12 この手に掴まってくれっ!
こちらの大気は、……甘いな。
真夜中の東京霞が関の転移門を抜けると、そこは陽光差す昼間の異世界だ。
先ほどより英子さんと私(茂吉)はパジェロを降車して、この異世界、ヤムントの大地をじっと踏み締めていた。
向こうには水量の多い河川があり、足元の草むらには、日本の本州のどこでも見覚えのありそうな野草や花々が、静かに生い茂っていた。
私は、左腕のクロノグラフを確認する。
現地時間、12月10日14時35分。
一方で、日本の標準時間は10月10日02時35分を指し示していた。
「……」
現地はレモン色の陽光が降り注ぎ、湿気の少ない高原の初夏のような暑さだ。
おそらく、30度前後とみていいだろう。
「とても、……いい風景ですね!」
英子さんは大層感激した様子で、口から言葉がこぼれ出た。
「えぇ、私もそう思います」
そう言って、私もニッコリと笑顔を作る。
これまでの前任者達は、初めてここオムラ渓谷にきた際に、とても感慨深くカメラのシャッターを切ったり、大声で叫んだりしたものだった。
だから、今回もまた、英子さんが同様のことをするのかと思い、黙って様子を見ていたのだが、……。
まぁ、取り立てて何か行動に出るという程でもない。
思いっ切り両腕を伸ばしてから、ギュゥ~~ッとほとばしる情熱を力いっぱいその胸に抱き締める。何とも奥ゆかしいことだな。
「そろそろ、王都に向いましょうか?」
感慨に耽っていた英子さんに、私は笑顔で告げた。
「すみません、お待たせしちゃって!」
「いえいえ」
再び2人で乗車すると、それから30分ほどの間、私の運転で車両を疾らせていく。
日本とヤムントは、自然の植生がよく似ているのだろう。車窓に流れるその風景は、北関東の山間部のそれを思わせた。
すると、……。
「斎木さんっ!? 車を止めて下さい!」
助手席で大人しく座っていた英子さんが、突然大きな声を上げた。
「どうされましたか?」
「蝶です。私、あんなにきれいなもの、見たことがありません!」
彼女の発した言葉を受けて、私は直ぐにSUVを停車させた。
車のエンジンがアイドリングする中、私は、しばしの間彼女の顔をじっと見ていたのだが、……。
まぁ、この辺りならさほど危険はないだろう。
「えぇ、いいですよ。でも、あまり遠くまでいかないで下さいね!」
「よろしいんですか?」
「えぇ、構いませんよ。ただ、ここらは、先日ゴブリンの群れが発生したと報告を受けておりますので、注意して頂かないとイケませんが!」
「えっ!?」
英子さんは、こちらの発した言葉にグッと息を飲む。
おそらく、そのゴブリンという名詞に、一瞬躊躇する気持ちが強く沸いたのだと思われる。
ふむ、……。なかなか用心深い。
その性質は、長生きする最大条件だな。
だが、先ほどの蝶、あんなの日本では絶対お目にかかれないという気持ちの方が、勝ってしまったようだ。
「はいっ! 了解ですっ!」
英子さんはそう言って車を降りると、件の蝶のいた草むらの辺りを見渡した。
「あれっ!? もういなくなっちゃったのかなぁ、……」
向こうで英子さんの声が聞こえる。
彼女は先ほど見たという珍しい模様の翅の蝶を探し、しばらく辺りをうろついている。
だが、不安を拭えないのか、時おり私の方に向って、「お~~いっ!」といって両手を大きく振ってくる。
こちらも笑顔を作って、右手を振って返事をする。
さて、……と。
私も現在のウチに、王宮まで連絡を入れておこう。
運転席に乗り込み、さっそく車載の無線機を起動させる。
「こちら茂吉です。瀬田少佐殿、聞こえますか? どうぞ」
王宮まで信号を送ったものの、直ぐには反応がない。
「……」
それから信号を何度か送ったところ、漸く相手が出てきた。
『こちらは瀬田。斎木のみヤムント入りか? どうぞ』
「新たな保護対象を連れて、オムラ渓谷まで転移に付き報告、どうぞ!」
『同行者の氏名と特徴を伝えよ! どうぞ』
「大藪英子、25歳、完全記憶能力持ちの絵描きです! どうぞ」
こちらからの連絡の後、しばしの間、少佐殿から信号が届かない。
すると、……。
『必ずや、保護対象を王都まで送り届けよ! どうぞ』
「了解しました。彼女は期待できます! どうぞ」
『引き続き、作戦遂行せよ、以上』
無線を切り、気が付くと、……。
車両から少し離れたところに、英子さんがいた。
「うわっ!?」
英子さんは慌てた様子で、草むらの先をじっと目を凝らして見ていた。
すると、……。
「えっ!? えぇ――っ!!??」
薄黒い、……。樹々の影のように煤けた、深緑色の身体の魔物。
人間の子供と同じくらいの背丈、150センチメートルほどの2足立ちしたゴブリンが、直ぐ傍にいた。
「ヒィキィィィィィィ―――ッッ!!」
魔物は英子さんに向けて、弓に矢を番えた。
他にも、ぞろぞろと、……。灰色の狼に跨った魔物達。
これは、マズいぞっ!!
思わず全身の血が沸騰する。
SUVのドアを閉じ、車両を急発進させながら、クラクションを鳴らした。
「英子さんっ、車ぁ飛ばしますよっ! この手に掴まってくれっ!」
「はいっ!!」
私の伸ばした手に英子さんは何とかしがみ付くと、そのまま勢いよく助手席に転がり込んだ。
次の瞬間、パジェロは猛スピードで渓谷を飛ばしていく。
「魁!暗躍オジさん!!」をお読み頂き、ありがとうございます!
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