第15話 毎日生きてるぞ!
数日後の夜。
仕事から帰ってきたアキラさんが、リビングの真ん中で——
「おはようVTuber——!」
両手を顔の横で開いて、首を軽く傾げ、キメ顔でポーズを取っていた。
まだジャケットは脱いでない。
ストッキングのままの足が、フローリングに吸い付いている。
肩まで伸びた髪が、首の角度でふわっと流れた。
俺は、仕事部屋から出てきた足を、止めた。
引き戸に添えた指が、そのまま、固まった。
(……どういう状況だろ、これ)
「あ、昴さん、お疲れー」
アキラさんが、ポーズをそのまま、こちらへ視線だけ向けた。
「……おはVの画像、考えてたんだけどね」
少し、間。
「色々考えてたら、こんがらがっちゃって。気づいたら、このポーズ決めてた」
(……なるほど?)
いわゆる「おはV」。
SNSでのおはよう投稿で個人Vがよく使うハッシュタグ。
画像や短い動画に一言添えて、リスナーとの接点を保つ。地味だが重要なルーティンだ。
アキラさんが、ふっと息をついて、ポーズを解いた。冷蔵庫へ向かう。
「——あ、お茶ない」
やかんに水を入れて、火にかけた。
俺も、ソファに腰を下ろす。
「もう一週間くらい、同じ画像でやっててさ。そろそろ変えたいんだよね」
「……ですよね。俺も、VRで撮り溜めた画像の使い回しです」
「あー、紗雪ちゃんはそういうストックいっぱいあるからいいよねー」
「楽ではあるんですけど。——リプ来ると嬉しいから、つい毎日投稿しちゃいます」
「あー、その気持ちわかる」
「思い切って、動画にしちゃう?」
「……動画、ですか?」
「そう、三十秒くらいの動画。流石に毎朝は無理だけど」
「……ですよね」
動画のおはVは、構図、音声、タイミング。丁寧にやると1時間は溶ける。
伝えられる事は多い。でも、手間が追いつかない。
毎朝それをやるのは、個人Vの狂気の沙汰だ。
「普通に画像でもいいんじゃないですか」
「あー、うん。それでもいいんだけどね」
やかんが、笛のような音を立て始めた。
アキラさんが、火を止める。
音が、すっと消えた。
ポットに、茶葉をぽんと放り込む。甘い匂いが、ふわりと流れてきた。
「正直、これで配信にすぐ新規が来てくれる、とかはあんまりないんだけどさ」
「……それは確かに」
コップを二つ、テーブルに置いた。
ジャケットはいつの間にか背もたれにかけられていて、白いブラウスの袖が、無造作にまくられている。
「でも、画像でも全然伝わるのよ。『毎日生きてるぞ!』って見せられれば、それで充分」
「……ですよね」
「リスナーだけじゃなくて、他のV仲間ともSNSで繋がれるしさ。そこが一番大事かなって」
声のトーンが、一段だけ落ちていた。
「……わかります」
「——ただまあ、動画だと声も動きも乗るから、もう一段リッチなんだよねぇ。せっかくなら、やれたらやってみたいけど」
「手間が、追いつかないですよね」
「そうそう」
アキラさんが、少し笑った。
「——あ、そういえば、この前おはV経由で入ってくれた人いたんだよね。みやぢーさんって」
「……ああ、あの」
最近、和太郎さんの配信コメント欄で、たまに見かける名前。
「これが地味に嬉しかったのもあるし、——ああいうのあると、もっとサービスしたくなっちゃうのよ」
少し、間。
「——たまに、ちょっと怖い距離感の人もいるけどね」
「……怖い、ですか」
「まあ、今はそんなでもないけど。それより動画、上手い方法ないかなぁ」
アキラさんが、コップを両手で包んだ。
湯気を、ふっと目で追っている。
コップに伸ばした俺の手が、一瞬だけ、宙で止まった。
少し遅れて、口に運ぶ。渋みの奥に、かすかな甘みがあった。
配信中の和太郎の声じゃない。静かな、アキラさんの温度。
