身体が覚えているもの
翌朝。
バルト、オスカー、クラウスがリビングに集まっていた。
「団長、珍しく起きてこないですね」
クラウスが朝食の準備をしながら言う。
するとバルトが答えた。
「昨日、地下室で寝かせたんだよ」
「映像が効いたんですかね」
オスカーが小さく笑う。
「俺、様子見てきますよ」
「私も行こう」
オスカーとバルトは地下室の扉を開けた。
だが開いた瞬間、二人とも動きを止める。
そこには、ラルフに抱きしめられたまま眠るリリアの姿があった。
リリアはラルフの胸元に顔を埋め、ラルフはその頭を抱くように眠っている。
オスカーはゆっくりと扉を閉めた。
「団長、リリアを抱きしめてぐっすり寝てましたよ」
「記憶が戻ったのか」
クラウスが問いかける。
「記憶がなくても、無意識にあいつを求めてるんだろう」
バルトは静かに言った。
その後、ラルフとリリアは少し遅れて起きてきた。
三人に色々言われたが、二人とも悪い気はしなかった。
昼過ぎ。
ラルフたちはアルトシュタイン王国へ戻るため、支度をしていた。
「団長さん、帰っちゃうんですか」
後ろからリリアの声が聞こえる。
ラルフが振り返ると、少し寂しそうな顔をしたリリアが立っていた。
「ああ。もう戻らないとな」
そう言って、ラルフは自然に頭を撫でる。
リリアはその手に少し目を細めた。
「次はいつ来れますか」
「えっ……」
ラルフは少しだけ困ったように笑う。
「仕事が落ち着いたらな」
リリアは小さく頷く。
けれど、その顔はやっぱり寂しそうだった。
ラルフたちはバルトに礼を告げ、帰路についた。
「よかったのか?」
クラウスが馬を進めながら聞く。
「いいんだ」
ラルフは前を見たまま答えた。
「今は寂しくても、すぐに日常へ戻るだろ」
「もう少し滞在すれば、記憶も戻るんじゃないか」
「戻っても、リリアに辛い思いをさせるだけだ」
ラルフは静かに目を伏せた。
それから時間が経ち、季節はまた冬になった。
リリアは考え込む時間が増えていた。
ぼんやりと外を見ていることも多い。
そんな様子を見て、バルトが声をかけた。
「たまにはどこか行ってきたらどうだ?」
「うーん……特に行きたいところもないですし……」
「お父様も、ロクスたちも忙しいのに悪いです」
「だったら、獣騎士団に遊びに来るか?」
「えっ!いいんですか?」
リリアの目がぱっと輝いた。
「決まりだな。支度してこい」
「はい!」
急いで支度を整えた。
獣騎士団の訓練場。
「わー!すごいですね」
「ここに座って見学してるといい」
リリアは木陰に座り、訓練を眺めていた。
剣と剣がぶつかる音。
掛け声。
砂埃。
その全てに、どこか懐かしさを感じる。
(……なんか、知ってる気がする)
その時だった。
新人獣騎士の剣が弾かれ、リリアの方へ飛んできた。
「危ない!!」
誰かの声が響いた。
リリアは咄嗟に剣を掴み、地面へ突き刺して止めていた。
その場が静まり返る。
リリア自身も驚いていた。
「大丈夫でしたか」
ロクスが急いで駆け寄った。
「はい……」
リリアは自分の手を見つめた。
剣を返そうと地面から抜いた瞬間。
頭の中に映像が流れ込む。
王立騎士団の隊服。
獣人の子供たち。
怖い顔をしたラルフとオスカー。
「リリア様! リリア様!」
ロクスの声で我に返る。
気づけば、バルトも側に来ていた。
「大丈夫か」
リリアは小さく息を吐く。
「私は……騎士……だったのですか」
バルトは静かに頷いた。
「お前はアルトシュタイン王国の王立騎士団に所属していた」
「覚えてるか」
「なんとなく……感覚が覚えてる気がして……」
バルトは小さく頷いた。
「少し休もう」
「ロクスと休憩してくるといい」
そう言って、ロクスに目で合図を送る。
「かしこまりました」
獣騎士団の応接室。
「ロクス、ごめんね。練習中だったのに……」
「いえ、構いません」
ロクスは静かに答えた。
そして、リリアの手が震えていることに気づく。
ロクスはその場にしゃがみ込むと、そっとリリアの手を握った。
「リリア様、無理はいけません。記憶は、いつか大事な時に思い出します」
「ありがとうございます」
リリアは少し安心したように笑った。
普段は背の高いロクスが、こうしてしゃがんでいる姿は少し不思議だった。
尻尾がゆらゆらと揺れている。
リリアは思わず、その頭を撫でた。
少し硬めの毛質。
けれど、ふわっとしていて気持ちいい。
ロクスの表情は変わらない。
それなのに、尻尾の揺れる速さだけが少し早くなる。
「ロクスは頭撫でられるの好きなの?」
「犬族ですので」
リリアはふふっと笑う。
そのまま耳にも触れた。
「耳の毛は柔らかいですね」
「……っ」
ロクスはすぐにリリアの手首を掴んだ。
「獣人の耳には触れてはいけません」
「ごめんなさい」
リリアは慌てて謝る。
ロクスは小さくため息を吐いた。
「耳や尻尾には触れてはいけません」
「襲われても文句は言えませんよ」
「知らなくて……ごめんなさい……」
しゅんとするリリアを見て、ロクスは少しだけ目を逸らした。
「……頭は撫でていただいても平気です」
ロクスは、少しだけリリアに心を許し始めていた。
掴んでいた手首をゆっくり離した。
「すみません。少し強く言いすぎました」
「ううん。私がいけなかったから」
リリアは小さく首を振った。
ロクスは立ち上がり、近くの棚からティーセットを持ってくる。
「甘いものでいいですか」
「うん」
「では、これを」
差し出されたカップからは、ほんのり甘い香りがした。
リリアは両手で包み込むように持つ。
温かさが、じんわりと指先に広がった。
「落ち着きます……」
「それならよかったです」
ロクスは向かいに座った。
静かな時間が流れる。
外からは訓練の音が聞こえてくる。
リリアはカップを持ったまま、ぽつりと呟いた。
「私……騎士だったなら、団長さんや副団長さんとも一緒に戦ってたんですよね」
ロクスは少しだけ目を細めた。
「はい。お二人とも、ずっとリリア様を大事にしていました」
「……そうなんですね」
胸の奥が少しだけ苦しくなる。
覚えていないのに。
どうしてか、その言葉だけで泣きそうになった。
ロクスはそんなリリアを見て、静かに続けた。
「焦らなくていいんです。思い出せなくても、今のリリア様を大事にしてくれる人たちはいます」
リリアはゆっくり頷いた。
「……ロクスも?」
ロクスは少しだけ驚いたように目を見開く。
そして、小さく笑った。
「もちろんです」
尻尾が、またゆっくり揺れていた。




