第9話 黄金の害獣
井戸の水を復活させ、泥だらけで剣のメンテナンスをしていたゼニマルは、再び村長に呼び止められた。
「勇者様! 井戸の復旧、誠にありがとうございました! つきましては、実はもう一つ、村の財政を揺るがす深刻な悩みがございまして……。村の特産である『乾燥高級薬草』の畑を、凶悪な魔物が毎日のように食い荒らしているのです。どうか討伐を……」
ピタリ。
ゼニマルの銅の剣を磨く手が止まった。彼はゆっくりと振り返り、一切の感情を排した、氷のように冷たいビジネススマイルを浮かべた。
「……あ? 井戸を直したんだ、あとは自分たちでフェンスでも立てて勝手に育てろ。いいか村長、俺の時間は有償だ。タダじゃないんだぞ。お前らの村の予算規模で、これ以上のオプション魔物討伐を発注できると思っているのか? ボランティアで世界が救えるか」
完全に勇者の口から出るべきではない冷徹な言葉に、村長は涙目でしどろもどろになった。
「そ、そこをなんとか! それが……その魔物、全身が『純金』のように神々しく輝く豚でして……! 刃物も通さないほど硬くて、村人の手には負えないのです。このままでは村の主な収入源が……」
「……純金、だと?」
その瞬間だった。
ゼニマルの両目に、眩しく光り輝く『G』のマークが、まるでスロットマシンのように高速回転して浮かび上がった。先ほどの冷徹な態度はどこへやら、彼から放たれるオーラが「コストカッター」から「獰猛な投資家」へと一瞬で切り替わった。
「リッチー! 行くぞ! これは単なる村の平和のため……いや、違う! 村の経済圏を脅かし、生態系を乱す不純物を排除するための聖戦だ! すぐに案内しろ村長!」
少し離れた日陰で、「王室御用達・自動展開式パラソル」の下でくつろいでいたリッチーが、面倒くさそうに顔を上げた。彼は今、ナイルで取り寄せた『特級コラーゲン配合日焼け止めクリーム』を、優雅に顔に塗りたくっている最中だった。
「えー、豚? 泥だらけで不潔じゃないか。それに黄金が欲しいなら、ナイルで『純金インゴット』を取り寄せればいいじゃない。品質保証書付きだし、そっちの方が確実だよ?」
「黙れ無能成金! お前の脳みそは金貨で出来ているのか!? 『野生の現物資産』をタダで手に入れるチャンスを逃すのは、道に落ちている札束の山を『拾うのが面倒だから』とスルーするのと同じだ! インゴットは『買う』ものだが、野生の金は仕入れ値ゼロ、『利益率100%』なんだよ! 圧倒的な粗利の差を理解しろ!」
二人が急いで畑に向かうと、そこには丸々と太り、太陽光を反射してミラーボールのようにギラギラと輝く『ゴールデン・ピッグ』がのんびりと佇んでいた。
――ムシャッ。
豚が、畑の中で一番高価な薬草の芽を美味そうに咀嚼する。
「ああっ!! 奴が一口食べるたびに、村のGDPが削られていく! あれはただの食事じゃない、経済へのダイレクトアタックだ! 無傷で捕らえれば、皮も、肉も、内臓も、すべてが莫大な資産に変わる……! 傷一つつけずに仕留めるぞ」
「ねえゼニマル。あいつ、ピカピカしててすごく硬そうだよ? また上から剣を落としてダーツごっこするの? もし弾かれて剣の刃が折れたら大赤字じゃない?」
リッチーが日傘をくるくると回しながら、極めてまともな指摘をする。
確かに、下手に物理攻撃をして「武器の修理費>豚の売却益」という最悪の逆転現象が起きれば、ゼニマルの精神は崩壊するだろう。
「……フフフ、分かっている。今回は『剣』という消耗品は一切使わない。減価償却の発生しない、コストゼロの物理法則で勝負だ」
ゼニマルが自信満々に取り出したのは、リッチーが山賊戦でナイルから取り寄せ、彼が意地でここまで引きずって持ち歩いていた、あの『純金の縄』だった。
「おいおい、またそんなものどうするんだい? 君、引きずりすぎて腕が筋肉痛になってるじゃないか」
「この縄で輪を作り、あいつの足元にトラップとして設置する。そして……あっちの崖の上から、俺自身が『重石』となって飛び降りる! 滑車の原理で、あいつを空高く吊り上げるんだ! これなら武器の摩耗はゼロ! まさに究極のエコ・ハンティングだ!」
「えっ、ちょっと待って。君のHPは? 崖から飛び降りたら、地面に激突して君の大事な大事な寿命が減るんじゃないの?」
「……計算済みだ! いいかリッチー、よく聞け。俺が飛び降りる瞬間に、お前がナイ)で『羽毛布団』をポチって、俺の着地点に即座に展開させろ! お前の資本で俺の命《HP》をノーリスクで担保しつつ、金の豚をノーダメージで捕獲する……これぞ他人の金を使った究極のレバレッジ、『他力本願・完全無血捕獲作戦』だ!」
「……君さ、僕のお金を君専用のエアバッグ代わりに使うの、やめてくれないかな?」
