共鳴の影
夜も更けた頃だった。
騎士団宿舎はすっかり静まり返っている。
廊下のランプの灯りが、柔らかく揺れていた。
リリアは私室の机に向かっていた。
机の上には書類が広げられている。
騎士団の報告書。
そして――今日の出来事の報告。
ペンを持つ手が、何度も止まった。
(どう書けばいいんだろう……)
ガルムの魔力。
共鳴。
瞳の色。
自分でも理解できないことばかりだった。
小さく息を吐く。
その時だった。
コンコン。
扉が叩かれた。
リリアは顔を上げる。
「どうぞ」
静かな声で返した。
扉が開く。
「入るぞ」
低く落ち着いた声。
そこに立っていたのは―― クラウスだった。
リリアの目が大きくなる。
「お兄様」
宰相の事件以来、顔を合わせるのは久しぶりだった。
クラウスは部屋へ入り、静かに扉を閉めた。
その手には書類がある。
リリアの机の上のものと同じ種類だった。
「お前の報告書が上がってきた」
淡々とした声。
リリアの肩が小さく揺れる。
「……っ……すみません」
思わず謝ってしまう。
迷惑をかけた。
きっと王宮でも問題になっている。
そう思った。
だがクラウスは何も言わず、部屋の中を見渡した。
そしてふと、
椅子の背に掛かっていたカーディガンを手に取る。
そのままリリアの肩にそっと掛けた。
「そんな薄い夜着だと風邪をひくぞ」
リリアは少し驚いた。
クラウスの手が、そっと頭に触れる。
優しく撫でた。
「座れ」
そう言って、リリアを椅子に座らせる。
クラウスは机の前に立った。
「どういうことか説明できるか」
短い言葉。
だが責める響きではない。
リリアは小さく頷いた。
そして、ゆっくり話し始めた。
訓練場での能力確認。
ラドラの炎。
ラビィの結界。
ガルムの瞳。
そして―― 魔力が流れ込んだこと。
気が遠くなったこと。
瞳の色が変わったこと。
すべて話し終えたとき、部屋は静かだった。
クラウスは腕を組んでいる。
しばらく考えたあと、静かに言った。
「国家問題になるかもしれないな」
リリアの心臓が跳ねた。
「えっ」
思わず顔を上げる。
不安が浮かぶ。
クラウスはそれを見て、ふっと息を吐いた。
そしてリリアの頭に手を置いた。
「心配するな」
落ち着いた声だった。
「ローゼン家のことは俺に任せろ」
リリアを見る。
「お前に辛い思いはさせない」
リリアの胸が少し軽くなる。
クラウスは続けた。
「それに、ラルフ様もいるだろ」
リリアは一瞬黙った。
「……うん」
小さく頷く。
だが、自然と俯いてしまった。
ラルフの横顔が浮かぶ。
今日、部屋で見た表情。
考え込んでいた。
(どうして私ばかり……)
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
(どうして、問題ばかり起こすんだろう)
クラウスはそれを見ていた。
静かに息を吐く。
そしてリリアの前にしゃがみ、目線を合わせる。
「リリア」
優しく呼ぶ。
リリアは顔を上げた。
クラウスはゆっくり話した。
「お前はこれから公爵夫人になる」
少し間を置く。
「騎士団では、獣騎士隊の長になったんだろう」
リリアは黙って聞いている。
「今までみたいに、自分一人の問題じゃない」
クラウスの声は静かだった。
だが重みがある。
「いろんな人間を巻き込むし、敵も増える」
リリアの手がぎゅっと握られた。
「その覚悟が必要になる。分かるか?」
リリアは小さく頷いた。
「今ならまだ引き返せる」
クラウスの瞳が真っ直ぐリリアを見る。
「リリアはどうしたい?」
少しの沈黙。
リリアはゆっくり口を開いた。
「私は……」
声が震える。
「諦めたくないんです。
でも不安にのみ込まれそうで……怖いんです」
手が震えていた。
クラウスはリリアの手を取った。
両手で包む。
温かい手だった。
「当たり前だ」
優しい声。
「怖くない人間なんていない」
リリアは顔を上げる。
クラウスは微笑んだ。
「だから団長や副団長がいるんだろう。仲間もいる」
「俺もいるし、アンナもいる」
リリアの目が潤む。
クラウスは指で軽く額をつついた。
「何かあれば周りを頼れ。分かったな」
リリアは頷いた。
「……はい」
胸の中が少し温かくなる。
「お兄様、ありがとうございます」
小さく笑った。
その瞬間だった。
リリアの体が揺れた。
「っ……!」
突然、頭を押さえる。
「リリア?」
クラウスが驚く。
リリアはその場にうずくまった。
頭の中に―― 映像が流れ込む。
暗い廊下。
男の後ろ姿。
手には、小さな箱。
ドアを開ける。
部屋へ入る。
箱を開け、口に含んだ。
そして―― 毒に苦しみながら倒れた。
「……!」
リリアは息を呑んだ。
(副団長……!)
後ろ姿はオスカーだった。
リリアは立ち上がった。
そのまま部屋を飛び出す。
「リリア!」
クラウスが追いかける。
廊下を走る。
騎士団執務棟。
副団長執務室。
ノックもせず、扉を開けた。
「副団長!」
部屋の中のオスカーが固まる。
「リリア?」
驚いた顔。
リリアは息を切らしていた。
「副団長、小さな箱の物、食べませんでしたか?」
オスカーは瞬きをした。
「箱?」
机を見る。
「ああ、これか?」
机の上には小さな箱。
リリアはそれを見た。
「食べてないぞ」
その言葉を聞いた瞬間、リリアの体から力が抜けた。
「よかった……」
オスカーは眉をひそめる。
その時、気づいた。
リリアの瞳。
薄紫。
額には汗。
髪が張りついている。
呼吸も荒い。
事情を聞くと、オスカーは思い出した。
「侍女にもらった」
そう言う。
視線をクラウスに向ける。
だが、すぐリリアへ戻した。
(魔力の影響か?)
魔力が回っている。
顔が赤い。
呼吸が荒い。
急いできただけでは説明がつかない。
オスカーは静かに言った。
「ローゼン卿、座れ」
その体を支える。
そしてクラウスを見る。
「団長を呼んできてもらえますか」
クラウスが頷きかけた、その時。
「待って……」
リリアの声。
二人が振り向く。
リリアの瞳が遠くを見る。
「来る……」
その瞬間。
「どうしたんだ」
低い声。
扉の前にラルフが立っていた。
手には書類。
状況を見た瞬間、ラルフの目が鋭くなる。
オスカー。
クラウス。
そして―― オスカーの腕の中のリリア。
ラルフはすぐに理解した。
「魔力か」
静かな声だった。
だがその瞳は、完全に騎士団長のものだった。




