10 最強の女性職員に仕立て上げる
「では、これから交渉に入りますか?」
「……」
私(茂吉)のその言葉に、英子さんはこくこくと子供のように頷いた。
「先ずは、こちらから目を通して頂けますかね?」
そう言って、おもむろに契約書を数点、テーブルの上に並べる。
「作戦遂行計画同意書?」
英子さんはその契約書の表紙に目を落として、そう呟いた。
ここにサインをしたら、もう絶対抜け出せないということなのだが、……ね。
書類から顔を上げると、彼女は私の表情を窺うため、こちらもニッコリと大人の笑顔で対応する。
「今回、英子さんが初めての女性雇用となります。これまでは男性 創作者を数名、こちらでスカウトしてきたんですがね」
「その人たちは、今どうされているのですか?」
ここで正直に伝えるべきか迷ったが、……。
「現在も作戦遂行中ですので、……」
こちらも仕事なんでね。後は、英子さんに判断を委ねることにした。
「……」
ふむ、……。
彼女はそれだけで、かなり危険な任務も伴うのだと概ね察したようだ。
「ココとココとココに、ご自身の住所とお名前を記入して頂けますか?」
「はい、……」
こちらの指示の下、英子さんは次々と書類の所定の場所にサインをしていった。
ふむ、……。
ならば、そろそろ彼女にもちゃんとした飴玉を渡しておこう。
「この度の『エース展』向けにお描きになった作品を、ウチの役所(本社)で買い上げさせて頂きたいと思います。そうですな、……。お値段はこれでよろしいですかな?」
そう言って、背広のポケットから小さな電卓を取り出すと、……。
私はピッポッパッとそれらしく計算した後に、こう提示した。
「えっ!? いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、せんまん、……。えぇ――っ!? 一億ぅ!?」
「我々は、これでも少ないと見積もっておりますよ!」
そう言って、こちらも笑顔を作った。
「くぅぅ~っ! 殺せっ!」
英子さんはそんなことをぶつぶつと呟きながら、絵画の売買契約書などにサインを続けている。
「ふふっ、殺しませんよ。むしろ、英子さんのお力をこれから存分に発揮して頂けると思ったら、とてもワクワクしますな。我々は、あなたの能力が大いに活かされるものと、期待しておりますぞ!」
私は書類を全て回収すると、様々な契約書に記入漏れがないかどうか、詳しく目を通し始めた。
「くぅぅ~っ!」
英子さんが呻いている。ご自身が役所から過大に評価されてしまって、何だか居た堪れない気持ちになっているのかもしれない。
「それでは契約成立です。ご決断、誠にありがとうございます」
「はい」
「それでは、今後のことなのですが、……。英子さんは半年ほど日本を離れ、現地で生活して貰います。現在はまだ極秘任務となりますので、一度『失踪扱い』になってしまいますが、構いませんね?」
「えっ!?」
「あぁ、そう言えば、……。我々の計画では、そのウチに自衛隊が異世界で活躍する小説などを使って、若い人の採用を計画しているみたいですよ!」
「えっ!? それはホンとですか!? 自衛隊って、どちらかというとお堅いイメージがあったものですから!」
「ふふふっ、やっと笑ってくれた。冗談ですよ。まさか自衛隊が異世界ファンタジーアニメを使って、リクルーティングなんてするワケないですよね?」
「ですよねぇ―っ?」
そう言って、英子さんはホッとため息を吐いた。
「……」
英子さん、……。よくぞ、決心して下さった。
この氷河期世代と呼ばれる者達は、根性と覚悟が座っている。
彼女も、そんな一人なのだろう。
すると、……。
「おそらく、母校の大学の研究室では、私のことを仕事に敗れて絵筆を捨てた負け犬、『断筆姉さん』といって、面白おかしく笑ったりするんでしょうね」
自嘲気味な言葉だ。
だが、彼女の英断を笑いものにすることなど、断じてあってはならない。
「英子さん、あなたは決して負け犬などではありません。今回の任務に、この先30年の日本の将来がかかっています!」
それが、私の本音だ。
退院後、英子さんには急で悪いのだけれど、身辺整理を行って貰った。
