第7話:春風と舞踏会の予感
夜が明け、新しい朝がやってきた。
洗面所の鏡の前で前髪を整え、制服に身を包んだ澪は、朝食のトーストをかじりながら昨日の出来事を思い出していた。
(あの少年、何だったんだろう……。人を探してるって言ってたけど……)
『イバラ』を操る刺客。この街に引っ越してくる前から自分を嗅ぎ回っていたという謎の少年。考えれば考えるほど、不気味な違和感が募る。
(……それにしても)
ふと、昨日の夕闇の中、自転車を押しながら前を歩いていた背中が脳裏をよぎった。
(……えっ!? 私、なんであいつのこと考えてるの……っ!?)
ブワッと顔に熱が集まり、澪は慌てて首を横に振った。
(……あいつ、意外と優しい奴なんだ。私が明らかに話題を逸らしたのに、何も深追いしてこなかったし……後ろ姿…カッコよかったな)
自覚してしまうと、なんだか無性に恥ずかしくなってくる。
「澪、昨日お友達とお茶して帰ったって言ってたろ?」
厨房から、カウンター越しにお父さんがニコニコと笑顔を向けてきた。
「開店したら、ぜひ家にも連れておいで。パパが最高に美味しい紅茶、淹れてあげるからね」
「うん、ありがと。今度誘ってみるよ」
お父さんの温かい言葉に少し照れくさくなりながら、澪は鞄を手に取った。
◇
家を出て、朝日が差し込む巨海町の道を歩いていると、後ろからカラカラと軽い金属音が近づいてきた。
「おはよう」
聞き覚えのある声。横を自転車で颯爽と通り過ぎていったのは、炤だった。
一瞬だけこちらを振り返り、手を挙げて去っていく彼の背中を見送りながら、澪は自分の胸の奥が小さく跳ねるのを感じていた。
(……おはよう)
口には出さず、心の中でそう返して、澪は嬉しさを噛みしめるように歩幅を速めた。
◇
「さっそく今日から普通に授業が始まるよ〜泣! さすが錬成院だけど、早すぎるって〜!」
教室で朝の準備を終え、本を開こうとしていた澪の席に、刹那がぐったりとした様子で声をかけてきた。
「しょうがないよ、訓練校だもん。一緒に頑張ろう」
「そうだね! まあ今日はまだ座学だけだし、まだマシな方か〜笑」
その時、朝のホームルームを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
「じゃ、また後でね〜!」と手を振って自分の席へ戻っていく刹那。そのすぐ後ろの席には、すでにいつもの無頓着な様子で着席している炤の姿があった。
◇
昼休み。賑わう学食のテーブルで、澪と刹那は向かい合って昼食をとっていた。
「ねえ澪、金曜日の夜に開かれる『春の舞踏会』、澪も行くよね?」
「うん、一応ね。錬成院の生徒は全員招待される通例のようだし」
春の舞踏会。それはこの時代まで残っている、昔ながらの伝統行事だ。各季節の訪れを祝うために開かれる華やかなパーティー。
「今回は仮面パーティーらしいね! ドレスどうしようかなぁ。澪はもう決めた?」
「私はもう、お母さんが用意してくれたのがあるんだ。でも、付き合うよ。ドレスに似合うピアスをちょうど探したかったし!」
「本当!? じゃあ放課後決まりね!」
刹那が嬉しそうに声を弾ませる。
私の住んでいる街から少し離れた、中央絶対都市『アリストテレス』。
そこにある無為城『エーテル・レイライン』で、舞踏会は開かれる。
季節の巡りを祝うために特別に開門されるその城には、広大な図書室がある。どんな本でも揃っているあの場所が、澪は密かに大好きだった。綺麗で大きな噴水と、静かに水が流れる小さな水路のある庭園もだ。
(…まあ、こんなこと誰にも言えないけれど。)
今日の授業を終え、放課後の街へと刹那と共に繰り出した澪。
しかしこの時、刹那はまだ知らなかった。
このあと、自分が『澪の新しい一面』を目撃することになるなんて——。
(第7話・了)




