暴走
部屋には重い沈黙が落ちていた。
誰もすぐには言葉を発しなかった。
オスカーは顔を伏せたまま動かない。
拳を強く握り締めている。
ラルフはそんなオスカーを見ていた。
だが――
オスカーは視線を合わせようとしない。
わずかに身体を引く。
距離を取るように。
その仕草に、ラルフの眉がわずかに動いた。
「オスカー」
低い声だった。
オスカーは顔を上げない。
「……大丈夫です」
短く言った。
ラルフの目が細くなる。
「何がだ」
オスカーは答えなかった。
沈黙が流れる。
ラルフは小さく息を吐いた。
「ちゃんと考えろ」
それだけ言うと、ラルフはそれ以上追及しなかった。
オスカーに考える時間を与えたのだった。
数日が過ぎた。
あの日から、オスカーはほとんど話さなくなった。
常に何かを考えているようだった。
部屋の空気はどこか張り詰めている。
その時だった。
部屋の外がざわつき始めた。
廊下から慌ただしい足音が聞こえる。
「なんだ」
ラルフが立ち上がる。
クラウスも窓の外へ視線を向けた。
「何かあったようですね」
その直後。
部屋の扉が勢いよく開いた。
獣騎士団の騎士が一人飛び込んでくる。
「暴走した者が逃げた!」
息を切らしながら言った。
「この階に向かっている。部屋から出ないように!」
それだけ伝えると、すぐに廊下へ戻っていった。
ラルフ、クラウス、オスカーは同時に剣を手にする。
部屋の空気が一瞬で変わった。
リリアは不安そうに三人を見た。
「……大丈夫ですかね」
ガルムが突然、リリアの手を強く握った。
リリアの視界に映像が流れ込む。
大柄な獣人だった。
瞳が赤く染まり、理性が消えている。
廊下を暴れ回り、騎士達を弾き飛ばしていた。
進む先は―― この部屋。
最後に見えたのは、ラルフの後ろ姿だった。
そこで映像が途切れた。
「……っ」
リリアの呼吸が乱れる。
とてつもない量の魔力を感じた。
体の奥がざわつく。
何かがうごめいている。
「……はぁ……はぁ……」
「リリア!」
ラルフが振り向いた。
「大丈夫か」
支えようと手を伸ばす。
廊下から叫び声が聞こえた。
次の瞬間―― 扉が激しく開いた。
そこに立っていたのは、赤い目をした獣人だった。
完全に暴走している。
「気をつけろ!」
ラルフの声が響いた。
オスカーとクラウスが同時に斬りかかる。
剣が肉を裂く。
だが獣人は止まらない。
まるで痛みを感じていないかのようだった。
その赤い瞳が―― ラルフを捉えた。
獣人はラルフへ一直線に突っ込んだ。
オスカーの剣が肩を裂く。
クラウスの刃が腕を斬る。
それでも止まらない。
「団長!」
オスカーが叫ぶ。
ラルフも切り斬りかかる。
だが―― 獣人の爪が、ラルフの腹を深くえぐった。
「……っ!」
血が噴き出す。
ラルフの身体が崩れた。
「団長!」
オスカーの声が響いた。
その瞬間、黒い影が部屋へ飛び込んできた。
黒狼だった。
鋭い一撃で獣人を斬りつける。
さらに蹴り飛ばし、騎士達が一斉に拘束した。
黒狼は小さく呟いた。
「……間に合わなかったか」
リリアは荒い息のまま、ラルフの元へ駆け寄った。
「ラルフ……!」
腹から大量の血が流れている。
リリアはすぐに手で傷口を押さえた。
「いや……しっかりしてください」
涙が滲む。
ラルフは薄く目を開いた。
「……すまない。ケガは……ないか」
ラルフはリリアを心配していた。
「私は大丈夫です」
リリアは涙を浮かべながら答えた。
ラルフの身体から力が抜けた。
目が閉じる。
「ラルフ?」
反応がない。
「……ラルフ」
血塗れの手で揺する。
返事はない。
さっきまで皆を気遣っていた人が
今は目の前で血に染まっている。
リリアの中で、何かが弾けた。
「やだ……」
小さく呟く。
「起きてよ……」
次の瞬間、リリアの身体から光が溢れ出した。
そして―― その瞳が、薄紫色に染まる。
黒狼が目を見開いた。
「……共鳴か」
リリアの光は強くなっていく。
やがてラルフを包み込んだ。
「……っ」
ラルフの胸が動く。
止まっていた呼吸が戻る。
だがリリアは止まらない。
魔力が溢れ続けていた。
リリアは立ち上がった。
剣を握る。
そして―― 拘束された獣人を睨みつけた。
黒狼の背筋が凍る。
「まずい」
黒狼はすぐにリリアへ駆け寄った。
その身体を強く抱き寄せる。
「落ち着け!」
リリアの手から剣を落とし
黒狼は自身の魔力を流し込んだ。
暴走しかけた力を押さえ込む。
やがて光が弱くなる。
リリアの身体から力が抜け、
そのまま黒狼の腕の中で崩れ落ちた。
部屋には、再び静寂が戻った。




