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第16話『推し』と『中の人』

 二十時前。


 仕事部屋で、PCの画面と向き合っていた。


 急に入ったクライアントからの修正依頼。細かい直しが大量に来ている。


 明日の昼までに上げたい。今夜は長丁場だ。


 ——隣の部屋からは、アキラさんの気配。


 コラボの日に合わせて休出振替を入れていたらしく、早めから支度にかかっていた。


 視界の隅で、スマホの通知が光った。


 ——【和太郎(わたろう)】配信入るぞー。今日ゲスト回な。


「お、レトロゲーチャレンジか」


 独り言が漏れた。


 やることはやる。でも、音が欲しい。


 PCの副モニターに、和太郎さんの配信を開いた。


◇ ◇ ◇


 二十時。


『よう、みんな元気してたかぁ?』


 配信が始まる。慣れた声。いつもの気配。


『今夜はレトロゲーチャレンジ、今回のゲストは——諸田原(しょたはら)レオくん、入ってるかぁ?』


『入ってますよー、和太郎さん』


 画面の端に、少年のアバターがふわっと出てきた。


 でも、声は——三十代のおっさん。和太郎さんに負けず劣らずの渋い声。


(……ギャップキャラ)


 仲間内では、中身と外見の落差で愛されるVTuberだ。

 ——名前もそれに全振りしている。


 副モニターのコメント欄が、加速した。


『レオきたー』

『みやぢー:今夜も楽しみにしてました〜』

『和太郎さんとレオの絡み久しぶり』


『レオくんはな、声こそ三十路だが、ゲームの腕前だけは十代なんだぜ』


『どういう意味っすかそれ!』


『褒めてる褒めてる。真っ直ぐだって意味だよ』


『和太郎さん、それ絶対褒めてないでしょ……』


 コメント欄が流れる。


『和太郎さんのいじり安定w』

『腕前十代=レトロゲーは赤ちゃんってことじゃん』

『レオがすぐ引っかかるのが可愛い』

『みやぢー:和太郎さん、今日も絶好調ですね』


 仕事の手を動かしながら、耳だけが配信についていく。


 いつもの紗雪回では見えない、別のテンポが動いていた。

 ゲストを立てて、軽くつつく。つつきすぎない。

 リスナーが笑ってる空気を、絶妙な距離で転がしていく。


 ——手が止まっていた。


(……上手いな、アキラさん)


 副モニターのコメント欄が、少し後から流れる。


 俺は仕事の画面に指を戻した。


◇ ◇ ◇


 ゲームが始まる。開始から数秒、レオが操作するロボットが、画面の端から飛んできた弾に撃ち抜かれて爆発した。


『あー! ここは飛んでねぇと!』


『えぇ、先言ってくださいよ和太郎さん!』


『先に言ったら学びがねぇだろうが』


『学べる前に死ぬやつでしょこれ!』


 笑いが弾ける。


 コメント欄も賑わった。


『レオ秒で死んだw』

『これ攻略本前提のやつだろw』

『みやぢー:レオくん頑張れ〜』

『師弟感ある』


 仕事の手が、ゆっくり進む。

 画面越しの配信が、部屋の空気を少しだけ軽くしてくれていた。


『いやー、和太郎さんのアドバイス細かいっすね』


『細かいんじゃねぇ。当たり前のことだ。昔のゲーム、理不尽の塊だったろ』


『ほんとに。でも和太郎さん、そこまで体で覚えてるの、マジでリスペクトっす』


『体で覚えろ。男なら、気合いで走れ』


『いや、男ならってw』


 笑いが続く。


『みやぢー:和太郎さん、「男なら」は令和にはありません〜w』


『はあ? 精神論は時代関係ねぇだろ』


『みやぢー:それが一番アウトな言い訳ですw』


 コメント欄が「はいアウトw」「みやぢーナイス」で盛り上がった。


 数ステージ進んだところで、レオが、ふっと声のトーンを落とした。


◇ ◇ ◇


『いやー、しかし——和太郎さんのレトロゲー愛、マジで深いっすよね』


『いやいや、単に俺が古いだけだっての』


『そういう人いるにはいるっすけど、和太郎さんのって、子供の頃から体に染み込んでるタイプっしょ。普通に知識があるのとは違うっていうか』


 ——子供の頃から?


