第10話 夢の絶対防御
村の酒場──。
薄暗い店内の一角で、ゼニマルはまるで熟練の左官職人のような手つきで、皿の表面を削り取っていた。
ターゲットは、リッチーが注文して一口だけ食べ、「なんか今日の僕のオーラの色と、この卵の黄色が合わない気がするんだよね」という、貧困層が聞いたら即座に一揆を起こすレベルの致死性暴言とともに残した『特製・霜降りコカトリスのオムレツ』である。
ゼニマルは、指をヘラのように使い、皿にこびりついた『トリュフソース』を、分子レベルで一滴残らず拭き取っては口に運んでいた。
(……見事な流動資産の回収だ。食費の徹底したコストカットと、他人の資本の最大利用こそが、最強のキャッシュフローを生み出す! フフフ、俺の胃袋は今、完全なる黒字経営だ……!)
もぐもぐと咀嚼し、原価ゼロのカロリー摂取に恍惚の表情を浮かべていると、隣の席の冒険者風の男たちのヒソヒソ話がゼニマルの耳に飛び込んできた。
「……おい、聞いたか? この先の『虚無の洞窟』の最奥に、【全反射の聖盾】が眠ってるって噂だぜ」
「ああ、どんな強力な魔法も、ドラゴンの鋭い爪も、すべてを100%跳ね返す無敵の盾だろ? 持ち主は指先一つ、かすり傷すら負わないって話だ。だが、今まで生きて帰った奴はいないらしい。あそこの魔物は厄介で、一撃食らうだけでごっそり命《HP》を持っていかれるからな」
ガタァッ!! バターン!!
ゼニマルが、周囲の客がビクッと肩を跳ねさせ、エールをこぼすほどの凄まじい勢いで椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。その両目は、暗い酒場の中でもハッキリとわかるほど血走り、異様な光を放っていた。
「おいあんた。その話、詳しく聞かせてもらおうか」
ゼニマルの脳内では、かつてない規模のファンファーレが鳴り響いていた。
どんな攻撃も跳ね返す盾。それはすなわち、今後一切のHP減少をストップさせる「永久不変の安全資産」であり、「減価償却の概念が存在しない奇跡のポートフォリオ」を意味する。
防御による物理的な摩耗がないなら、装備の修理費すら未来永劫ゼロ。つまり、初期投資さえ回収できれば、あとは無限に利益を生み出し続ける夢の金融商品なのだ!
「リッチー! 今すぐ出発だ! 目標は『虚無の洞窟』! いいか、今すぐ『洞窟踏破用フルセット』を取り寄せろ! もちろんお前の全額出資だ!」
「えー、また出かけるの? 僕はその盾、いらないよ。攻撃されそうになったら、『身代わり用デコイ人形』を発注するから、そっちを叩かせればいいもん。壊れたらまた新しいのをポチればいいし」
「黙れポンコツ成金! いいか、その『身代わり人形』は壊れるたびに買い直さなきゃならない、ただの浪費だ! だが『無敵の盾』は価値が永遠に目減りしない永続的な資産なんだよ! 一度の労力で一生の安全が担保される! この天と地ほどの圧倒的投資利益率の差が分からないから、お前はいつまで経ってもダメな成金なんだ!」
――数時間後。
村はずれにある『虚無の洞窟』の入り口は、文字通り光を一切飲み込むような漆黒の闇と、鼻を突く強烈なカビとアンモニアの匂いに包まれていた。
ゼニマルは冷たい隙間風に身を震わせながら、隣で暇そうに「この匂い、香水で上書きできないかな」と呟いているリッチーに命じた。
「おいリッチー、暗くて足元が1ミリも見えん。ナイトスパイダー戦で出した『ランタン』を出せ! それと、地面が異様にゴツゴツしてやがる。こんな所でつまずいて転んで、俺のHPが『1』でも減ったら大損害だ。俺の歩くルートに『絨毯』を注文して、道を極限まで平坦に舗装しろ! お前の莫大な資金力で、俺の歩行インフラを完璧に整備しろ!」
「えー、あの黄金のランタン? あー……あれね。純金だから無駄に重くて腕が疲れるし、途中でなんか変な羽虫がピタって止まったから『うわっ、気持ち悪っ!』って思って、その辺の道端にポイって捨ててきちゃった」
「……は?」
ゼニマルの全身の血の巡りが、シベリアの永久凍土のようにピタリと凍りついた。
「す、捨て、たぁぁぁ!? おま、純度100%の!! 純金製ランタンを!! 虫が止まったくらいでその辺の雑木林にぃぃぃ!?」
「うん。だって汚いじゃないか」
「貴様、資産という概念を母親の胎内に置き忘れてきたのか!! 金だぞ!? 虫が止まろうが泥にまみれようが、金なんだぞ!!」
「そんなに顔を真っ赤にして怒らないでよ、毛細血管が切れて君の貴重なHPが減るよ? またナイルで買い直すからさ。ええと、今度は持ち歩きやすい軽いやつがいいな……あ、これなんか新製品だって。よし、『超高輝度魔導ランタン・軽量版』これでポチっと」
「……くそっ、次捨てたら俺が這いつくばってでも拾い集めて、質屋にぶち込んで俺の個人口座に全額振り込ませてやるからな……」
ゼニマルがギリギリと奥歯を粉砕する勢いで歯ぎしりしていると、虚空が歪み、眩い光を放つ最新型のランタンと、丸まった状態の分厚くフカフカな『王室用・真紅の高級絨毯』が転送されてきた。
ズサァァァッ……!
