Side砦の司令官
国境砦司令官ガレスは、執務室の窓から砂漠の先を眺めていた。隣国との緊張は日に日に高まり、いつ戦が始まってもおかしくない。
砦には七千の兵士が駐屯し、警戒態勢は常に維持されている。
その時だった。
「司令官!」
見張りの兵士が血相を変えて飛び込んできた。
「空にっ巨大な物体を確認!」
「飛行魔物か?」
「分かりません! ですが巨大な建造物のように見えます!」
「建造物?」
意味が分からない。
ガレスは見張り台を駆け上がり、望遠魔道具を受け取った。
レンズの先に映ったものを見た瞬間、言葉を失う。
「……何だ、あれは」
巨大な建物だった。
小山ほどの大きさの石造建築が空を飛んでいる。
「あり得ん……」
そうしている間にも凄まじい速さで一直線に、この砦へ向かってくる。
「警戒警報を鳴らせ!」
ガレスの怒号が砦中へ響く。
鐘が激しく鳴り渡り、兵士たちが一斉に持ち場へ駆け出した。
「弓兵は城壁へ!」
「魔導兵は迎撃準備!」
「門を閉鎖しろ! 非戦闘員は地下へ!」
訓練場は瞬く間に戦場の空気へ変わる。
役人たちは重要書類を抱えて地下倉庫へ走り、補給部隊は武器や食料の搬送を始めた。
ガレスは空を睨みつける。
(隣国の新兵器か……?)
もしこれほど巨大な建物を飛ばせる技術を実用化したのなら、国境の要塞など意味を失う。
壁を越え、兵を送り込み、補給まで行える。
これまでの戦術が根底から覆される。
嫌な汗が背中を伝った。
巨大な飛行建築は速度を緩め、砦の前へゆっくりと降下を始める。
その圧倒的な威容を前に、数千の兵士たちは武器を構えながらも、見守ることしかできなかった。
巨大な建物が、静かに砦の前の砂漠へ着地する。
砂煙が舞い上がり、重苦しい静寂が辺りを包んだ。
見張り台を降り、正門前の指揮位置に立つガレス。 背後には副官と伝令、左右には近衛兵。
城壁の上では数千の兵士が弓と魔導具を構え、彼の命令を待っている。
「全軍、構えを解くな」
司令官ガレスの低い声が響く。
数千の兵士が弓を引き、槍を構え、魔導兵たちはいつでも術式を放てるよう魔石へ手を添えている。
巨大な建物の扉がゆっくり開く。砦側に緊張が走る。
最初に姿を現したのは、武装した者たちだった。
彼らは周囲を警戒しながら次々と建物から出ると、手際よく建物を囲むように左右へ展開する。
重要人物を守るための陣形。
その姿を見た砦の兵士たちの間に、小さなどよめきが広がった。
「……ん?」
「おい、あれ……」
「第四近衛隊の奴らじゃないか?」
城壁の上で弓を構えていた兵士が目を丸くする。あちこちから戸惑い混じりの声が漏れ始める。
周囲の兵士たちはさらに顔を見合わせる。
「敵じゃないのか?」
「いや、陛下直属の護衛だぞ、なぜここに」
「同期がいるんだが……」
張り詰めていた空気に、わずかな困惑が混じり始めた。
司令官ガレスも眉をひそめ、静かに見渡す。確かに見知った顔が数人いる。
やがて一人の男がゆっくりと歩み出た。
剣には手を掛けず、両手を見える位置に置いたまま砦の前で立ち止まる。
「国王陛下直属、第四近衛隊です」
よく通る声が砂漠に響く。
「司令官ガレス殿へ、陛下より親書をお預かりしております」
そう言って懐から封蝋の施された書状を取り出す。
ガレスは視線だけで伝令へ合図した。
伝令は警戒を解かぬまま砦を出て書状を受け取り、封蝋を確かめてからガレスのもとへ運ぶ。
王家の紋章に間違いはない。
ガレスは書状へ目を通し、眉をひそめた。
「……陛下が、この者たちへ国境防衛の支援を依頼した、とある」
副官が戸惑いを隠せない表情で口を開く。
「しかし、そのような知らせは届いておりません」
隊長格の護衛は困ったように苦笑した。
「申し訳ありません。恐らく、我々が伝令を追い越してしまったのでしょう」
確かにあの速さで空を飛んで来たのなら、砦へ向かう伝令より早く到着したとしても、不思議ではなかった。
ガレスは書状と護衛たちを見比べ、小さく息を吐いた。
「なるほどな。それで『支援』とは何だ?」
護衛隊長は建物を振り返り、小さく一礼した。
「ご本人からご説明いただくのがよろしいかと」
その言葉とともに、巨大な建物の入口に二つの人影が現れる。
まだ若い女と白衣をまとった若い男だった。
女は護衛に囲まれながらゆっくりと階段を下り、まっすぐガレスの前まで歩み寄ると、丁寧に一礼した。
「初めまして。チサと申します」
続いて隣の男も軽く頭を下げる。
「魔道具研究所所長、レオンと申します」
ガレスは目を細め、副官たちは思わず顔を見合わせた。
巨大な建物から現れたのは、歴戦の将でも豪腕の騎士でもない。
どこにでもいそうな女と研究者だった。