 俺の指が、キーボードの上で止まった。


 副モニターのコメント欄が流れていく。


『和太郎さんマジで本物だからw』

『渋さの説得力』

『みやぢー:和太郎さんは人間国宝』


 人間国宝。笑える。


 でも、俺は笑わなかった。


 ——アキラさんは、二十代。見た目通りの和太郎とは大きく歳が離れている。

 ——俺たちが子供だった頃、昭和レトロはもう過去のもの。自然に触れる機会は、普通ならない。


(……考えたこと、なかった)


 アキラさんが、なんで。

 ここまで熱量を持って、レトロゲームにハマったのか。


 気がつくと、机の端のマグカップが、空になっていた。


 立ち上がって、仕事部屋を出た。


 廊下に出た瞬間、壁の向こうから、くぐもった笑い声が聞こえた。


 キッチンに立つ。ポットに水を入れ、スイッチを押した。


 配信の音が、副モニターから遠くなった。スマホを取り出して、配信を開き直す。


 ——音が、重なっていた。


 スマホから漏れる、ボイチェン越しの和太郎さんの声。

 壁越しに届く、素のアキラさんの笑い声。


 壁の向こうの生身と、配信のアバター。同じ人間が、二つの場所で笑っている。


(……二人、いる)


 マグカップにインスタントコーヒーの粉を入れかけた手が、止まった。


 ——いや、一人なんだけど。


 二人でもあった。


 同居してから、ずっとこの構造の中で生活していたはずだった。

 それを、今さら耳が拾った。


 壁の向こうのアキラさんが、ひと段落したらしい。笑い声が落ち着いた。


 スマホの向こうでは、和太郎さんがレオのプレイを茶々入れながら転がしている。


 カップに粉を落とし、砂糖も落とす。


 ポットから、ことりと音がした。

 湯を注ぐ。湯気が上がった。


 ——一口、運んだ。


 苦い。


 予想と違う味に顔をしかめた。


 底に、砂糖が、溜まっていた。


 スプーンで軽くコーヒーを混ぜ、仕事部屋に、戻った。


◇ ◇ ◇


『じゃ、そろそろ締めだ。次回のレトロゲーチャレンジの告知〜』


 和太郎さんが、締めの前に、ぐっと伸びをした気配。


『来月、シルヴィ・ノワールさんが来てくれるぞー。クールビューティな女スパイVTuberだ。たまんねぇな!』


『あ、ノワールさんですか』


 レオの声に、ちょっとだけ覚えのある色が乗った。


『こないだ俺もコラボしてもらいました』


『おお、そうなんだ。ジャンル違うのによくやるなお前ら』


『なんか流れで。あの人、企画の度量広いんで』


『たしかに器でけぇよなぁ、あの人』


 コメント欄が流れる。


『次回ノワール!?』

『レオとノワール、絵面違いすぎw』

『意外とコラボしてんのな、あの二人』

『みやぢー:ノワールさんと和太郎さんの掛け合い、想像つかない〜w』

『みやぢー:でも和太郎さんが相手ならなんでも安心して観れます』


(……みやぢーさん、今日も場を回してるな)


 俺は、少し、笑った。


『みんな今日もありがとな! レオも来てくれてありがとよ!』


『お疲れっしたー』


 配信が、締まった。


◇ ◇ ◇


 副モニターの画面が、エンディングの静止画で止まった。


 ——すっ、と、何かが消えた。


 画面の中から和太郎さんが、いなくなった。

 暗転した配信画面に、チャンネルのロゴだけが残る。


 壁の向こうから、片付けをしている音がした。

 配信卓から離れた、素のアキラさんの気配。

 マイクに向かっていない、ただの人が、隣の部屋にいる音。


 ——画面の向こうの推しが消えて、壁の向こうの人間だけが、残った。


 仕事部屋の空気が、少しだけ静かになった。


 指は、動かなかった。


(アキラさんの、リアルの過去)


 一度も、聞いたことがなかった。


 推しの和太郎さんのルーツは、ファンとして追ってきた。配信での雑談から、なんとなくの輪郭は知っているつもりだった。


 でも、中の人の——アキラさんのルーツは、考えたこともなかった。


 「推し」と「中の人」。

 同居して、日常を共有するようになっても、そこだけは分けたままだった。


 今度、聞いてみようか。


 仕事の画面に指を戻したとき、部屋のドアが軽くノックされた。


「お疲れー。これ、プリン置いてくねー」


 アキラさんが、コンビニ袋からプリンを出して、机の端に並べた。後ろでひとつに束ねた髪が、動作に合わせて揺れる。指先が、一瞬だけ、プリンのカップに触れたまま止まる。


「仕事中ごめんね〜」


 キーボードから指を離して、アキラさんに視線を向けた。


「いえ。配信、面白かったです。良い気分転換になりました」


 アキラさんは、ふっと笑って、そのまま戻っていった。


 ドアが閉まる前に、「無理しないでねー」の声だけが落ちた。


 黒い機材ばかりの机の端で、プリンの黄色が、浮いていた。


 仕事の続きが、少しだけ早く進んだ気がした。


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― 新着の感想 ―
全話読了完了。レトロゲームの回では、わたしも昔テトリスやたまごっちが大好きで毎日やってました。この作品がたくさんの方に読まれるように、レビューも書きましたので、励みになれば幸いです。続きも追います。
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