宿屋
宿屋
少女に案内されるまま宿の中へ入ると、外の賑やかさとは違い、木の香りが漂う落ち着いた空間が広がっていた。
磨かれた床板に、梁の見える高い天井。
お洒落なペンションのようだ。
夕食時ということもあり、食堂からは楽しそうな笑い声と料理の香りが流れてくる。
受付の奥には、四十代ほどの優しそうな女性が立っていた。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
「はい。一人なんですが、空いていますか?」
「もちろんです。何泊なさいますか?」
少し考える。
質屋でお金を手に入れたとはいえ、この世界のことはまだ何も分からない。宿を転々とするより、まずは腰を落ち着けて情報を集めたい。
「三泊でお願いします」
「承知しました。朝食と夕食付きで、銀貨一枚になります」
思わず目を丸くする。
(三泊で、ご飯まで付いて銀貨一枚……。さっき売った物だけで、しばらくは生活できそう)
胸を撫で下ろしながら銀貨を一枚差し出す。
女性は笑顔で受け取り、小さな木札に何かを書き込むと、透明な水晶が埋め込まれた金属製の指輪を差し出してきた。
「二階の一番奥、二〇七号室です。お風呂場はあちらの奥にあります」
指輪を受け取り、まじまじと眺める。
「これ、は何ですか?」
女性は少し驚いたように笑う。
「あ、ご存じありませんでした?これは魔法鍵ですよ」
「魔法鍵?」
「登録された部屋しか開きませんし、宿の外へ持ち出されても、一定時間で魔力が切れて使えなくなるんです。失くしても悪用されませんから安心なんですよ」
「へぇ……」
思わぬ高性能に感心してしまう。
(魔法ってすごい)
異世界らしい技術に、胸が躍る。
「夕食は食堂でどうぞ。お風呂は昼から夜までのご利用となっております」
「分かりました、ありがとうございます」
軽く頭を下げ、階段を上がる。
二階の廊下は静かで、足音だけが木の床に響いた。
部屋番号を確認しながら歩き、二〇七号室の前で指にはめた指輪を扉へ近づける。
水晶が淡く青く光り、カチリ、と小さな音がした。
扉を開けて中へ入る。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
想像していたよりずっと清潔そうな部屋だった。
木製のベッドには真っ白なシーツが敷かれ、小さな机と椅子、金庫まで置かれている。窓には厚手のカーテンが掛かり、洗面台も備え付けられていた。
快適そうな部屋だ。
(これなら、ゆっくり休めそう)
リュックを机の上に置く。
少し横になりたい気持ちもあったが、それ以上にお風呂に入りたかった。
自宅アパートから、木綿のワンピース下着タオルを取り寄せリュックに詰め廊下に出る。
鍵を閉めるため再び指輪を扉へ近づける。
赤い光が一瞬だけ瞬き、カチャリと施錠された。
「便利だなぁ」
感心しながら一階へ降りる。お風呂場に向かう。
それぞれ八畳ほどの、脱衣所、洗い場、湯船。数人いるお客さんの見様見真似で入浴を終える。
「さっぱりした」
風呂を出ると漂ってくる香ばしい匂いが空腹を刺激する。
「……お腹すいたな」
食堂へ足を踏み入れると、夕食時ということもあり、中は多くの宿泊客で賑わっていた。
木製の長机がいくつも並び、旅人や商人、冒険者らしき人たちが楽しそうに食事をしている。香ばしく焼けた肉の匂いが空腹を刺激した。
空いている席を見つけ、そっと腰を下ろす。
すかさず料理が乗った木の盆を持った少年がこちらへ歩いてくる。
「どうぞ、本日はナッカレ鶏の丸焼きです!」
元気よく盆を置いた少年を見て、思わず目を丸くした。
宿の前で呼び込みをしていた女の子によく似ている。
栗色の髪に、ぱっちりした目元。
違うのは髪が短く、少し背が高いことくらいだ。
私が見つめていると、少年は首を傾げた。
「あ、えっと……宿の前にいた女の子と似てるなって」
「ああ、姉ちゃん? 双子なんだ!」
やっぱり。
「姉ちゃんは客引き担当! 俺は食堂担当!」
誇らしげに胸を張る姿に思わず笑ってしまう。
「何かあったら呼んでね!」
そう言って少年は軽く手を振り、他の客のところへ向かっていった。
私は改めて目の前の料理へ視線を落とす。
大きな木皿には、こんがりと焼き色の付いた厚切りの肉が一塊。
横には皮付きのまま蒸されたこぶし大のイモが二つ。
そして木の器には、青い葉野菜がたっぷり入った湯気の立つスープ。
とても美味しそうだ。
「いただきます。」
まずは肉を一口。
素材は分からないが、よく切れるナイフを入れると想像以上に柔らかく、肉汁が溢れる。
噛むたびに旨味が口いっぱいに広がった。
「……美味しい」
続いてイモ。
ナイフで切り分け同じ素材のスプーンに乗せ食べる。ほくほくとしていて、肉との相性も悪くない。
スープも野菜の甘みがよく出ていて、体がじんわり温まる。
どれも素材そのものが美味しい。
だけど。
「……全部、塩味」
肉も塩。
イモも塩。
スープも塩。
日本なら胡椒や醤油、味噌、コンソメ、砂糖、めんつゆ……いくらでも味の変化がある。
ついそんなことを思ってしまう。
(いかんいかん)
異世界に来てお風呂に入って、温かい食事が食べられるだけでも十分ありがたい。
それでも少しだけ、焼き肉のタレや、バターの乗ったじゃがいもを思い浮かべてしまい、苦笑する。
お腹が満たされると、急激に瞼が重くなる。
あり得ない出来事で緊張し続けていた疲れが、一気に押し寄せてきたのだろう。
食堂を出ると部屋へ戻る。
このまま寝てしまいたいが取り寄せで歯ブラシと歯磨き粉、それに水のペットボトルを取り出す。
洗面台で歯を磨く。
ベッドへと倒れるように横たわる。
板張りで硬いが、それ以上に眠い。
足元の布を身体に巻きつける。
(明日は街を見てま、わろ……)
もう、何も考えられないくらい眠い。
私は明日への小さな期待を胸に、深い眠りへと落ちていった。




