はじまり
起床後いつものように身支度を整えた私は、一階の食堂へ向かう。
朝の宿は焼きたてのお肉の香りで満ちており、数人の宿泊客が静かに食事をしていた。
「おはようございます」
挨拶をすると、宿の主人がにやりと笑った。
「おう。今日は先客がお前さんを待ってるぞ」
「え?」
視線を辿ると、食堂の隅の席にレオン先生が座っていた。
「先生?」
授業の日ではない。こんな朝早く宿に来るのも初めてだった。
先生は立ち上がると、軽く頭を下げた。
「突然お邪魔して申し訳ありません」
「何かあったんですか?」
「お見せしたいものがありまして。もし本日お時間がありましたら、食後に研究室までご案内したいのです」
口調はいつも通り落ち着いている。
けれど、どこかそわそわした空気が漂っていた。
「もちろん大丈夫です。少しお待ちください、今からご飯ですので」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
そう答えた先生だったが、私が朝食を食べている間も、何度かこちらへ視線を向けては、そっと目を逸らしている。
その様子に宿の主人が苦笑する。
「レオン。お前、散歩が待ちきれない犬みたいになってるじゃねぇか」
「……そんなつもりは」
否定はしたものの、罰が悪そうに咳払いをする先生を見て、思わず笑ってしまった。
どうやら、本当に見せたいものがあるらしい。
食事を終え、席を立つ。
「お待たせしました」
「いえ。では、参りましょう」
先生はほっとした表情を浮かべ、私を研究室へと案内し始めた。
朝の静かな街を並んで歩きながら、私は先生の横顔をちらりと見る。
普段は冷静な横顔が、少し高揚している。よほど完成した研究に自信があるのだろう。
十分ほど歩くと、街外れに建つ石造りの小さな建物の前で先生が足を止めた。
「ここです」
木製の扉の横には、小さく『レオン魔道具研究所』と刻まれた看板が掛けられていた。
促され、研究室へ足を踏み入れる。
壁一面には本棚が並び、魔法陣の描かれた設計図や見慣れない部品が整然と置かれていた。広くはない部屋だが、研究者らしい几帳面さが感じられる。
「こちらです」
先生が部屋の中央に置かれた台の前で手招きする。
白い布が掛けられている。
「ようやく、お見せできます」
静かに布を持ち上げる。
現れたのは、金属製の箱だった。
ティッシュ箱ほどの大きさで、表面には何重もの術式が精密に刻まれている。中央には、私が提供した青いサファイアが埋め込まれていた。
「これは……?」
「私たちの研究成果です」
先生はその箱を優しく撫でた。
「魔力蓄電器、と名付けました」
聞き慣れない名前に首を傾げる。
先生は机の上、一枚の図を指し示しながら解説を始めた。
「これまで魔石は、魔道具へ直接組み込んで使うものでした。術式へ魔力を流し、その場で消費する。それが常識です」
魔石から一本の線を引き、魔道具へつなぐ。
「つまり魔石そのものが燃料でした」
次に、魔石と魔道具の間へ四角い箱を書き加える。
「しかし今回、高純度魔石を解析して分かったことがあります」
先生は少しだけ笑みを浮かべた。
「高純度の魔石は、魔力を流すだけでなく、蓄えることもできたのです」
「蓄える……?」
「ええ。これまでは誰も気付いていませんでした。というより、気付けなかったのでしょう」
先生は箱を軽く叩く。
「一般に流通している魔石では、容量があまりにも小さい。蓄積を確認する前に魔力が尽きてしまいます」
中央のサファイアへ視線を向けた。
「ですが、あなたが提供してくださったものは違いました」
先生の声に熱がこもる。
「何度術式を組み直しても、魔力が内部へ留まり続けたのです。その結果、この蓄電器が完成しました」
私は箱を見つめる。
「どれくらい蓄えられるんですか?」
「正確な上限はまだ測定中ですが……」
一度言葉を切り、静かに答えた。
「従来の魔石利用法と比較して、今現在で九百倍です」
「九百!?」
思わず声が裏返った。
先生は小さく頷く。
「普通の魔石一つで動く魔道具は、せいぜい数時間が限界でした。しかしこれは、その何百倍もの魔力を保持できます」
机の上から金属製のランプを持ち上げた。
「実際にご覧ください」
蓄電器から一本の細い線をつなぐ。
カチッ。
先生が小さなスイッチを押した。それだけでランプが明るく輝く。
「……え?」
私は思わず瞬きをした。
「呪文は?」
「唱えません」
「魔力は?」
「流しません」
先生は微笑んだ。
「これが二つ目の成果です」
そう言って、今度は私の前へランプを差し出した。
「押してみてください」
「私がですか?」
「ええ」
恐る恐るスイッチへ触れる。
カチッ。
再び光が灯った。私は固まった。
私に魔力はまったく無かったはずだ。
「どうして……」
「蓄電器から魔力を供給しているからです。」
先生は嬉しそうに説明を続ける。
「これまで魔道具は、使用者自身が魔力を流すことを前提としていました。つまり、魔力を持たない人間には使えなかった」
私はランプを見つめたまま、小さく呟く。
「じゃあ、これは……」
「誰でも使えます」
その一言で、空気が澄んだような気がした。
「子どもでも、お年寄りでも、魔法を一切使えない人でも」
先生は穏やかな口調のまま続ける。
「魔道具を、道具として扱えるのです。」
私はその意味を考える。
今までは特定の魔法使いだけのものだった便利な道具。
それが、誰の手にも扱えるようになる。
照明。
調理器具。
暖房。
工房の機械。
生活そのものが変わる。
「もちろん問題は山積みです」
先生は苦笑した。
「蓄電器そのものの小型化も必要ですし、いずれは動線もどうにかしたい。安全装置も改良しなければなりません」
それでも、その表情には確かな自信があった。
「ですが、理論は証明できました」
先生は私を真っ直ぐ見た。
「この二つの成果は、あなたが提供してくださった魔石なしには決して生まれませんでした」
私は改めて蓄電器へ目を向ける。
地球では、美しいだけの宝石が、この世界では、文明を変える力を秘めた魔石になった。
この瞬間。
魔道具は魔法使いだけの道具ではなくなったのだ。