これまで、江古田の美大キャンパス近くに下宿していた英子さんだったが、……。
そこも、ついに引き払った。
今後しばらくの間、彼女には霞が関近くの公務員宿舎に入居して貰う。
すると、英子さんは最小限の荷物を詰めたキャリーケースを引きずって、宿舎に現れた。
ここは千代田区の、日本でも有数の超高級地で、……。
英子さんは、大いに戸惑っている様子だね。
「こちらは女性のみ入居しておりますので、後は彼女に引き継ぎますね」
私は英子さんを施設コンシェルジュの女性の職員に預けると、後の手配を始める。
「これからしばらくの間、お世話になります」
そんな明るい声が聞こえてくる。
さて、……。
彼女には大いに活躍して貰うとするか。
* *
「大藪さんっ、そろそろ息が上がっていますよ!」
「はっ、はいっ! まだイケますっ!」
「ナイスですっ! もうワンサーキット、いきますよ!」
「はいっ!」
英子さんが、こちらの公務員宿舎を兼ねた施設に入居して、早くも2週間が経過した。
彼女には専属のスポーツトレーナーが付いて、施設内の体育館で、ここんところ毎日体力づくりに追われている。
「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ、……」
3周目のサーキットメニューを終え、肩で荒い息を吐いていると、……。
「では、これから5分ほど休憩を入れます。まだ半分しかこなしていませんからねぇっ!」
「うへぇ~っ」
ほぅ、……。頑張っているな。
私(茂吉)は、今日もいつもと同じ時間とタイミングで様子を見に伺う。
すると、英子さんの満面の笑み。
英子さんにとっては、今や頼れるものは私以外におらず、……。
こうして定時で訪ねることには、大変意義があるように思われた。
「トレーナー、英子さんの調子はどうですか?」
「えぇっ。順調に仕上がっていると思いますよ」
「そうでしたか」
笑顔で微笑むトレーナーを労うと、頬を赤くされた。
ふむ、……。まぁ、張り切ってくれるのはありがたいことだ。
「はいっ、では残り3周、サーキットスタート!」
「はいっ!」
英子さんは我々が見守る中、しっかり残りのメニューに打ち込んだ。
その後、立て続けに次の座学や実習やら研修やらが控えている。
これから向かうヤムント国の歴史やら語学研修やらの座学を、夕飯前まで講師とマンツーマンで受けて貰い、食事のマナー研修も兼ねた夕食の席にも就いて貰う。
実を言うと、英子さんは暗記モノが得意だ。
かの天才、聖徳晴子を生んだMOMO和光脳科学研究所に、短期入所した経験がある。
英子さんは、完全記憶能力持ちなんだよ。
だから、紙と鉛筆さえあれば、どんなものでも再現可能だし、語学の研修、歴史やテーブルマナーなど暗記モノは容易いそうだ。
「おや、大藪さん。まだまだ余裕ですね? 笑顔に、こっちまで癒されますよ!」
「はぁ~いっ。大藪英子っ、頑張りまっす!」
ここで、初老の女性担当専門官がふぅっと息を吐いた。
「大藪さんの今回の任務は、戦後復興期のヤムント国の魅力を現代日本に伝える、広報活動です。どうか、存分にその能力を発揮して頂きますよ!」
「はいっ、頑張りまっす!」
次の時間の研修は、英子さんの得意な絵画研修だ。
元々作画技術に自信のあった彼女には、似顔絵の研修や風景の早描きスケッチの短期訓練を集中的に行い、更に磨きをかけて貰うつもりだ。
次の時間の実習は、射撃訓練だ。
また一方で、異世界では王侯貴族達と接する機会が多いため、話し方やウォーキング、化粧などのマナー訓練にも参加させている。
研修期間中、英子さんにはオフの日はほとんどなく、……。
我々の指導の下、正装して銀座や六本木辺りの様々なパーティーにも、度々出席させた。
ホンの2か月足らずで、役所は英子さんを最強の女性職員に仕立て上げることができた。
「魁!暗躍オジさん!!」をお読み頂き、ありがとうございます!
斎木茂吉の活躍や、仲間たちとの冒険を楽しんで頂けたら嬉しいです!
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