地球Side巡査部長
土曜日、午後五時過ぎ。警察署の仮眠室。
簡易ベッドの上。頭の後ろで組んだ腕を枕にした巡査部長・佐伯は、昨夕からの出来事を一つ一つ思い返していた。
ふと、昨夜の電話を思い返す。
――失踪を伝えた、田中愛子の叔母とのやり取りだ。
「こちら○○警察署の佐伯です。姪御さんについてお電話しました」
一瞬の沈黙。
普通なら、「何かあったんですか」「事故ですか」と慌てる場面だ。
しかし返ってきた第一声は、佐伯の予想とはまるで違っていた。
『はあ? あの子、何かやったんですか』
苛立ちを隠そうともしない声に不意を突かれる。
「……現在、ご本人と連絡が取れない状況です。詳しいことは分かりませんが、事件に巻き込まれた可能性があります」
『え?』
一瞬だけ声が止まる。
だが、それも束の間だった。
『連絡が取れないだけで事件?わざわざ警察が出てくる事ですかね?どうせどこかでつまづいてるだけですよ、昔から要領悪い子なので』
普通なら、失踪と聞けば真っ先に安否を気遣う。
それが一切ない。
「……姪御さんとは、本日夕方ごろ連絡を取られていますよね。内容をお聞きしても?」
『あー、買い物頼んだの。なのにそれっきり連絡もなくて。まったく非常識なんだから』
怒り口調のまま続ける。
『お米も洗剤も買ってこないし本っ当に使えない子なのよ』
佐伯は無言で相槌を打つ。
「……最後に会われたのはいつですか」
『んー、三日前だったかしら?ちょっと家の用事を頼んだわね』
「普段から行き来は多いんですか?」
『家族だからね。一人暮らしで暇でしょうし』
その言葉を聞きながら、佐伯は静かにメモを取る。
「最近、何か悩んでいる様子はありませんでしたか」
『知りません。そんなことより、見つかったらちゃんと叱ってくださいっ。勝手にいなくなるなんて迷惑すぎます』
最後まで、自分の迷惑ばかりを口にした叔母。
事件とは直接関係ないかもしれない。だが、人が突然いなくなる背景には、人間関係が隠れていることもある。
親族関係の調査も必要かもしれない。
「佐伯さんっ」
勢いよく扉が開き、若い警官が駆け込んできた。
「家宅捜索令状、出ました!」
佐伯はゆっくりと起き上がる。
「……行こう」
昨夜の叔母との会話が、胸の奥に小さな棘のように残っていた。
土曜日、午後六時半。
家宅捜索令状を手にした佐伯たちは、田中愛子の自宅アパート玄関前に居た。
管理会社の立ち会いのもと、鍵が開けられる。
「失礼します」
刑事の黒崎が先頭に立ち、ゆっくりと玄関をくぐる。
――その瞬間だった。
「……えっ」
思わず声を漏らしたのは、後ろにいた管理会社の職員だった。
誰もがその光景に言葉を失う。
室内には、何もなかった。
カーテンすら取り外され、壁際には日焼けの跡だけが残っている。
「……空っぽだな」
別の刑事が呟く。
管理会社の職員が汗を拭きながら、資料を確認する。
「家賃は今月分まで支払われています、この三年間滞った事はありません」
佐伯は静かに室内を見渡した。
生活用品が一切ない。
だが、床には埃がほとんど積もっておらず、つい最近まで誰かが暮らしていたことだけは分かる。
「鑑識、入ってくれ」
「はい」
白い防護服を着た鑑識員たちが手際よく作業を始める。
玄関ドアの指紋採取。
現状の写真撮影。
床や壁の確認。
一人の鑑識員が保護した靴のまま玄関から上がろうとして一一止まった。
室内へ続くフローリングを見つめたまま声を上げる。
「黒崎さん」
黒崎が近づく。
「どうした」
「ここを見てください」
指さした先には、フローリングにうっすらと残る靴底の跡があった。
乾いた泥が付着し、その跡が室内の奥まで続いている。
「これは……」
「最近付いたものだと思われます。床はきれいですが、この部分だけ泥が付着しています」
鑑識員はしゃがみ込み、慎重に観察する。
「靴底の模様も比較的はっきり残っています。採取できるでしょう」
若い刑事が辺りを見回した。
「誰の足跡なんでしょう?」
鑑識員は首を横に振る。
「まだ分かりません。住人本人のものかもしれませんし、第三者のものかもしれません」
佐伯は黙ってその足跡を見つめる。
空っぽの部屋。室内に残された靴跡。
今は些細な痕跡でも、事件の真相へつながる手掛かりになるかもしれない。
「念入りに採取してくれ」
「了解です」
床の確認をしていた鑑識員が、壁際で足を止めた。
「……佐伯さん、こちらに」
指さした先には、白いメモ用紙が一枚だけ置かれていた。
「これは……」
何もない部屋の床に、唯一残されていた一枚のメモ用紙。
そこには、丁寧な字で短く書かれていた。
『探さないで下さい』
部屋の空気が止まる。
「本人の筆跡か?」
「後で詳細な筆跡鑑定に回しますが、パッと見る限り、退職届の筆跡と同じに見えますね」
佐伯はメモを見つめた。
失踪事件では珍しくない文面だ。
佐伯の脳裏に、昨夜の叔母とのやり取りが浮かぶ。
『家族なんだから、それくらいやって当たり前でしょう』
当然のように言い放ち、姪の負担を気にも留めない態度。
あのやり取りを思い返すと、この一枚のメモは、不思議と腑に落ちてしまった。
(……あれから離れたくなったとしても、不思議じゃない)
佐伯はメモを証拠袋へ入れる鑑識を見ながら、小さく息を吐いた。




