静かな誓い
王宮の神殿は、静かな光に包まれていた。
高い天井。
白い石で作られた柱。
色とりどりのステンドグラスから差し込む光が、
床に柔らかな色を落としている。
大きな式ではない。
だが―― そこにいる者たちは、この国の中枢だった。
王族。
そしてローゼン家のクラウス。
リリアの側には、側近としてアンナが立っている。
神殿の入り口付近には騎士たちが控えていた。
副団長オスカー。
ジーク。
ノル。
護衛として配置されている。
静まり返った神殿の中で、ゆっくりと扉が開いた。
白いドレスに身を包んだリリアが入ってくる。
飾りは多くない。
だが、柔らかな布と細やかな刺繍が、
凛とした美しさを引き立てていた。
クラウスがわずかに目を細める。
アンナは満足そうに頷いた。
そして――
神殿の中央には、ラルフが立っていた。
白の正装。
背筋を伸ばし、静かにリリアを見つめている。
リリアはゆっくりと歩み寄った。
二人が並ぶ。
神官が前に立ち、書類を広げた。
これは婚約の誓約書。
神殿に保管され、王家にも記録される正式なものだ。
神官が静かに言う。
「それでは、署名を」
ペンが差し出された。
最初にラルフが受け取る。
迷いなく名前を書く。
ラルフ・フォン・アルトシュタイン。
次に、リリアへ渡された。
リリアは一瞬だけ息を整え、ペンを取る。
リリア・ローゼン。
紙の上に、丁寧に名前を書いた。
それだけだった。
指輪もない。
口づけもない。
それは―― 結婚式の時のために残してある。
神官が書類を閉じた。
「これにて、婚約の誓約は成立いたしました」
静かな声が神殿に響く。
王族が頷く。
クラウスが小さく息を吐いた。
アンナは胸の前で手を組み、ほっとしたように微笑む。
入り口付近では、オスカー達が後に腕を組み、
静かにその光景を見ていた。
祝福の言葉が、静かに交わされる。
派手な式ではない。
だが―― 確かに、二人は正式に婚約したのだった。
その夜。
王宮の一角。
ラルフの私室。
広い部屋の窓からは、王都の灯りが見えていた。
リリアはソファに腰掛けている。
昼のドレスから着替え、落ち着いた室内着になっていた。
ラルフは机の近くに立ち、グラスに水を注いでいる。
それをリリアへ渡した。
「疲れただろ」
「少しだけ」
リリアは小さく笑った。
静かな夜だった。
大きな式ではなかったが、やはり緊張していたのだろう。
ラルフは窓の外を見ながら言った。
「屋敷を考えないとな」
リリアが顔を上げる。
「屋敷……ですか?」
「ああ」
ラルフは腕を組んだ。
「俺の持っている領は遠いしな」
少し考えるように言う。
「王都に建てるか」
さらりと言った。
リリアは一瞬、言葉を失った。
屋敷。
王都。
建てる。
話の規模が大きすぎて、頭が追いつかない。
その様子にラルフは気づいた。
ふっと小さく笑う。
「……まぁ、急ぐ話でもない」
リリアの前に歩み寄る。
「今は騎士団もあるしな」
周囲を見渡した。
「この部屋でいいか」
リリアは驚いて顔を上げる。
ラルフは続けた。
「寝室の隣にリリアの部屋を用意してる」
落ち着いた声だった。
「部屋が整ったら、荷物はそこに移動しような」
リリアは少しだけ安心した顔をした。
実はもう、騎士団宿舎から荷物は運んである。
今日から、ここが拠点になる。
だが――
まだ実感がなかった。
ラルフはソファの背に腰掛け、リリアを見下ろした。
「どうした」
リリアは少し迷ってから言った。
「……まだ少し、実感がなくて」
ラルフは静かに息を吐く。
そしてリリアの前にしゃがみ込み、目線を合わせた。
「そのうち慣れる」
低い声だった。
リリアの手を取り、指を絡めるように軽く握る。
「これから一緒に過ごすんだからな」
その言葉は、当たり前のようで――どこか優しかった。
リリアは小さく頷いた。
ラルフはその様子を見て、少しだけ目を細める。
そしてゆっくり立ち上がった。
「今日はもう休もう」
そう言うと、リリアの背中に腕を回す。
驚く間もなく、体がふわりと浮いた。
「……ラルフ?」
リリアが戸惑う。
ラルフは短く答えた。
「今日はもう頑張らなくていい」
そのまま寝室へ歩いていく。
ベッドの上へ、そっとリリアを下ろした。
リリアが起き上がろうとすると、
ラルフが先にベッドへ入り、腕を伸ばす。
そのまま自然に、リリアの体を引き寄せた。
胸の中へ収めるように。
「ラルフ」
リリアが小さく呼ぶ。
ラルフはリリアの髪に顔を埋めるようにして、静かに言った。
「今日からここがお前の場所だ」
低く、穏やかな声。
リリアの背をゆっくり撫でる。
安心させるように。
「だからもう、遠慮するな」
リリアはラルフの胸に頬を寄せた。
腕が、そっと背中に回る。
ラルフはそのまま強く抱き寄せた。
「おやすみ」
その言葉と共に、リリアの額に軽く口づける。
静かな寝息が重なり始める。
王宮の夜は、穏やかに更けていった。
今日から二人は―― 同じ場所で生きていくのだった。




