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悪女の選択――愛される資格などないはずだった  作者: 音香(Otoca )


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奇跡の痕跡

部屋にはまだ血の匂いが残っていた。


床にはラルフの血が広がっている。


暴走した獣人はすでに騎士達に連れて行かれていた。


だが、その場にいた者達はまだ動けずにいた。


黒狼は腕の中で気を失っているリリアを静かに床へ寝かせた。


「魔力を使い過ぎたな」


低く呟く。


クラウスはラルフの側へ膝をついた。


「団長」


呼びかける。


ラルフの胸は上下して呼吸はある。


「……生きている」


クラウスが静かに言った。



その言葉を聞いた瞬間―― オスカーの肩から力が抜けた。


握っていた剣が床に落ちる。


カラン、と乾いた音が響いた。



オスカーはその場に立ったまま動かなかった。


ただラルフを見ている。


血に濡れた服。


深く裂かれていたはずの腹部。


だが―― 傷はすでに塞がっていた。


まるで何事もなかったかのように。


信じられない光景だった。


オスカーの喉が小さく動く。


その時だった。


ラルフの指がわずかに動いた。


ゆっくりと目が開く。


「団長」


クラウスが声をかける。


ラルフはぼんやりと天井を見たあと、ゆっくりと周囲を見た。


「オスカー」


ラルフの視線がオスカーへ向く。


オスカーはその場に膝をついた。


「……俺のせいだ」


拳を強く握り締める。


「俺が……弱いから」


声が震えていた。


「俺がこんな状態になって、判断も遅れて、団長に……」


言葉が詰まる。


床に広がった血を見た。


拳が震える。


「俺がいなければ……こんなことにはならなかった」





「副団長」


ラルフの声だった。


オスカーが顔を上げる。


ラルフはまだ床に座ったままだったが、意識ははっきりしていた。


「俺は生きてる。問題ない」


その言葉はいつもと同じだった。


だがオスカーはまだ俯いたままだった。


「団長、すみません……」


ラルフはそれ以上何も言わなかった。


ただオスカーを見ていた。



その時だった。


オスカーがふと眉を寄せる。


体の奥を確かめるように胸に手を当て、息を吸った。


「……?」


さっきまで感じていた熱。


魔力の暴走。


それが―― 消えていた。



オスカーは驚いたように顔を上げた。


「……治まってる」


クラウスが目を細める。


黒狼も視線を向けた。



オスカーはゆっくり言った。


「身体の熱が……ない」


先ほどまで暴れていた魔力が、完全に静まっている。


黒狼はリリアを見て、小さく呟いた。


「なるほど、共鳴の光か」


クラウスが眉を寄せる。


黒狼は静かに言った。


「彼女の魔力が、周囲の魔力まで安定させた。彼の中の魔力も流れたのだろう」



オスカーは信じられない顔をしていた。


ラルフがゆっくり立ち上がる。


少し身体を動かしてみる。


「少しだるいな」


腹を押さえながらだが、問題なく立てた。



クラウスが驚く。


「本当に大丈夫ですか」


ラルフは短く答えた。


「大丈夫だ」


そしてオスカーを見る。


「副団長、良かったな」


オスカーが顔を上げる。


ラルフはオスカーの頭をくしゃっと撫でた。



クラウスが周囲を見回した。


「この部屋は使えませんね」


床にはまだ血が残っている。


服も皆血塗れだった。


黒狼が静かに言った。


「彼らの別の部屋と服を用意しろ」


騎士達がすぐに動き始める。


ラルフ達は隣の部屋へ移された。


血で汚れた服を脱ぎ、身なりを整える。



リリアは柔らかな寝台の上で、ゆっくりと目を覚ました。


瞼が重い、けれど意識ははっきりしていた。


「……ここ……」


見覚えのない天井だった。


身体を起こそうとして、すぐに腹の奥が空っぽになったような感覚に気づく。


力を使い切ったあとのような、ひどいだるさだった。



その時、すぐ傍から低い声がした。



「起きたか」


ラルフだった。


ベッドの脇に立ち、リリアを見ている。


その姿を見た瞬間、リリアの表情が揺れた。


「ラルフ……!」


思わず手を伸ばす。


ラルフはその手を受け止め、静かに言った。


「無理するな。まだ横になっていろ」


「でも……」


「顔色が悪い」


短い言葉だったが、声は優しかった。


リリアは小さく唇を結ぶ。


「私……」


そこまで言って、記憶が一気に戻る。



血に濡れたラルフ。

溢れた光。

黒狼の腕。

リリアの顔が強張った。


「ラルフ、傷は……!」


ラルフはあっさりと言った。


「もう塞がってる」


「本当に……?」


「ああ」


ラルフは短く頷いた。


その様子に嘘はない。


リリアはようやく少しだけ肩の力を抜いた。



だが今度は別のことが気になった。


「副団長は……?」


その問いに、部屋の少し離れたところにいたオスカーが視線を向けた。



「俺も無事ですよ」



もう顔色は悪くない。


あれほど苦しそうだった熱も引いているように見えた。



クラウスが静かに補足する。


「リリアの力で、団長だけでなく副団長の中の魔力まで排出したようだ」


リリアは目を見開いた。


「ほんとに……」


オスカーは少し困ったように笑った。


「助けられてばかりだな」


その声には、助かった安堵と、言いようのない複雑さが滲んでいた。



するとラルフが、リリアの肩にそっと毛布をかけ直した。


「考えるのは後だ。今は体を戻せ」


リリアはその気遣いに小さく頷いた。




コンコン、と扉が叩かれる。


「入れ」


ラルフが言うと、扉が静かに開いた。



入ってきたのは、

耳と細い尻尾を持つ猫獣人のメイドだった。



その手には、簡素だが清潔なドレスが抱えられている。


淡い色合いの、動きやすそうなものだった。


メイドは丁寧に一礼した。


「お目覚めと伺いましたので、お着替えをお持ちしました」


「ありがとうございます」


リリアが言うと、猫獣人のメイドはにこりと微笑んだ。


「お手伝いいたします」


ラルフはすぐに視線を外し、クラウスとオスカーを促して少し離れた。


ガルムも

「お姉ちゃん、かわいくなるかな」

と無邪気に言いながら、クラウスに連れられて部屋の端へ行く。



メイドは手際よくリリアの着替えを手伝った。


乱れた髪を整え、簡易的なドレスを着せる。


「ありがとうございます」


「いいえ」


猫獣人のメイドは丁寧に頭を下げた。



ちょうどその頃、再び扉が叩かれる。


今度は獣騎士団の騎士だった。


「黒狼団長がお呼びです」


部屋の空気が少し引き締まる。


ラルフが小さく頷いた。


「分かった」


そしてリリアを見た。


「歩けるか」


リリアはしっかりと頷く。


「はい、大丈夫です」


ラルフはそれを確認すると、無理はさせまいとするようにリリアの歩幅に気を配りながら扉へ向かった。


ガルムもその後ろをついていく。


こうして――


ラルフ、リリア、オスカー、クラウス、ガルムの全員で、黒狼の執務室へ向かうことになった。



静かな廊下を進みながら、誰もまだ、先ほど起きた奇跡の意味を完全には理解していなかった。

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