騎士の覚悟
執務室の扉が、重い音を立てて閉まった。
ラルフに腕を引かれたまま連れてこられたリリアは、
ようやくその手が離されたことに気づく。
部屋の空気は張り詰めていた。
窓から差し込む光が、机の上の書類を照らしている。
だが、そんな穏やかな景色とは裏腹に――
ラルフの背中からは、はっきりと怒気が伝わってきた。
ゆっくりと振り返る。
金色の瞳が、真っ直ぐにリリアを射抜いた。
「何を考えている」
低い声だった。
怒鳴っているわけではない。
だが、訓練場にいたときよりも、ずっと重い。
リリアは背筋を伸ばした。
「団長」
そう呼ぶと、ラルフの眉がわずかに動く。
だがそれには触れず、彼は言った。
「自分の立場を分かっているのか」
沈黙。
リリアは視線を逸らさない。
「分かっています」
はっきり答えた。
ラルフの目が細くなる。
「ならどうして訓練場にいた」
「稽古をするためです」
間を置かず返す。
ラルフは机に手をついた。
「違う」
低く言う。
「お前はもう――」
言葉が止まる。
そして吐き出すように続けた。
「公爵夫人になるんだぞ」
その言葉は、まるで突きつけるようだった。
リリアの胸がわずかに揺れる。
だが、目は逸らさない。
「それでも」
小さく息を吸う。
「私は騎士です」
はっきり言った。
その瞬間、空気がさらに張り詰めた。
ラルフの視線が鋭くなる。
「危険なんだぞ。分かっているのか」
リリアは答えなかった。
ほんの一瞬だけ、視線が揺れる。
そして、静かに言った。
「……それでも」
言葉が続かない。
胸の奥にある想いが、うまく形にならない。
リリアは少しだけ俯いた。
指先が、ぎゅっと握られる。
沈黙が落ちた。
重い空気。
ラルフは何も言わない。
ただ、じっとリリアを見ている。
その様子を、
少し離れた場所でオスカーが黙って見ていた。
腕を組み、壁にもたれながら。
口は挟まない。
ただ、二人のやり取りを静かに聞いている。
やがて、長い沈黙のあと。
「団長」
オスカーが声を出した。
ラルフの視線が向く。
鋭い。
睨まれているのが分かる。
それでもオスカーは肩をすくめた。
「ちょっといいですか」
ため息をつく。
二人を見比べた。
そして思う。
(……ほんと、不器用だな)
言葉が少ないラルフ。
気持ちをうまく言葉にできないリリア。
どちらも頑固で、真っ直ぐで。
似た者同士だった。
「お二人は……もう……」
オスカーは言葉を探すように、少しだけ間を置いた。
そして苦笑する。
「喧嘩の仕方も分からないんですか」
ラルフの眉がぴくりと動く。
だが止まらない。
「団長は言葉が足りない」
「ローゼン卿は遠慮しすぎる」
小さく息を吐く。
「見てて、もどかしいんですよ」
執務室に沈黙が落ちた。
オスカーは視線をリリアへ向ける。
「彼女がどれだけ努力してきたか」
そしてラルフを見る。
「団長、知ってるでしょう?」
ラルフは答えない。
オスカーは続けた。
「ローゼン卿の今までの努力、認めてあげたらどうですか」
静かな言葉だった。
だが、まっすぐだった。
再び沈黙が落ちる。
ラルフは目を閉じた。
深く息を吐く。
そして、しばらくしてから――
「……好きにしろ」
低く言った。
リリアが顔を上げる。
驚いたように目を見開いた。
だがラルフはすぐに続ける。
「ただし」
その声は変わらない。
「条件がある」
腕を組み、リリアを見下ろす。
団長の顔だった。
「騎士団に残るなら、今まで以上に強くなれ」
金色の瞳が真っ直ぐに射抜く。
「俺の隣に立つつもりなら、守られる騎士はいらない」
リリアの胸が強く鳴った。
ラルフは最後に言った。
「――守れる騎士になれ」
沈黙。
その言葉は、命令のようでいて。
どこか――
信じている響きでもあった。
リリアはゆっくりと息を吸う。
そして背筋を伸ばした。
「はい」
小さく。
だがはっきりと答えた。
その様子を見て、オスカーはふっと笑った。
「はい、決着」
軽く手を叩く。
「団長もローゼン卿も、頑固なんですよ」
肩をすくめる。
「俺の胃が持たないんで、ほどほどにしてください」
ラルフは呆れたように息を吐いた。
リリアは、ほんの少しだけ笑った。
こうして――
二人の、初めての衝突は終わった。
だがそれは同時に。
互いの覚悟を、初めて真正面からぶつけ合った瞬間でもあった。




