帰還
冒険者組合を後にする。
あちこちの屋台から香ばしい匂いが漂ってきて、思わずお腹が鳴った。
「小腹が空いたな」
私は辺りを見回し、一軒の屋台へ近付く。
炭火の上では、大きな肉が串に刺さったままじゅうじゅうと音を立てて焼かれていた。
「ギモー肉。一本、銅貨三枚だよ」
「二本下さい」
代金を払うと、店主は焼きたての串を渡してくれた。
湯気とともにお肉の香りが鼻をくすぐる。
「熱いから気を付けて」
「ありがとうございます」
私は屋台の脇へ移動し、火傷しないように気をつけながら一口かじった。
「おいしい」
表面は香ばしく焼け、中は驚くほど柔らかい。
塩と香草だけのシンプルな味付けなのに、肉そのものの旨味が口いっぱいに広がる。
牛とも豚とも違う。
何の肉か分からないが、美味しいことだけは間違いない。
あっという間に食べ終える。
喉が渇き、近くの屋台で果物のジュースも買った。木のコップの中には、淡い橙色の液体。
一口飲むと、柑橘類のような爽やかな酸味と優しい甘さが広がる。
「これも美味しい」
異世界へ来てから、食事に外れがない。私は幸せな気分になりながら宿へ戻った。
ベッドへ腰かけ、ゆっくり息を吐いた。
「ーー日本のこと、片付けないとな」
道端で突然姿を消した私は、どういう扱いになっているんだろうか。画面越しに人だかりができていたのは確認したけれど。
スキル画面を開き昨日は試さなかった項目【帰還】を見る。
「……本当に帰るのかな」
少しだけ緊張しながら指先で触れた。
【地球へ帰還しますか?】
【YES/NO】
YESを押すと【地球モニター】で場所を指定するように指示が出る。映像が浮かび上がる。
駅前だった。相変わらず人通りが多い。
警察官と警察犬らしき姿も見えるが、大騒ぎというほどではない。
「なるほど……」
視点を移動させる。超高性能ドローンを手足のように自在に動かせる感じだ。
瞬く間に自宅アパートへ。
壁も屋根も関係なく映像は室内へ入り込む。
自分の部屋。誰もいない。正直ホッとした。
ベッドの上のパジャマ。流しのマグカップ。
昨日家を出た時のまま何も変わっていなかった。
「誰もいないなら」
自宅を指定し、帰還を望む。
次の瞬間、足元から白い光が身体を包みこみーー見慣れたベットの横に立っていた。
「ほんとに帰ってきた」
……土足だけど。
とりあえず、会社へのけじめは付けよう。
机の引き出しから便箋を取り出し、立ったままペンを走らせる。
会社名。所属部署。
『退職届
一身上の都合により、○月○日をもちまして退職いたします。』
事務的な文章を淡々と書き進める。
最後に名前を書き、印鑑を押し封筒へ入れて封をする。
形式も整っていない、不備だらけの退職届だ。それでも、もうこちらの社会のルールはどうでもよかった。
続いてメモ用紙を一枚取り出す。
そこへ大きな文字で一行だけ書いた。
『探さないで下さい』
理由も、行き先も書かない。どうせ何を書いても理解されることはないだろうから。
その隣にヘソクリの十万円を退去の迷惑料として置いた。
「さてと」
スキルを開き【所有物を一時置き場に収納】する
部屋全体が白く表示された。
『一括収納しますか?』
「はい」
一瞬で光になって消えた。わずか数秒で部屋は空っぽになった。
フローリングだけがむき出しになった空間。
収納一覧を見ると、何百という項目が並んでいた。
必要なら異世界でいつでも取り出せる。
生活用品を一から揃える必要がない。
この能力がある限り、異世界での暮らしは格段に楽になるだろう。
辺りを見渡した後、玄関へ向かう。
室内を土足で歩いてしまった事を申し訳なく思う。
外へ出て静かにドアを閉める。
鍵を掛けたあと、玄関のドアポストにそっと鍵を入れた。
そのまま、最寄りのコンビニへ向かう。
昼下がりの店内には数人の客がいる。雑誌コーナーで立ち読みをする会社員。
レジには学生らしい男女。惣菜を眺めるお年寄り。
いつもと変わらない、どこにでもある日常の風景だった。
私は店の奥にあるATMの前へ立つ。
財布からキャッシュカードを取り出し、機械へ差し込んだ。暗証番号を入力し、残高照会を開く。
画面に表示された金額は、決して多くはなかった。
それでも私が数年働いて貯めた金だ。
迷わず『全額引き出し』を選択する。
ATMが機械音を立て、紙幣が束になって出てきた。それを封筒へ入れ、鞄へしまう。
次に会社へ行くために駅へ向かう。通い慣れた、でももう来る事は早々ないだろう道。
休日のオフィス街は人通りも少ない。ビルの窓には明かりもほとんどなく、静まり返っている。
職場の入口脇に設置された郵便受けの前で立ち止まる。
鞄から退職届を取り出した。
これを投函すれば、もう会社員ではなくなる。
「……お世話になりました」
感謝というより、区切りの言葉だった。
封筒を郵便受けへ滑り込ませる。
カタン。
乾いた音が響く。
それだけで、胸の中にあった何かがすっと軽くなった。
これで終わりだ。
私は会社へ背を向けた。
人気のない路地へ入り、人目がないことを確認してから異世界への転移を選択する。
白い光が身体を包み、目を開けると宿屋の部屋だった。




