隠した名前
小屋の中は冷え切っていた。
だがその空気とは裏腹に騎士たちの動きは慌ただしかった。
「こっちも記録しろ」
「はい」
「拘束は二重にしておけ。目を離すな」
外では捕えられた男たちが縄で縛られ、雪の上に座らされている。
抵抗する気力もないのか、項垂れたままだった。
リリアは小屋の中で押収品の確認に当たっていた。
机や床の上に乱雑に積まれた書類。
売買記録。
地図。
小瓶の薬。
移送経路。
どれも見ているだけで憎悪がする内容だった。
人を、物のように扱った記録。
ある書類をめくり上げた瞬間、動きを止めた。
「……え……」
声にならない声が、喉の奥でこぼれる。
そこにあったのは、見慣れた紋章だった。
ローゼン家。
間違えるはずがない。
幼い頃から何度も見てきた印。
視線がゆっくりと下へ落ちると記された名前は。
クラウス・ローゼン
「……っ」
息が止まり、頭の中が真っ白になった。
何かの間違いだ…… そう思った。
手がかすかに震える。
(なぜ……)
問いが浮かぶが、答えはどこにもなかった。
胸の奥がざわつく。
信じたいという感情と、確かめなければならないという理性が静かにぶつかり合っていた。
リリアはその書類を他の紙の下へ滑り込ませた。
そして何気ない動作でそれを取り上げ、ぐしゃっと折り、隊服のポケットへ入れる。
その動作は静かだった。
騎士としてはあるまじき行為だった。
証拠の隠蔽。
あってはならないこと。
それでも ――
(……確かめたい)
リリアはその気持ちに突き動かされていた。
そんな時、不意に声をかけられた。
「ローゼン卿」
肩がびくりと揺れる。
振り返るとオスカーだった。
「外の確認を頼む」
いつも通りの声に変わらない表情。
「……はい」
リリアは答えた。
オスカーと一瞬目が合った。
本当に、一瞬だけ。
だがオスカーは何も言わなかった。
オスカーの視線がわずかに細くなる。
「急げ」
「はい」
リリアは小屋を出た。
ポケットの中の紙が重い気がした。
(私は……)
騎士として間違ったことをした。
分かっている。
証拠を隠した。
「……お兄様……」
小さく呟いた。
信じたいからではない。
守りたいからでもない。
ただ真実を確かめたかった。
王都へ戻る道中。
リリアはいつも通り振る舞った。
獣人の子供たちの手を引き、
「寒くありませんか」
と声をかけ、転びそうになった子を支え、微笑んだ。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして」
リリアも微笑んだ。
その笑顔は嘘ではなかった。
だが胸の奥だけがずっと重かった。
(お兄様は……)
最近のクラウスの姿を思い出していた。
「無理はするな」
そう言ってくれたこと。
氷を当ててくれたこと。
何も言わず、そばにいてくれたこと。
(あれは……)
嘘だったのだろうか。
分からなかった。
分からないからこそ ―― 直接聞きたかった。
王都へ戻った後。
報告を終えると解散となった。
リリアの足は迷わず王宮へ向かっていた。
見慣れた廊下に知っている扉。
その前で止まる。
扉をノックしようと手を上げたが、すぐには叩けなかった。
「……」
少しだけ迷った。
もし本当に関わっていたら。
もしすべてが真実だったら。
それでも ―― リリアは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
コンコン。
「お兄様…」
呼ぶ声は震えていなかった。
騎士としてでも、部下としてでもなく、ただの妹として。
「お時間、よろしいでしょうか」
返事を待った。
胸の奥に消えていない感情を確かに残したまま。




