ、柔らかさが薄く残っている。
——四十二時間、画面の中の女の子たちは、隣で添い寝してくれた。
でも、肘はぶつからなかった。
——ふと、画面の中のツインテールの子の顔が、アキラさんに変わった気がした。
(――いやいやいや!)
俺は、軽くかぶりを振った。
余計なものを喉に流し込むように、お茶を飲んだ。




