遠いよ
城壁は見えている。
見えているのに、なかなか近づかない。
「……遠い」
思わず声が漏れた。
遠くから見たときは、二時間も歩けば着くだろうと思っていた。
だが実際は違う。
草原には目印になる建物もなく、同じ景色ばかりが続くせいで距離感がおかしくなる。
歩いても歩いても、変わらない。
社会人になってから、運動なんてほとんどしていない。
会社と家を往復する毎日。
休日は体力回復で寝て終わることがほとんどだった。
そのツケが、今になって一気に押し寄せてくる。
「はぁ……はぁ……」
息が上がり、汗が噴き出す。
足も鉛のように重い。
肩に掛けた布製のリュックも、中身はほとんど空なのに重く感じる。
額から汗が流れ落ちる。
このままではまずい。
立ち止まり、リュックを開き水筒を取り出す。
服が汚れるのも構わず、地面に座り込む。
先ほど入れ替えた麦茶だ、冷たくはない。
それでも喉を潤すには十分だった。
少しずつ飲み、深呼吸をする。
汗が引くまでそのままで。
水筒の蓋を閉め、再びリュックへしまった。
歩く。休む。また歩く。
そんなことを何度も繰り返した。
途中、何台もの馬車に追い抜かれる。
荷物を山積みにした商人らしき一団。
家族連れ。
鎧姿の兵士。
皆、私など気にも留めず先へと向かっていく。
その様子を見て少し安心した。
少なくとも、この格好は溶け込めているようだ。
気付けば日は大きく傾き、空が茜色に変わり始めて。
一番星が現れ始めた頃、ようやく城門の細かな装飾まで見える距離になった。
「はぁはぁ」
正直その場に座り込みそうになる。
だが、ここで疲れ切った顔を見せるのも怪しまれそうだ。
私は背筋を伸ばし、何事もないように歩き始めた。
城門の前には思っていた以上の人が並んでいた。
二十人……いや、三十人近くいる。
商人の馬車と徒歩の列が分けられているようだ。
私は徒歩の最後尾へ並ぶ。
列はゆっくり進んでいた。
その間、私はできるだけ周囲を観察する。
前後の人の話に聞き耳をたてる。
前の二人組は収穫の話をしていた。
「今年は雨が少なくてな」
「魔法で水を引いても限界があるさ」
魔法。その言葉に心臓が跳ねる。
少し離れた商人たちは税の話をしている。
「今回は銀貨二枚も取られた」
「最近は検査も厳しいよ」
銀貨。税。経済もちゃんとしている。思ったより厳しいかもしれない。
さらに列が進む。
兵士の声も聞こえてきた。
「通行証を」
「次」
「身分札を確認する」
身分札。
胸の奥が冷たくなる。やっぱり必要なんだ。
もしかしたら観光地のように誰でも入れるのでは、と少しだけ期待していた。
そんな甘い考えは一瞬で消えた。
どうしよう。
正直に異世界から来ましたと言う?
魔法がある世界なら、そういう事もあり得るのでは。
列は容赦なく進む。
あと一人。
心臓の音がうるさい。
「次」
若い兵士が私を見る。
「身分札を」
「……その、旅の途中でちょっと」
できるだけ困ったような表情を作る。
兵士は無言だった。
「名前は?」
「チ……チキです」
とっさにこの世界で名乗ると決めた名前を口にする。
「出身は」
「その……小さな村なので、ご存じないかと……」
言葉が途切れていく。
兵士の眉がわずかに動いた。
「村の名前は?」
「えっと……」
沈黙が流れる。
若い兵士は隣にいた年配の兵士へ視線を向けた。
二人は小さく何かを交わす。
年配の兵士が私の前へ歩み出た。
その表情は厳しいが、怒っているわけではない。
「確認したいことがあります」
静かな声だった。
逃げ道はない。私は小さく頷いた。
「……はい」
「では、こちらへ」
兵士が先に歩き出す。
私は重い足取りでその後をついて城門脇の建物へ入った。
重い木の扉が閉まる。
外の喧騒が一気に遠ざかった。
案内されたのは、小さな机と椅子だけが置かれた質素な部屋。
取り調べ室のような場所だった。
兵士は向かいの椅子を示す。
「座ってください」
机の横には後から入ってきた、もう一人の兵士が立つ。
……逃げられない。
胸の鼓動は、歩いていた時よりも速くなっていた。