(……この人は、こういうところがあるんだよな)
コップを下ろした指に、少し、力が入った。
俺は、コップをテーブルに置いた。
「……構図は、いつもの配信背景でいいですか?」
「うん?」
「それなら、喋って、前後をトリミングするだけで済みます」
アキラさんが「え?」という顔をした。
「字幕とかは、やればできますけど、毎日だとチリツモで作業量が膨れ上がりますね」
「あー、そこまではやらないほうがいいね」
アキラさんが、コップの縁を、指でなぞった。
「……あとは、そもそも何話そう、って問題もあるんだけどね」
俺は、少し考えて——
「……それこそ、いつもの和太郎さんで充分じゃないですか」
アキラさんが、一瞬、黙った。
それから、口元を押さえて、小さく笑った。
「だよねー」
——削ぎ落としていった後に、残ったものがあった。
「収録の方法は、配信と同じ設定のまま。録画ボタン押して、三十秒くらい喋る。あとはトリミングして書き出すだけ」
アキラさんが、こちらを見た。
「……それだけ?」
「それだけです」
少し考えて、補足した。
「……配信と同じトラッキング、同じ声設定のままでいけるので。慣れれば毎朝五分くらいで一本」
「マジで」
◇ ◇ ◇
俺は、PCの前に移動した。
アキラさんが、後ろから覗き込んできた。
コップを片手に、興味津々の顔で。
配信用のOBSシーンを流用して、録画用のプロファイルを分ける。
保存先と命名規則、よく使う操作のショートカット。
(……配信環境の整備だ。当然のことだ)
作業は、十分ほどで終わった。
「できました」
「え、もう?」
アキラさんが身を乗り出して、画面を覗き込む。
「ほんとに五分でいける?」
「試しにやってみますか」
俺は、録画ボタンを押した。録画中の赤いインジケーターが点く。
アキラさんが、コップを置いて——
『おう、みんなおはよう!』
画面の中で、和太郎がポーズを取った。
両手を顔の横で開いて、首を軽く傾げて。
ストッキングのままの足で立つアキラさんと、画面の中の和太郎が、同じ形をしていた。
十秒ほど回して、停止した。
録画ファイルが保存される。
トリミングソフトで、前後の余りをカット。書き出し。
一連の作業は、三分もかからなかった。
書き出し完了の、小さな通知音。
アキラさんの目が、動画ファイルのアイコンから、しばらく動かなかった。
「……マジだ」
アキラさんの声が、少し上ずった。
「神じゃん紗雪ちゃん。——っていうか、配信と同じでよかったんじゃん、私」
——語尾が、ふっと素に戻っていた。
「……まあ」
マウスに置いた指が、意味もなく、軽く動いた。
俺は、少し間を置いて、続けた。
「一旦はこんな感じで、どうですか」
アキラさんが、コップを軽く掲げた。
「ほんと助かるわぁ。——みんなも、こういうの喜んでくれるといいなぁ」
俺も、コップを掲げ返した。
「明日の朝、使ってみてくださいね」
「うん。起きたらやってみる」
アキラさんが、コップを両手で包み直した。
明日の朝、アキラさんがおはV動画を収録する姿が、頭の隅に浮かんだ。
——投稿したあとに、きっとまた、あのポーズを決めている。
起きる時間が、少しだけ、楽しみだった。
◇ ◇ ◇
窓の外から、遠い電車の音が、一度だけ、通り過ぎた。
アキラさんが、ふと思い出したように顔を上げた。
「——そういえば。来週のレトロゲーナイト、レオくんがゲストだよ」
レトロゲーナイトは、和太郎さんの看板コラボ枠。
ゲストがレトロゲームに挑戦して、和太郎さんがアドバイスを入れる人気企画だ。
「レオくん、ギャップ激しくて面白いですよね」
「うちらが言うか~?」
アキラさんが、噴き出した。
笑いがおさまって、コップに口をつける。
——口の端が、まだ少しだけ、上がっていた。