絨毯が魔法の力で自動的にスルスルと解け、洞窟の奥へと敷かれていく。泥と岩とコウモリのフンだらけの不衛生な洞窟内に、まるで映画祭の授賞式のような異様すぎるレッドカーペットが完成した。
ゼニマルは血の涙を流しそうな悔しい顔をしながらも、リッチーの金で敷かれた絨毯の上だけを、一歩一歩、舐めるように慎重に踏みしめて進む。
(フフフ……。他人の資本で舗装されたレッドカーペットは最高だ。足への負担はゼロ、そして何より靴底のゴムが1ミリもすり減らん……! 私物へのダメージが全くない、これぞ完全無欠のオフバランスシート歩行!)
しかし、そんなゼニマルの「成金流・無被弾攻略」を嘲笑うかのように、洞窟の奥から不気味な羽音が無数に響いてきた。
「ギギギ……ッ!! キシャァァァ!」
ランタンの光が照らし出したのは、闇の奥から赤い目を光らせて現れた吸血魔物『ゴーストバット』の大群だ。奴らは物理ダメージだけでなく、獲物の体力を直接吸い取る最悪のデバフ持ち。その数、ざっと見積もって五十匹は下らない。
「来たか! 数が多すぎる、俺の『摩耗率の激しい銅の剣』では捌ききれん! 剣が刃こぼれする! リッチー、戦え! お前の『金の力』で俺の命を完璧に防衛してみろ!」
「えー、僕、洞窟の中で汗かくの嫌だし、そもそも戦うの苦手だよ。服に血が飛んだらクリーニング代かかるし。……あ、そうだ。ちょうどいい法人向けサービスがあるんだ。『対魔物用・飛行式全自動迎撃魔導具──通称「ドロン」』! 1回1,500万Gするけど、特別にレンタルしちゃおう。30分間だけ、僕たちの周囲を完璧な防空圏で守ってくれるって」
ピピッ、とリッチーが端末をタップした瞬間。
洞窟の空中に、白銀に輝く近未来的な球体の魔導兵器が現れ、ウィィィン……という静かで恐ろしい起動音と共に戦闘態勢に入った。
「……い、1,500万!? たった30分のレンタルで!?」
ゼニマルの脳内で、狂気の計算式が高速で弾き出された。
「ということは1分あたり50万G!? 1秒あたり約8,333Gだと!? お前、息をするたびに新入社員の初任給を空中に捨てているようなもんだぞ!! 狂ってる!! スタートアップ企業の初期資金か!!」
ゼニマルの血を吐くような絶望の絶叫が、コウモリの不気味な羽音を完全に掻き消すほどの爆音量で、虚無の洞窟の奥深くまで反響していった。
■贅沢勇者:リッチー
【所持金】9,960,010,620G
●本日の支出
特製オムレツ──1,800G
超高輝度魔導ランタン(軽量版) ── 30万G
高級絨毯 ── 7万G
ドロン(レンタル) ── 1,500万G
■節約勇者:ゼニマル
【HP】 9,999,999,879
【所持金】 100G
【装備】 銅の剣×90
【道具】 折れた剣の先、金の縄
【換金アイテム】合計時価総額──7286G
●本日の収入
無し
●本日の支出
無し




