兄の真実
王宮の廊下は、いつもと変わらず静かだった。
磨き上げられた床。
等間隔に並ぶ柱。
見慣れた景色のはずなのに ―― 今日は遠く感じた。
リリアは立ち止まった。
目の前にある扉。
文官執務室。
その奥に兄クラウスがいる。
ポケットの中の紙がやけに重かった。
(……お兄様)
呼びたい名前が喉の奥で止まる。
代わりに騎士としての自分が口を開いた。
コンコン。
「リリアです」
一瞬の間。
「入れ」
いつもと同じ声だった。
リリアは扉を開けた。
部屋の奥、机の前にクラウスはいた。
文官服に身を包み、整えられたブルーの髪。
一分の隙もない姿。
その姿を見た瞬間 ―― 胸が少しだけ痛んだ。
「どうした」
ペンを置きクラウスが顔を上げる。
感情のない目。
部下を見る目だった。
リリアは一歩進み、ポケットの中の紙を取り出した。
「……こちらを」
差し出した。
クラウスの視線が紙に落ちる。
手に取り開くとほんのわずかに ―― クラウスの指が止まった。
だがそれは一瞬だった。
次の瞬間には、何事もなかったかのように読み進めている。
沈黙。
時間だけが過ぎる。
「……どこで手に入れた」
低い声でクラウスが問いかけた。
「雪山の敵のアジトの小屋です」
嘘は言わなかった。
だが隠したことは言わなかった。
クラウスはそれ以上何も言わず、紙を閉じた。
そして―― 机の上に置いた。
「忘れろ」
「……え」
思わず声が漏れた。
クラウスは感情のない目でリリアを見た。
「お前が関わることではない」
その言葉はあまりにも冷たかった。
「ですが……」
言葉が、勝手に出た。
「これは……ローゼン家の……」
「ローゼン卿」
遮られた。
名ではなく、家名で。
「二度と言うな」
低い声で圧をかけられた。
「これは命令だ」
命令。
兄ではなく。
文官としての命令。
リリアの喉が締まる。
「……なぜですか」
聞いていた。
騎士としてではなく妹として。
しかし、クラウスは眉間にシワを寄せ険しい顔をした。
「退室しろ」
それだけ告げた。
リリアの指が震えた。
何かを言いたかった。
聞きたかった。
だが ―― 言えなかった。
「……失礼します」
騎士として礼をし、部屋を出た。
扉が閉まる音がやけに大きく響いた。
廊下を歩く足音が響く。
(……お兄様)
呼びたかった名は最後まで口にできなかった。
部屋の中でクラウスはもう一度机の上の紙を見た。
そこにある自分の名前。
ゆっくりとそれを手に取る。
そして ―― 強く握り潰した。
紙が歪む。
「まだ早い……」
小さく呟いた。
誰も聞いていない声。
その顔から文官としての仮面が外れた。
「……リリア」
名前を呼ぶ。
だがその声は ―― 届かない。
守るために遠ざけた名だった。




