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悪女の選択――愛される資格などないはずだった  作者: 音香(Otoca )


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揺れる心

王妃の私室の扉が閉まった瞬間、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。



だが ―― まだ始まったばかり。



ここから先も“見られている”。



廊下の先、柱の陰から視線があるのが分かる。



オスカーは扉を開けようとした瞬間、ふと足を止め隣のリリアに声をかけた。


「このまま歩いて出ていくのはまずいんじゃないか」


リリアははっとしたように顔を上げた。


「あ……」


自分の姿を思い出したのだろう。


赤いドレス。


露わになった肩。


悪女として、王妃を支配した直後の立場。



「……そうですね……」


小さく呟き、わずかに視線を落とすと迷いが見えた。


オスカーは何の前触れもなくリリアを抱き上げる。


「……っ」


リリアが驚き、身体がわずかに強張った。


「この方が“雰囲気”が出る」


オスカーは平然とした声で言うとリリアに視線を落とした。


「そんな顔をしていたら、悪女には見えませんよ」


わざと口元に笑みを浮かべる。


「俺の首に手を回して。……そう。もっと近く」


リリアの手が、遠慮がちにオスカーの首へ回る。


「胸に顔を埋めて。……隠していてください」



言われた通り、リリアは顔を伏せた。


柔らかな髪が、顎に触れる。



その瞬間。


オスカーの腕に ―― 確かな感触が伝わる。


薄い布越しに感じる女の身体の柔らかさと、露出した背中の熱。


(……)


息がわずかに詰まる。


普段の騎士団の制服姿とは違う。


華奢でどこか壊れそうだった女の子ではない。


今、腕の中にいるのは ―― 自分の意思で危険の中へ踏み込んだ女だった。


(……我慢しろ)


心の奥で強く言い聞かせる。


これは任務だ。


守るための演技だ。


それ以上の意味を持たせてはいけない。


オスカーは前だけを見て歩き出した。



廊下の途中で、柱の陰に人影があるのが見えた。



見ている。


噂になる。


ならば ―― オスカーはわずかに歩みを緩めた。


そしてリリアの額へ顔を近づける。


「……ここではダメですよ」


低く囁いた。


外から見れば、完全に情事の最中の男の声。


「部屋まで我慢してください」


そう言って額へ口づけるように見せた。



触れてはいないが、触れたと誰もが思う距離だった。


腕の中のリリアが小さく息を呑むのが分かった。


(……すまない)


心の中でだけ呟く。


これは任務だ。


そう繰り返す。


それでも今だけは、この腕の中の温もりを誰にも渡したくないとそう思ってしまった自分を、オスカーは否定できなかった。



――――――


その頃。


王宮の別棟にある私室へ戻る途中、ラルフは足を止めた。


何かが違うのを感じた。


王宮の空気が。


目に見えない流れが変わったような気がした。


(……動いたか)




広い王宮。


ほんの少し歩けば、リリアの部屋へ行ける距離。


今、この瞬間も会いに行こうと思えば行ける。



(……)


だが行かなかった。


行けなかった。


団長として。


王族として。



そして ―― あの任務を許可した者として。


感情で動くことは許されない。


彼女を送り出したのは自分だ。


守るために。


そして、進ませるために。



ラルフは再び歩き出した。



その表情は何も変わらないまま。



――――――


リリアの自室の扉が閉まった。


その音を聞いた瞬間、それまで自分を包んでいた空気がふっと変わる。


腕の中の緊張がほどけたのが分かった。


「もう大丈夫だ」


耳元で聞こえた声は、 廊下で聞いていた副団長の声ではなかった。


低くて落ち着いていて ―― 少しだけ柔らかい。


リリアはそっと顔を上げた。


思っていたよりもずっと近い距離にオスカーの顔があった。


呼吸が触れそうなほど近くて、 思わず息を止めてしまう。


(……あ……)


今まで気づかなかった。


オスカーの腕はこんなにも安定していて温かかったのだと。


オスカーはすぐにはリリアを下ろさなかった。


下ろすことを忘れているみたいに。


その一瞬の間が、なぜか胸をざわつかせた。


やがて。


「降ろすぞ」


静かな声とともに、 身体がゆっくりと下ろされていく。


とても慎重に壊れ物を扱うみたい下ろされ、足が床に触れた。


立っているはずなのに、まだ腕の中にいるような感覚が残っていた。


腰に添えられた手がすぐには離れない。


指先から体温が伝わってくる。


その距離の近さにリリアの心臓が小さく速く打ち始めた。



(……近い)


顔を上げると、 オスカーと目が合った。


真っ直ぐな視線。


副団長としての冷たい目ではない。


もっと静かで深い色をしていた。


何かを言いかけて ―― やめたような目。


次の瞬間、彼の手が離れた。


体温が消える。


それだけのことなのに、胸の奥が心細くなる。



「お疲れ様」


その言葉にリリアはようやく呼吸を思い出した。


「副団長も」


声が少しだけ掠れた。


どうしてなのか自分でも分からなかった。


さっきまで、あれほど完璧に“悪女”を演じていたのに。


今はもう、ただの自分に戻ってしまっている。


オスカーがわずかに表情を緩めた。


ほんの少しだけ。


「……よく頑張ったな」


その言葉を聞いた瞬間。


胸の奥がじんわりと熱くなった。



任務だからではなく。


副団長としてではなく。


自分を見てくれている。



そう思ってしまったから。


リリアは小さく視線を落とした。


指先がまだ微かに震えている。


(……ちゃんと、できていたのかな)


悪女として。


囮として。


仲間として。


けれど、さっきまで自分を抱いていた腕の感触だけは、どうしても消えてくれなかった。



温かくて安心してしまうほどに。



危険なほどに。



――――――


オスカーが部屋を出た後。


ドレスを脱ぎ、化粧を落とし、シャワーを浴びた。


温かいお湯が、肌を流れていく。


(終わった……)


あまりにも濃すぎる一日が。


鏡を見る。


そこにいるのは、悪女ではない。


ただのリリア・ローゼンだった。



「……明日も頑張らないと」


小さく呟き、ベッドへ向かおうとしたとき。


―― コンコン


ノックの音がし、扉を開ける。



「……お兄様」


そこにいたのはクラウスだった。


手には湯気の立つカップを持っていた。


「入ってもいいか」


「はい」


部屋へ入る。


クラウスはカップを差し出した。


「温かいうちに飲め」


「ありがとうございます」


カップを受け取り口をつける。


いつもより甘い。


ミルクが多いのだろう。



「……美味しい」


自然に言葉が零れた。


「そうか」


どこか安堵している声だった。


クラウスはドライヤーを持ってきた。


「座れ」


後ろから髪を乾かす。


温風が髪を揺らす。


優しい手に安心する。



(……あたたかい)



気づけば瞼が重くなる。


「眠いのか」


「……少しだけ」


「無理するな」


ベッドへ促される。


おとなしく布団へ入り座った。


リリアは無意識にクラウスへ身体を預けていた。


胸に寄りかかる。


安心できる場所に。


クラウスの手が一瞬止まる。


何も言わず、髪を乾かし続けた。


完全に乾くとクラウスはそっと身体を離した。


リリアを横にし布団をかける。



「……おやすみ」


囁く。


そして、ためらいのあと。


そっと額へ口づけた。


一瞬だけの触れるだけのキスだった。


「……」


リリアは穏やかな顔で眠っていた。


クラウスはしばらくその顔を見ていた。


そして静かに部屋を出た。

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