地球Side巡査部長
金曜日、午後十時半。
規制線の内側に、静かな緊張が漂っていた。
鑑識の作業が一段落した頃、一台の警察車両が現場へ到着する。
「警察犬、到着しました」
ハンドラーに連れられたシェパードが車から降り立つ。
巡査部長・佐伯は頷いた。
「頼みます。最後に目撃された位置から追跡を」
「了解です」
刑事が回収してきた、女性が職場で使っていたクッションをビニール袋から取り出し、警察犬に臭いを覚えさせる。
シェパードは鼻を近づけると、小さく鼻を鳴らした。
「よし、行け」
リードが緩められる。
警察犬は地面へ鼻を擦り付けるように歩き始めた。
駅前広場をゆっくり進み、人混みを縫うように臭跡を追っていく。
「追ってますね」
「ええ。臭いは取れています」
佐伯たちは一定の距離を保ちながら後ろを歩く。
警察犬は迷いなく一直線に進み――。
突然、その足が止まった。
消えたと目撃された、まさにその場所だった。
犬は何度も地面の臭いを嗅ぐ。
円を描くように歩き回り、周囲を探す。
右へ。
左へ。
数メートル離れては戻り、再び鼻を地面へ押し付ける。
やがて困惑したように鼻を上げ、ハンドラーを見つめた。
ハンドラーは表情を曇らせ、もう一度指示を出す。
「もう一回だ。探せ」
警察犬は再び捜索を始めた。
しかし結果は同じだった。
臭いはこの地点までははっきり続いている。
だが、その先がない。
風向きを変えても、周囲を広げても、まるで最初から存在しなかったかのように途切れている。
数分後、ハンドラーはゆっくり立ち上がった。
「……だめですね」
佐伯が顔を向ける。
「やはり、ここで完全に消えています。追えません」
一瞬、誰も言葉を発しなかった。
臭跡を追る能力に優れた警察犬が見失うなど、普通なら考えにくい。
逃走したのであれば、どこかへ続く臭いが残る。
車に乗せられたとしても、その地点までの臭跡は不自然な形で変化する。
だが今回は違う。
まるで、人間一人がこの場所で世界から切り取られたかのように。
佐伯は目撃者たちが口を揃えて言った言葉を思い出す。
荒唐無稽だと思っていた証言が、胸の奥で重くのしかかった。
翌日、事態は急変した。




