騎士に戻る朝
夜が終わっていた。
リリアが目を覚ましたとき、最初に感じたのは温もりの消失だった。
隣にあったはずの体温がない。
ぼんやりとした意識のまま、ゆっくりと視線を横へ向けるが、そこにラルフの姿はなかった。
「……団長……」
掠れた声は誰にも届かない。
返事はない。
代わりに静寂だけがあった。
昨夜の記憶がゆっくりと蘇る。
腕の中の温もり。
低く囁かれた声。
抱きしめられた感触。
―― 愛してる。
胸の奥が小さく軋む。
指先がシーツを掴んだ。
(……だめ)
目を閉じて小さく息を吐いた。
甘えてはいけない。
あれは夜だったから許された時間だ。
朝になれば終わる。
それが ―― 自分たちの関係だ。
「……戻らないと」
呟き、ゆっくりと身体を起こす。
まだ少し重い身体を動かしながらベッドを降りた。
床の冷たさが現実を思い出させる。
ここは団長の私室だ。
自分の居場所ではない。
浴室で軽く身なりを整え、鏡に映った自分を見つめた。
頬の赤みは消えている。
目もいつもの目だ。
騎士の目。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせる。
部屋を出るとき、一度だけ振り返った。
昨夜を過ごした場所。
何も変わっていない。
まるで何もなかったかのように。
リリアは静かに扉を閉めた。
そして ―― 王宮内の使用人の自室へ戻った。
部屋へ入ると、真っ直ぐ机へ向かう。
引き出しを開けると、中にある一つの束を取り出した。
紙の束。
一昨日まで何度も確認していたもの。
商人から得た情報。
兄から渡された情報。
それらを照らし合わせ、導き出した結論。
敵の ―― アジト。
「……これで」
小さく呟く。
迷いはなかった。
騎士団宿舎へ向かった。
私室に入ると、机の横にかけてあった隊服へ手を伸ばす。
久しぶりの感触だった。
袖を通す。
布の重み。
身体に馴染む感覚。
ベルトを締め、剣を腰へ差す。
その瞬間 ―― 背筋が伸びた。
さっきまでの女ではなくなる。
王立騎士団騎士 ―― リリア・ローゼンへと戻る。
鏡を見る。
そこにいたのは誰かに抱かれた女ではない。
剣を持つ騎士だった。
「行こう」
迷いはなかった。
その頃。
団長執務室。
重い空気が流れていた。
ラルフは椅子にもたれ、腕を組んでいた。
オスカーは書類を見ながら、眉を寄せている。
「侍女長ですが、薬の経路や接触方法などは吐きましたが……大元のアジトを吐きませんね」
「そうか」
「もう少し尋問をきつくするか」
団長の声は低く重かった。
だがオスカーはすぐに首を振った。
「きつくすると、他の使用人達も数名、もたないかと……」
沈黙が落ちる。
分かっている。
既に限界に近い。
これ以上は命を落とす者が出る。
それでは意味がない。
敵のアジトが分からなければ終わらせることはできない。
ラルフは窓の外を見た。
冬の空。
冷たい色をしている。
(時間がない……)
その時だった。
コンコン。
扉がノックされた。
「入れ」
「失礼いたします」
聞き慣れた声が聞こえ、扉が開く。
入ってきたのは、隊服に身を包んだリリアだった。
オスカーとラルフが視線を向ける。
「どうした」
ラルフが静かに問うと、迷いのない足取りでリリアはまっすぐ歩み寄った。
そして資料の束を差し出した。
「こちらをご覧ください。敵のアジトが書かれている資料になります」
ラルフとオスカーは同時に資料を見た。
そして ―― 顔を見合わせた。
驚きが隠せなかった。
ラルフが資料を開き、目を通す。
一枚。二枚。
読み進めるごとに、その表情が変わっていく。
確信へと。
「……」
やがて顔を上げ、まっすぐにリリアを見た。
「この情報はどこからだ」
「先日、商人の男から得た情報と兄からの情報を照らし合わせた結果になります」
クラウス。
オスカーの眉がわずかに動く。
ラルフはしばらく何も言わず考え込むとリリアを見た。
「よくやった」
それが団長としての最大の評価だった。
リリアは静かに敬礼した。
翌日。
王立騎士団は出動準備をしていた。
ラルフは騎士たちの前に立つ。
冬の空気が冷たく、吐く息が白い。
「今回は悪路を進む。寒さも厳しくなるだろ」
騎士たちが真剣な目で聞いている。
「準備を怠るな」
沈黙の後 ――
「「はい!」」
団員達の声が揃った。
リリアもその中にいた。
冬装備を身につける。
厚手のマント。
防寒具。
剣の重みが腰に馴染む。
オスカーが横へ並び、小さく呟いた。
「無茶はするなよ」
リリアはわずかに目を向ける。
「副団長こそ」
オスカーはふっと笑った。
そのやり取りをラルフは前方から見ていた。
何も言わない。
「 ―― 出発」
その一言で騎士団は動き出した。
雪の残る山道。
足場は悪い。
冷たい風が容赦なく体温を奪う。
想像以上の悪路だった。
それでも ―― 誰一人として歩みを止めなかった。
その中でリリアも懸命に前へ進んだ。
騎士として。




