地球Side刑事
田中愛子の靴跡から採取した土のサンプルを、専門機関へ送付した三週間後。
黒崎は鑑識課の会議室に呼び出されていた。
部屋には鑑識員のほか、大学教授や地質研究所の研究員まで顔をそろえている。
ただならぬ空気だった。
「お待たせしました」
鑑識課長が一冊の分厚い報告書を机へ置く。
「外部機関での分析結果がまとまりました」
黒崎は静かに目を閉じた。
「まず結論から申し上げます」
研究員が言った。
「この土壌について、採取地点を特定することはできませんでした」
「特定できない?」
「はい。日本国内はもちろん、海外の土壌データとも一致しません」
ページがめくられる。
「鉱物組成、粘土鉱物、花粉、胞子、有機物、微生物。考えられる項目はすべて調べました」
「それで?」
「すべて中途半端に一致し、すべて決定的に一致しません」
黒崎は首を傾げる。
「どういう意味だ」
「例えば北海道に多い特徴を持ちながら、同時に南米でしか見られない鉱物を含んでいる。さらにアフリカの乾燥地帯に近い成分も検出される。しかし、それらが自然に混ざる環境は存在しません」
「人工的に混ぜた可能性は?」
「もちろん検証しました。しかし、その形跡もありません」
研究員は静かに首を振る。
「粒子の摩耗状態から見ても、長い年月をかけて自然に形成された土です」
部屋が静まり返る。
別の教授が口を開いた。
「最も不可解なのは微生物です」
資料には電子顕微鏡写真が並んでいた。
「通常、土壌には地域ごとの微生物相があります。しかし、このサンプルから検出された数種類は、既知の分類に収まりません」
「新種じゃないのか」
「新種なら歓迎です」
教授は苦笑した。
「ですが、既知生物との系統的なつながりが見つからないんです」
黒崎は言葉を失う。
そんなことがあるのか。
「分析を担当した海外研究機関からも同じ返答でした」
鑑識課長が一枚の紙を差し出す。
そこには英語で短く書かれていた。
"Origin Unknown."
――起源不明。
「現時点で断言できることは一つだけです」
研究員はゆっくり息を吐いた。
「この土は、現在の科学では産地を説明できません」
黒崎は静かに報告書を閉じた。
分析結果がまとまってから数日後。
国立研究所は、守秘義務契約を結んでいる海外の共同研究機関数か所へ、報告書を極秘扱いで送付した。
目的は意見を求めるためだった。
未知の土壌である以上、一つの研究機関だけで結論を出すべきではない――そう判断したのである。
だが、さらに数日後。
「また来ています」
事務員が分厚い書類を抱えて会議室へ入ってきた。
「今度はアメリカ地質調査所、それからケンブリッジ大学、ドイツのマックス・プランク研究所です。どちらも追加サンプルの提供を希望しています」
研究主任は眉をひそめた。
「……共同研究先じゃないな」
「はい。どこで情報を知ったのかは分かりません」
昨日までで十二件。今日だけでも七件目。
メールは一時間ごとに届き、国際電話も鳴りやまない。
フランス国立科学研究センター。
スイス連邦工科大学。
東京大学。
京都大学。
送り主はいずれも、その分野を代表する研究機関だった。
依頼内容は、どれもよく似ている。
『独自の分析を実施したい。土壌サンプルの分与をお願いしたい』
『共同研究を提案したい』
『採取地点の追加調査を希望する』
研究主任は小さく息を吐いた。
「研究者同士のネットワークだろうな……」
一つの研究機関で「説明できない」という結論が出れば、その情報は口コミのように世界中へ広がっていく。
正式な発表など待たない。
『前例のない試料が日本にある』
その噂だけで、研究者たちは動き始めていた。
研究主任は保管庫へ視線を向けた。
厳重に封印された耐火保管庫。
その中には、事件アパートで採取された土がガラス容器に収められている。
量は、およそティースプーン一杯。
通常の鑑識資料としては十分すぎる量だった。
だが今では、人類で最も価値のある土壌サンプルと言っても過言ではなかった。
もはや通常の鑑識資料ではない。
地質学、微生物学、惑星科学──複数分野の研究者が奪い合う、前例のない研究試料となっていた。
「分けられますか」
若い研究員が尋ねる。
「可能だ」
主任は頷いた。
「数十、いや百近くに小分けしても分析には耐えられるだろう。ただし――」
言葉を切り、ゆっくり続ける。
「一度配れば、世界中がこの土を研究し始める。もう、日本だけの問題ではなくなる」
会議室が静まり返る。
その静寂を破るように、電話が鳴った。
「……はい、国立研究所です」
応対した事務員の表情が変わる。
「はい……ええ、承知しております。はい、失礼します」
受話器を置き、全員を見回した。
「警察庁です。追加サンプルの国外提供は、政府判断が下るまで一時保留にしてほしいとのことです」
その場にいた誰もが息をのんだ。
いつの間にか、この僅かな土は、単なる鑑識資料ではなくなっていた。
国家が管理を始めるほどの、「正体不明の物質」へと変わっていたのである。
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