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悪女の選択――愛される資格などないはずだった  作者: 音香(Otoca )


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隣に立つ者たち

柔らかな光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。


リリアはゆっくりと瞼を開いた。


一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。


けれど―― すぐに思い出す。


暖炉の匂い。


広い天井。


そして。


隣から聞こえる、静かな寝息。


視線を向ける。


ラルフが眠っていた。



無防備な顔だった。


いつも誰よりも強くて、誰よりも揺るがない男が、

今はただ静かに眠っている。



その姿を見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。


(……生きてる)


当たり前のことなのに。


奇跡のように思えた。


身体を動かしてみる。


――軽い。


驚くほど軽かった。


痛みも、重さも、昨日までの疲労も、

嘘のように薄れている。


(いっぱい寝たからかな……)



そっとベッドを抜け出す。


ラルフを起こさないように。


静かに浴室へ向かった。



温かい湯が、肌を滑り落ちていく。


辛い出来事が、すべて洗い流されていくようだった。


身体も。


そして、心も。



鏡に映る自分の顔は、少しだけ穏やかに見えた。



髪を拭きながら寝室へ戻る。


その時だった。


「……起きていたのか」


低く、落ち着いた声。



ラルフが目を覚ましていた。


金色の瞳が、真っ直ぐリリアを見ている。


リリアは、自然と微笑んだ。


ベッドの隣に腰を下ろす。


「おはようございます」


「ああ。おはよう」


同じように、ラルフも微笑んだ。



その時―― リリアは気づいた。



ラルフの唇の端が、わずかに切れている。


赤く、薄く滲んだ傷。


昨夜は気づかなかった。


(……どうして……)


胸が、きゅっと締めつけられる。


無意識のうちに、指が伸びていた。


「……ラルフ、これ……」


そっと触れる。


ラルフは一瞬だけ目を細めたが、

すぐに何でもないように笑った。


「大したことはない」


「でも……」


リリアの指先が、震える。


自分の知らないところで負った傷。


ラルフは、その手を軽く包み込んだ。


「心配するな」


低く、優しく言う。


「すぐに治る」


その笑みを見た瞬間、胸が少しだけ苦しくなる。



けれど、リリアはそれを表に出さなかった。


「……お腹、すきました」


ぽつりと呟く。


ラルフの目が、わずかに柔らいだ。


「そうか」


すぐに立ち上がり、扉の方へ向かう。



「朝食を用意させよう」


扉の外のメイドへ短く指示を出し、戻ってくる。



「その間に乾かしてやる」


当たり前のように言い、リリアの背後へ回る。


大きな手が、濡れた髪に触れた。


優しく、丁寧に。


まるで壊れ物を扱うように。


ドライヤーの温風が、静かに流れる。


その時間は、あまりにも穏やかで。



戦いも、爆発も、陰謀も。


すべてが遠い夢のように思えた。




やがて、ノックの音がした。


朝食が運ばれてくる。


サンドイッチ。

色鮮やかなフルーツ。

新鮮なサラダ。

ヨーグルト。

温かい紅茶。


テーブルいっぱいに並べられた。


「いただきます!」


リリアは手を合わせ、すぐに食べ始めた。


自分でも驚くほど、食欲があった。


口にするたびに、身体が喜んでいるのが分かる。


ラルフは向かいに座り、

珈琲を口にしながら、その様子を見ていた。



そして、小さく笑った。


「今日は、よく食べるな」


「……はい。自分でもびっくりしてます」



少し恥ずかしくなりながら答える。



「それだけ回復した証拠だ」


その言葉が、嬉しかった。



食事を終え、二人で他愛ない話をしていると――



コンコン、と扉が叩かれた。


ラルフが視線を向ける。


「入れ」


扉が開く。


入ってきたのは―― アンナと、オスカーだった。



アンナは完璧な所作で一礼する。


「失礼いたします」


その後ろで、オスカーも軽く頭を下げた。


アンナはリリアの前へ進み、優しく微笑む。



「リリア様、お加減はいかがですか」



「はい……大丈夫です」


そう答えると、アンナは安心したように目を細めた。



だが次の瞬間、ラルフが口を開いた。



「今回の件――説明を聞いていない」


低い声だった。


アンナは表情を変えず、答えた。



「ご説明いたします」


静かに、まっすぐに。


「我が家に婚約の話が来たのは事実です。

そのことをクラウス様に相談したところ、表向きは婚約を受け入れたまま、裏で証拠を入手し、決定的な場面で確保するのが最善だと判断されました」



ラルフの眉がわずかに動く。


「こちらにも話すべきだった」


アンナは微笑んだまま、首を横に振る。


「愛し合っているお二人の前では、どこで綻びが出るか分かりません。

失敗すれば、リリア様の命がさらに危険に晒されます」



その言葉に、ラルフは黙った。



そしてアンナは、少しだけ悪戯っぽく続けた。


「ですが……お伝えしましたよね」


「“少しの間、お借りします”と」



――あ。


リリアとラルフの視線が、同時に重なる。



思い出した。


あの時の言葉。




ラルフは深くため息を吐いた。


「……なんてやつだ」



「お褒めいただき光栄です」


アンナはにこりと笑った。



そして――


「本日は、もう一つお願いがございます」


真剣な声になる。



「私を、リリア様の側近にしていただけないでしょうか」



「……え?」


リリアは思わず声を漏らした。


アンナは続ける。


「これからリリア様は、公爵家の夫人として社交界へ立つことになります」

「礼儀、立ち振る舞い、政治、派閥」

「守るべきものは、騎士団の中だけではなくなります」


その瞳は、強かった。



「ですから――私が隣に立ちます」

「命に代えてましてもお守りいたします」



ラルフは黙って聞いていた。


そして。


「リリアはどう思う」


そう問いかけた。



リリアは戸惑った。


アンナの覚悟は分かる。


けれど――




その空気を読んだように、アンナがさらりと言った。


「私はクラウス様一筋でございます」



「……は?」


三人の声が重なった。



「付き合っているのか?」


オスカーが思わず聞く。



アンナは微笑んだ。


「いいえ。片想いです。

ですので、ラルフ様を好きになることは絶対にありません」



沈黙。



そして―― 笑いが漏れた。



ラルフも。

リリアも。

オスカーも。



ラルフは頷いた。



「分かった。手配しよう」



「ありがとうございます」


アンナは優雅に一礼し、部屋を後にした。



残されたのは三人。


オスカーは書類を差し出す。


「確認をお願いします」


「ああ」


ラルフが受け取る。


少しの沈黙。


オスカーが苦笑する。


「まんまと乗せられてましたね」



「……全くだ」


ラルフも苦笑した。



そして。


オスカーは、真剣な顔になった。


「団長」


ラルフが顔を上げる。



「……リリアと、二人で話をさせてもらえませんか」


その言葉の意味を、ラルフは理解していた。



数秒。


沈黙。



「……分かった」


静かに立ち上がる。


リリアを一度だけ見て。


何も言わず、部屋を出ていった。



扉が閉まる音が、小さく響いた。



部屋に残されたのは――



リリアと、オスカーだけだった。

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