黒狼
ラルフ達は宿へ戻っていた。
部屋の中は静かだった。
クラウスは、椅子に座らせたガルムの腕を見ていた。
さきほど男に蹴り飛ばされた傷だ。
布を水で濡らし、血を拭き取る。
「痛むか」
静かな声だった。
ガルムは首を横に振る。
「……ごめんなさい」
小さく言った。
「お姉ちゃん……守れなかった」
拳を握り締める。
指が震えていた。
クラウスは手を止める。
そしてガルムの頭に手を置いた。
「お前のせいではない」
優しい声だった。
「相手が計画していたなら、誰でも同じだ」
ガルムは俯いたままだった。
悔しさが消えない。
その時だった。
大きな手が、そっと頭を撫でた。
ラルフだった。
何も言わない。
だが、その手は驚くほど優しかった。
ガルムの目が少し潤む。
ラルフはすぐに手を離した。
部屋は再び静かになる。
時間だけが過ぎていった。
だが―― オスカーは戻らない。
日が傾き始めた。
窓の外は夕暮れの色に染まっている。
ラルフが立ち上がった。
「行こう」
短い言葉だった。
クラウスも立つ。
外套を羽織る。
フードを深く被る。
ガルムも立ち上がった。
三人は部屋を出る。
街の外へ向かった。
外は妙に静かだった。
昼間よりも人影が少ない。
獣人達の姿もほとんど見えない。
嫌な空気だった。
ラルフはガルムを見た。
「追えるか」
ガルムは小さく頷く。
そして目を閉じた。
集中して、リリアの魔力のわずかな痕跡を辿る。
「……こっち!」
ガルムが走り出した。
ラルフとクラウスも続く。
街を抜け、森へ入る。
しばらく進んだその先だった。
木々の向こうに―― 古い建物が見えた。
石造りで窓がほとんどなく、まるで砦のようだった。
ラルフの目が細くなる。
その時だった。
「まって!」
ガルムが突然足を止めた。
周囲を見渡す。
耳が動く。
鼻がわずかに震えた。
「囲まれてる……」
小さな声だった。
ラルフの視線が鋭くなる。
「何人だ」
ガルムは息を飲んだ。
「……たくさん」
クラウスも剣の柄に手を置いた。
「まずいな」
次の瞬間だった。
キィィン――
強烈な耳鳴りが響いた。
三人は思わず耳を押さえる。
頭が揺れる。
その一瞬の隙だった。
「……動くな」
低い声。
ラルフの首筋に冷たい感触が触れた。
剣だった。
いつの間にか背後に立たれていた。
気配をまったく感じなかった。
耳鳴りが消え、ようやく呼吸が戻る。
ラルフとクラウスはゆっくり両手を上げた。
周囲を見る。
森の影から、次々と獣人が姿を現した。
完全に包囲されていた。
「連れていけ」
低い声が響く。
ラルフは周囲を観察していた。
獣人達は隊服を着ている。
胸には紋章。
(……獣人騎士団か)
直感だった。
人垣が割れた。
奥から、一人の獣人が歩いてくる。
長身。
黒い毛並み。
鋭い薄紫色の瞳。
黒狼の獣人だった。
ただ立っているだけで空気が変わる。
圧倒的な存在感。
ラルフ達の前で止まった。
そして見下ろす。
「お前達は何だ」
低く落ちる声。
「人間風情が何しに来た」
ラルフは答えた。
「あの建物の中に仲間が捕まってる」
黒狼の目がわずかに細くなる。
「なんだと」
ラルフは迷わなかった。
「俺達はアルトシュタイン王国の騎士だ」
黒狼は黙ってラルフを見ていた。
しばらくの沈黙。
ラルフはゆっくり頭を下げた。
「頼む。私の婚約者が捕まってるんだ」
拳を握る。
「力を貸してくれ」
黒狼は小さく息を吐いた。
「騎士の証拠はあるのか」
「ああ」
黒狼が目で合図する。
ラルフを拘束していた獣人が剣を少し離した。
ラルフは懐から王家の紋章を取り出す。
それを見た黒狼の目が変わった。
「解放しろ」
短い命令。
拘束が外れる。
クラウスとガルムも解放された。
黒狼が言う。
「我々は―― ルーヴェル王国獣騎士団だ。
何があったか説明しろ」
ラルフはすぐに話した。
自分達の国で起きたこと。
この街で見た異常。
捕まった仲間。
そして―― あの施設のこと。
黒狼は黙って聞いていた。
話が終わる。
短い沈黙。
やがて黒狼が言った。
「我々もこれから突入する」
鋭い目でラルフを見る。
「同行を許す。念のためこれを渡しておく」
差し出されたのは小さな小瓶だった。
「解毒薬だ」
ラルフは受け取り、静かに頭を下げた。
「感謝する」
黒狼が振り向く。
「準備だ」
周囲の獣人達が動き始める。
剣を抜く。
隊列が整う。
そして―― 黒狼が静かに言った。
「行くぞ」
石造りの施設へ向かって。
獣騎士団が、動き出した。




