嫌な予感
アルトシュタイン王国。
「どうなってる」
ラルフが低く問いかける。
部屋には、ルーヴェル王国から来た薬師レイラと、治癒師ルークがいた。
「薬が効きません」
ルークが苦い顔で答える。
ラルフとオスカーは顔を見合わせた。
「状況はどうなんだ」
ラルフが再び問う。
「ルーヴェル王国から送られてきた薬で、これまでは症状を抑えられていました。
ですが、最近また例の薬が貴族たちの間で出回っているようです。
その方たちには薬が効かず、暴走症状が出ています」
ルークの説明に、レイラが静かに付け加える。
「おそらく、成分を変えられたのでしょう」
「だから薬が効かないのか。根絶が難しいな……」
ラルフは眉を寄せた。
レイラは静かにラルフを見た。
「お気をつけください。何か嫌な予感がします。特に、団長様です」
部屋の空気が重くなる。
ラルフは短く息を吐いた。
「分かった。忠告感謝する」
そう言って部屋を後にする。
廊下を歩きながら、ラルフはオスカーを見る。
「お前も気をつけろよ」
「俺ですか?」
「何かあるとすれば、お前も狙われる」
オスカーは小さく笑った。
「そうですね。でも俺は団長をお守りしますよ」
迷いのない言葉だった。
ラルフは少しだけ目を細める。
そして、オスカーの髪をくしゃっと撫でた。
「子供扱いしないでくださいよ」
オスカーは苦笑した。
二人が騎士団の訓練場へ向かうと、ガルムが走ってきた。
「団長! 副団長!どこもなんともないですか?」
「どういうことだ」
ラルフが問い返す。
ガルムは不安そうに俯いた。
「最近、団長と副団長とか……騎士団の皆が黒ずんで見えるんです。
前は映像として見えてたんですけど、最近は止まって見えるというか……ずっと、嫌な感じがするんです」
オスカーが眉間に皺を寄せた。
「さっきのレイラの言葉と、ガルムの話を聞くと引っかかりますね……」
その時だった。
訓練場の扉が勢いよく開く。
王立護衛隊の一人が、息を切らしながら駆け込んできた。
王立護衛隊は、王立騎士団とは別に王宮内外を守る部隊だった。
「助けてください!魔物が……魔物が出てきて……!」
「落ち着いて話せ」
オスカーが声を落として諭す。
護衛隊の男は震えながら続けた。
「ある方から差し入れをいただいて……隊のみんなで飲んだんです。
そしたら急に仲間たちが苦しみ出して、目が赤くなって……
そのあと、床に黒い穴が開いて……そこから魔物が這い出てきて……どうにもなりません……!」
ラルフの目が鋭くなる。
「王たちはどうした」
「地下の避難室に避難済みです!」
「分かった」
ラルフは即座に振り返った。
「第一部隊、第二部隊、第三部隊に分かれろ!
王宮内の制圧と避難誘導を優先する!
獣騎士隊も同行しろ!」
一瞬で訓練場の空気が変わった。
騎士たちは武器を取り、走り出した。
ラルフとオスカーも、その先頭に立って駆け出した。
王宮庭園へ到着した瞬間、ラルフたちは息を呑んだ。
黒い淀みが地面を覆い、その中から次々と魔物が這い出している。
王宮魔術師たちが応戦していたが、数が多すぎた。
「第二部隊は魔術師の援護!第三部隊は王宮内へ!」
ラルフが剣を抜きながら叫ぶ。
オスカーもすぐに前へ出た。
黒い穴から飛び出してきた魔物が、一直線に避難中の侍女へ向かう。
オスカーが割って入り、その首を斬り飛ばした。
「前見て走れ!」
低い声で叫ぶ。
その間にも、別の魔物が横から飛びかかってくる。
ラルフが剣を振り抜き、一瞬で叩き落とした。
「避難者を優先しろ!」
騎士たちはすぐに動く。
だが、王宮内はさらに酷かった。
薬で暴走した王立護衛隊が、目を赤く染めて襲いかかってくる。
「殺してはならない!」
ラルフが強く命じた。
「気絶させて捕らえろ!」
騎士たちは刃を返し、峰打ちで応戦する。
だが、相手は薬で力が増幅されていた。
人間離れした力で剣を振るい、数人が吹き飛ばされる。
獣騎士隊の子供たちも必死に戦っていた。
ラオが前へ出て魔物を殴り飛ばし、ネアが影から飛び出して護衛隊の背後を取る。
だが、以前のような勢いはなかった。