心底嫌そうな顔をするリッチーだったが、ゼニマルは「早く端末を開け! 検索窓に『布団』と入れろ!」と急かし、リッチーがしぶしぶ画面を操作し始めたのを確認するや否や、一切の躊躇なく崖からダイブした。
「重力という名の完全無料エネルギーよ! 俺のポートフォリオを輝かせろぉぉぉ!!」
ゼニマルの体が宙を舞い、崖の木を支点にした滑車の原理で『金の縄』が勢いよく跳ね上がる! 完璧に計算された軌道がゴールデン・ピッグの足首を正確に捉え、巨体を「ブヒィィィッ!?」という悲鳴と共に空高く宙吊りにした。
「よし……! 完璧な捕獲だ! あとはリッチーの王室仕様の布団の上に、ふんわりソフトにランディン……」
空中で勝利の笑みを浮かべていたゼニマルだったが、落下していく彼の眼下に広がっていたのは、ふかふかの純白の羽毛布団などではなかった。
そこにあるのは、無慈悲なまでにゴツゴツとした、硬い、ひたすらに硬すぎる剥き出しの岩肌だった。
「……あ、れ? 布、団……は……?」
崖の上では、リッチーがナイルの画面をまじまじと見つめながら、目を輝かせていた。
「わあ、すごい! 決済しようとしたら、画面下の『タイムセールス』に、すごく美味しそうな『南国直送・完熟マンゴーと幻のパパイヤ詰め合わせBOX』が出てきた! 数量限定だって! こっちにしよーっと」
「………………は?」
ドゴォォォォォォン!!!
ゼニマルの体が、一切のクッションなしで、自由落下のエネルギーを全開にして岩場に激突した。村全体を揺るがすような轟音が鳴り響く。
【HP:9,999,999,879】
「……あ、あ、がはっ……!!」
ゼニマルは口から一筋の血ではなく、エクトプラズムのような白い煙を漏らしながら、空中に残酷に表示された己のステータス画面を凝視した。
減った。スライムを避けて服が擦れた時よりも、ツノウサギの角がかすった時よりも、はるかに大きく、絶望的な数字。「120」も減ったのだ。
崖から落ちた物理的な大ダメージと、信じていた安全網に裏切られた精神的ダメージ、そしてリッチーへの凄まじい殺意で、彼の全身の血管が爆発寸前になっていた。
「……おま、お前……っ!! 広告ごときで……! 数量限定のフルーツごときで!! 俺の、俺の命が……! 俺の確定拠出年金が……! また一歩、確実な死に近づいたんだぞ!!」
「そんなに顔に青筋立てて怒らないでよ。ほら、代わりに注文したフルーツ、今届いたけど、マンゴーがすごく甘くてジューシーだよ? ほら、一口食べる?」
「……マンゴーなんかで俺の失われた寿命がペイできるかぁぁぁ!! ふざけるなこの大馬鹿野郎!! 訴えてやる! 債務不履行で損害賠償請求してやる!!」
全身の骨が粉々に軋むような激痛に耐えながら、ゼニマルはゾンビのようにふらふらと立ち上がり、宙吊りになって暴れている「純金の豚」へと近づいた。
そうだ、まだ望みはある。この莫大な質量の金塊を売却し、圧倒的な現金を手にすれば、この怒りも少しは……。
しかし。
至近距離でその豚の表面をまじまじと見た瞬間、ゼニマルの動きが、文字通り石像のように完全に硬直した。
それは、純金の塊などではなかった。
ただ、太陽の光の加減で金色に反射して見える「異常に硬くてツヤのある剛毛」に覆われた、ちょっと珍しいだけの、100%オーガニックな野生の豚だったのだ。
「……リッチー。おい、リッチー……これ、ただの豚だ。……なあ、村での買取相場、いくらだ……?」
リッチーはマンゴーの果汁を上品に拭き取りながら、豚をチラリと見て答えた。
「うーん、毛並みは綺麗でブラシとかには使えそうだけど、金じゃないなら……せいぜい3,000Gくらいじゃないかな?」
――3,000G。
取り返しのつかないHPを「120」も消費し、地獄の痛みを味わって得られた対価が、たったの3,000G。
「赤字だ……。天文学的な大赤字だ……。俺のHP『1』は、たったの25G以下の価値しかないのか……? いや、違う、俺の人生設計が……俺のポートフォリオが……完全に崩壊したぁぁぁ!!」
美しい夕暮れ空に染まる村に、節約勇者の悲痛すぎる、魂からの絶叫がこだました。
彼の「無料の重力」への信頼は、南国のフルーツによって無惨に打ち砕かれたのだった。
■贅沢勇者:リッチー
【所持金】9,975,382,420G
●本日の支出
日焼け止めクリーム ── 1,600G
完熟フルーツ1箱 ──8,000G
■節約勇者:ゼニマル
【HP】 9,999,999,879
【所持金】 100G
【装備】 銅の剣×90
【道具】 折れた剣の先、金の縄
【換金アイテム】合計時価総額──7286G
●本日の収入
ゴールデン・ピッグ(ただの豚) ── 3,000G
●本日の支出
HP120




