束の間の静けさ
宿の部屋に戻った頃には、外はすっかり夜になっていた。
窓の外には、小さな街の灯りがぽつぽつと見える。
部屋の中にはダブルベッドが二台。
壁際に大きめのソファーが一つ。
中央には小さな机が置かれていた。
潜入任務の拠点としては十分だった。
ラルフは部屋に入るとすぐ机の前に立った。
「さて整理するぞ」
低い声が落ちる。
全員の視線が集まった。
リリアも椅子を引き、腰を下ろす。
今日見た光景がまだ頭から離れない。
(あの建物……あの実験……)
ガルムが静かに椅子へ座る。
尻尾が少し疲れたように揺れていた。
オスカーが整理しながら言う。
「まず確定していることは三つですね」
指を一本立てる。
「暴走していた獣人がいたこと」
もう一本。
「そして、あの腕の跡」
三本目。
「それを作っている施設がある」
クラウスが頷いた。
「実験だろうな」
低い声だった。
「薬と魔力を使って強制的に力を引き出している」
ラルフは腕を組んだまま考えている。
眉間には深いシワ。
「目的はなんだ」
誰も答えられなかった。
沈黙が落ちる。
その時だった。
リリアがふとガルムを見る。
ガルムの瞼が少し重そうだった。
尻尾の動きも鈍い。
(……眠いんだ)
リリアは小さく笑った。
「ガルム」
呼ばれて顔を上げる。
「もう休みましょうか」
ガルムは少し驚いた顔をした。
「……大丈夫」
強がるように言う。
だがその瞬間―― 小さなあくびが出た。
部屋の空気が少しだけ緩む。
オスカーが笑った。
「限界ですね」
ガルムは恥ずかしそうに耳を伏せた。
リリアは立ち上がる。
「シャワー浴びましょう」
ガルムが目を瞬かせる。
「すみません団長…… いいですか?」
「ああ」
ラルフは短く返した。
リリアは優しく笑った。
「一緒に入りましょう」
そう言って手を差し出す。
ガルムは少し迷ったが、その手を取った。
二人は浴室へ向かった。
扉が閉まる。
しばらくして――
浴室から笑い声が聞こえてきた。
水音。
楽しそうな声。
オスカーが笑顔になる。
「平和ですね」
クラウスが小さく息を吐いた。
ラルフも表情が少しだけ柔らいでいた。
やがて浴室の扉が開く。
ガルムが先に出てきた。
髪はまだ濡れている。
尻尾も水を含んで重そうだった。
リリアはタオルを持っている。
「座ってください」
椅子に座らせる。
そしてドライヤーを手に取った。
温かい風が流れる。
ガルムの髪が揺れる。
「くすぐったい」
ガルムが小さく言う。
リリアが笑った。
「すぐ終わりますよ」
尻尾も丁寧に乾かす。
ガルムの尻尾がふわふわに膨らんだ。
それを見てオスカーが吹き出す。
「見事ですね」
クラウスの口元も少しだけ緩んでいた。
張り詰めていた空気が、少しだけ和んだ。
「今日はもう休もう」
ラルフが言った。
その後、順番にシャワーを浴びる。
全員が終えた頃には、夜もかなり更けていた。
ベッドが二台。
自然と配置が決まる。
ラルフとリリア。
クラウスとガルム。
そして―― オスカーはソファーだった。
「護衛ですから」
そう言って軽く手を振る。
部屋の灯りが落とされた。
静かな夜だった。
しばらくして。
リリアは目を覚ました。
部屋には朝の光が少しだけ入っている。
そして―― いい匂いがした。
珈琲だった。
リリアはゆっくり体を起こす。
部屋を見る。
オスカーが机の前に立っていた。
軽食と珈琲を運んできたところだった。
オスカーが振り返る。
リリアと目が合った。
少し眉を上げる。
「ああ、起こしたか。悪い」
リリアはベッドから静かに降りる。
小さな声で言った。
「副団長はいつも早いですね」
オスカーも小声で話した。
「長年の癖だな」
リリアは小さく笑った。
オスカーはその時、気づいた。
リリアの髪。
寝癖が少し跳ねている。
手が自然に伸びた。
「寝癖」
軽く撫でる。
その瞬間。
強い視線を感じた。
二人が同時に振り向く。
ベッドの上でラルフが起きていた。
片肘をつきながらこちらを見ている。
目が据わっていた。
「朝からイチャつくな」
低い声。
部屋の空気が一瞬で変わる。
殺気が漏れていた。
オスカーは笑った。
「怖いですね」
そして珈琲を差し出す。
「さあ、起きてください」
リリアは少し慌ててベッドへ戻る。
ラルフの隣へ座った。
「おはようございます」
優しく微笑む。
それだけだった。
ラルフの表情がわずかに緩む。
さっきまでの殺気が消えた。
やがて全員が起きる。
軽い朝食を済ませ、支度を整えた。
宿を出る前、宿主がぽつりと言った。
「最近、この辺は物騒でしてね」
ラルフが視線を向ける。
「物騒?」
宿主は声を落とした。
「誘拐ですよ」
部屋の空気が変わった。
「ここ最近、増えてるんです」
クラウスが低く言う。
「誰が?」
宿主は首を振った。
「わかりません」
そして不安そうに続けた。
「でも……夜になると人が消えるんです」
ラルフとオスカーが視線を交わす。
そしてラルフが言った。
「調べよう」
短い言葉だった。
潜入任務は――
さらに深く、危険な場所へ踏み込もうとしていた。