リリアの力がないから共鳴も強化もない。
一人一人の負担が大きすぎた。
「っ……!」
ネアが壁へ叩きつけられる。
ラオも腕を押さえながら膝をついた。
リッカは息を切らし、顔色を悪くしている。
ラビィだけが必死に皆を治癒していた。
「リッカ! 下がれ!」
オスカーが叫ぶ。
その瞬間、避難者の前へ飛び出した。
暴走した護衛隊の剣を受け止める。
重い。
いつもより明らかに力が強い。
オスカーは歯を食いしばった。
ラルフも避難者を庇いながら戦っていた。
だが相手の力も強く、数も多すぎる。
人間の技術と力だけでは、押し返しきれない。
ラルフは状況を見て、近くの部屋の扉を開けた。
「負傷者と避難者を中へ!」
「急げ!」
騎士たちが負傷者を運び込む。
避難者は十数人。
王宮勤めの侍女や文官たちだった。
リッカ、ラオ、ネアも怪我を負っている。
「大丈夫か?」
オスカーが心配そうに聞く。
「ラビィがいるから大丈夫」
そう答えるが、子供たちの唇は青くなり始めていた。
ラビィは必死に治癒を続けている。
額から汗が流れ落ち、肩で息をしていた。
それでも止めなかった。
護衛隊、騎士団、侍女、文官たち。
部屋の中には多くの負傷者がいた。
オスカーも周囲を気にして動いていたが、顔色が悪い。
「お前も少し休め」
ラルフが低く言う。
「大丈夫ですよ」
オスカーはそう返したが、肩で息をしていた。
明らかに無理をしている。
「魔力にあてられたんじゃないか」
「このくらいなら耐えられます」
その時だった。
扉が激しく叩かれる。
「団長! いますか!」
その声はクラウスだった。
ラルフはすぐに扉を開ける。
そこには血まみれのクラウスとアンナが剣を握り、数人の侍女たちが立っていた。
「入れ!」
全員を部屋に入れ、扉を閉める。
「お前たち大丈夫か」
「俺とアンナは大丈夫だ」
「侍女たちを頼みたい」
「分かった」
だが、治癒ができるのはラビィと治癒師だけだった。
二人で数十人を処置するのは無理がある。
オスカーは胸を押さえ、壁際に座り込んだ。
肩で息をしている。
ぼんやりとラルフを見た。
その時、気づいた。
ラルフの左脇の隊服が赤く滲んでいた。
「団長! これ……!」
オスカーは慌てて立ち上がり、ラルフの側へ寄る。
隊服をめくると、左脇に深い刺し傷があった。
血が流れ続けている。
ラルフはオスカーの手を払った。
「このくらい問題ない」
「問題なくないだろ!」
オスカーが怒鳴る。
ラルフは静かに周囲を見た。
「今は俺よりひどい人達がいる。周りを見ろ」
ラルフにそう言われ、オスカーは悔しそうに拳を握り締めた。
言い返せなかった。
実際、部屋の中にはもっと重傷の者が大勢いる。
血を流し、苦しそうに息をしている者ばかりだった。
「クラウス、外の様子はどうだった」
ラルフが視線を向ける。
クラウスは静かに答えた。
「俺達がいた西棟は魔物で溢れ返っている」
「私がいた東棟も同じくです」
アンナも続けた。
「中央棟もかなり倒したが、原因を絶たないと変わらないな」
ラルフが呟く。
オスカーは息を整えながら口を開いた。
「以前みたいな魔術師か……黒魔術じゃないですか。
この黒いモヤも、ただの魔物じゃ説明がつきません」
ラルフは黙って考え込む。
「モヤから溢れてくるのも、何かを狙っているのか……」
重い沈黙が落ちた。
クラウスが険しい顔で口を開く。
「町への被害はない。初めに狙われたのは護衛隊だ」
アンナも小さく頷いた。
「それを考えると……狙いは王族かもしれません」
王宮だけを狙った襲撃。
護衛隊への薬。
黒いモヤ。
全部が偶然とは思えなかった。
ラルフ、オスカー、クラウス、三人は視線を合わせた。
「だったら、団長は前に出るべきじゃない」
オスカーが険しい顔でラルフを見た。
「今の団長は王族側の人間です。もし狙いが王族なら、真っ先に狙われる」
ラルフは何も言わなかった。
オスカーの言いたいことは分かる。
けれど、前に出ないという選択肢もなかった。
ラルフは小さく息を吐く。
「……分かってる」
その短い言葉だけが返った。




