市
窓から差し込む柔らかな日差しで目が覚めた。
「んー……」
ふかふかとは言えないベッドだが、会社勤めをしていた頃よりもずっと深く眠れている。
時間に追われることもない。スマホのアラームに叩き起こされることもない。
叔母から突然電話が掛かってくることもない。
ただ、それだけで、身も心も軽かった。
顔を洗い、一階の食堂へ向かう。
「おはようございます!チキさん」
宿の看板娘ナナが、今日も元気よく声を掛けてくれる。
「おはよう」
退職届を出しこの世界へ来てから、二カ月が過ぎていた。
日替わりの朝食を食べ終えると、料理人でもある宿の主人がコーヒーによく似た香りの飲み物を運んできてくれた。
「サービスだよ」
「ありがとうございます」
一口飲む。
苦味はあるが、後味はほんのり甘い。
「美味しいです」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
主人は満足そうに笑う。
異世界へ来たばかりの頃は、この宿も三日だけのつもりだった。
それが家族経営特有の居心地の良さに一週間、一か月と延び、気付けば二か月。
今では宿の人たちともすっかり顔なじみになっていた。
「今日はお出掛けですか?」
食器を片付けながらナナが尋ねる。
「うん。特に予定はないけど、街を歩いてくる」
「それなら今日は西広場で市が開かれる日だよ。月に一回、あちこちから珍しい品が集まるんだ」
ナナの双子の弟カイが、机を拭きながら教えてくれる。
「へえ。じゃあ、行ってみようかな」
宿を出ると、朝の澄んだ空気が頬を撫でた。
西広場へと向かう人の流れは、いつもよりずっと多い。
荷車を引く商人に、大きな籠を抱えた女性。
子どもたちは「早く行こうよ!」とはしゃぎながら駆けていく。
自然と私もその流れに加わった。
十分ほど歩くと、西広場が見えてきた。
「おぉ……」
思わず声が漏れる。
普段は噴水を囲むだけの広場が、今日はびっしりと露店で埋め尽くされていた。
色鮮やかな果物が山のように積まれた店。
見たこともない干物を並べる店。
細かな装飾が施されたアクセサリーや革細工、木工品。
店主たちが威勢よく客を呼び込んでいる。
「新鮮だよ!見ていっておくれよ」
「今日しか手に入らない品だ!さあさあ早いもの勝ちだよ」
まるで海外の市場へ観光に来たような気分になる。
露店を一軒ずつ覗きながら歩いているだけで時間を忘れてしまう。
干した果物を試食させてもらい、珍しい焼き菓子を買う。
双子へのお土産にちょうど良さそう。
紙袋を抱えながら歩いていると、ふと人だかりが目に入った。
「なんだろ?」
人々の間から背伸びをして覗いてみる。
そこには、一軒の露店があった。
店先には黒い布が敷かれ、その上に大小さまざまな石が並べられている。
赤く輝くもの。
深い青色に透き通るもの。
新緑を思わせる鮮やかな緑色。
どれも宝石のような美しさを湛えていた。
「魔石だ!」
「本物か?」
「ああ。しかも上質なやつばかりだ」
周囲から驚きの声が上がる。
店主は胸を張り、一つの石を手に取った。
「見てくれ!」
掲げると、陽の光を浴びて一段と美しく輝く石。
「この魔石には火属性の魔力が込められている! 魔法の才能がなくても、専用の魔道具に組み込めば火を起こせるぞ!」
「おお……!」
歓声が広場に広がる。
どうやら魔石とは、魔道具の動力源として使われる貴重な素材らしい。
(へぇ……)
人混みの後ろから眺める。
正直、仕組みはよく分からない。
それでも、陽の光を受けて輝く魔石は、思わず見入ってしまうほど綺麗だった。
(綺麗。宝石みたいだな……)
しばらく眺めていて、ふと首をかしげる。
(……いや、待って。これって、普通に宝石なんじゃないの?)
並べられた魔石をまじまじと見つめる。
(これ……ルビーとかサファイア、エメラルド、ダイヤモンドって言われたら普通に頷いちゃうな)
露店を後にした私は、近くの屋台で果実のジュースを一杯買った。
木製のカップを受け取り、一口飲む。
「……おいしい」
爽やかな甘みが口いっぱいに広がる。
近くのベンチへ腰を下ろし、行き交う人々をぼんやり眺めた。
冒険者らしい人。商人。家族連れ。
魔石。
正直、宝石と見分けがつかなかった。
もしも、地球の宝石を持ってきたらどうなるのだろう。
全くの別物なのか、それとも魔石として通用するのか。
(試してみたい。地球には、まだ未発見の鉱山もあるよね)
好奇心に押されるまま、私は《地球所有》を開き、【鉱物】を選択した。
すると視界いっぱいに、膨大な一覧が表示される。
「こんなにあるんだ……」
思わず小さく呟く。
検索欄へ意識を向ける。
(宝石……いや、原石だな)
そう念じると、候補が次々と表示された。
ダイヤモンド原石。
ルビー原石。
サファイア原石。
エメラルド原石。
どれにも『未発見』『未採掘』の文字が添えられている。
(あんまり大きくても目立つだけだし)
私は先ほど見た魔石と同じ位の大きさを指定し、サファイア原石を一つ選択する。
次の瞬間。
目の前の空間が、水面のように僅かに揺らいだ。
「っ」
反射的に両手を差し出す。
手の中へ、ずしりとした重みが現れた。
拳ほどもある青い結晶。
粗く削られてもいない天然の結晶。それでも陽光を浴びると、深い青の奥で光が揺らめき、吸い込まれそうな美しさを放っていた。
「……すごい」
思わず息を呑む。
私は慌てて周囲を見回した。
幸い、誰もこちらを気にしていない。
胸を撫で下ろすと、すぐに原石を収納へ戻した。
(……これは、人前で出すものじゃないね)




