第5話「オランドの騎士」
****
「卿。どうやら、オランドの屠殺鬼は《影圧縮》で殺られたようです……」
年嵩の騎士は連れのほうへ首を巡らせ、鎧を鈍く鳴らしながら、見る影もない肉の塊へと歩み寄った。
「実に興味深い。……ミノダル、か。となると——」
男はゆっくりとこちらへ振り返り、視線を突き刺してきた。
「我々は、よくよく慎重に事を運ばねばならん、ということだ」男は言った。「立て。これを履け」
丈の高い革の長靴が、一足、投げてよこされた。
「お言葉ですが、これじゃ歩けませんよ……」
「ほう。なぜだ」
「だって、俺の親ゆ——」
言葉が、途中で死んだ。
親指が、あった。
ついさっきまで、なかったはずの親指が。
はじめは、ただ見つめていた。自分が何を見ているのか、わからなかった。それから、動かしてみた。親指は、素直に曲がった。
素直すぎた。
皮膚は無傷。爪も。血も、痛みも、ちぎれた縁もない。傷痕ひとつ残っていなかった。治った、というのとは違う。体が、古い版の上から自分を書き直した——そんな感じだった。
ゆっくりと、視線を上げた。
部屋の隅、泥と乾いた血の中に、切り落とされた俺の親指の、腐り果てたなれの果てが転がっていた。
俺の。
古いほうの、だ。
ついさっきまで俺の一部だった、皮と爪の黒い欠片。
吐き気が、喉元までせり上がった。
もう一度、新しい親指を見た。
どうやって……そして、何と引き換えに?
「小僧。立って長靴を履けと言ったはずだ」年嵩の騎士の声は、明瞭で、よく通った。「頼んでいるのではない」
俺は長靴へ手を伸ばし、足へ引っぱり上げにかかった。頭の中では、まだ起きたことの整理がついていなかった。
ちなみに長靴は、少しばかり小さかった。
騎士は、俺が作業に取りかかったのを見届けると、連れへ声をかけた。連れはちょうど、オランドの屠殺鬼の残骸を編み袋へ詰め込もうと悪戦苦闘しているところだった。
「終わったら、そいつを縛れ。一人で足りる。私の知る限り、《影圧縮》は数日のうちに二度撃てるほど、安上がりな術ではない」
こいつら、何かを知っている。
それも、噂話の域じゃない。
これが何を意味するのか、突き止める必要があった。
「あの、それはどういう——」
言いかけた瞬間、断ち切られた。
「口を閉じろ。それも頼みではない。次に破れば——術など使わんでも、お前をあれと同じ塊に丸めてやる」
****
馬たちは、日に灼かれて乾いた小道をのんびりと進み、時おり大きく鼻を鳴らした。
縄が張っては、また弛む。
そう。このクソ騎士どもは、俺を馬に括りつけ、自分の二本の足で後ろを歩かせやがったのだ。
二時間もすると、脚が言うことを聞かなくなってきた。
「ちょっとくらい、休ませてもらえませんかね」
返事は、なかった。
ただ馬が、また尻尾を持ち上げ、俺の足元へたっぷりと置き土産を落としただけだった。
まあ、いい。
どうせ長靴は、俺のじゃない。
しばらくして、前方から声がした。
「小僧。口を開くなと言ったはずだが」
「でも聞いてくださいよ。この調子だと、俺、そのうちくたばりますって。そうなったら、あんたらが俺を引きずる羽目に——」
「見せかけるより、在れ」が馬を止め、地面へ飛び降り、こちらへ向かってきた。
腰の剣にも、あの文字が刻まれているのが見えた。どうやら、連中の口癖——いや、教団の飾り文句らしい。
鎧が、日の光を弾いてぎらついていた。
あるいは——モロクの光を。
肩当てには紋章が刻まれている。一つの点から、半円状に放たれる幾筋もの直線。
男は、ほとんど鼻先が触れる距離まで来た。年嵩の騎士は、黙って成り行きを眺めている。
鉄籠手の一撃が、腹にめり込んだ。
体はくの字に折れ曲がり、それから数秒、俺は呼吸のやり方を一から学び直す羽目になった。
「休め」
男は踵を返し、ダングリトン卿のもとへ戻っていった。二人のあいだで、低い話し声が始まる。
ようやく、息が戻ってきた。
クソが。
やり方さえわかってりゃ、《影圧縮》は年中無休で稼働していたところだ。
「小僧、名は」
年嵩の騎士の声がした。
「……アスゴルド、です」痛みの隙間から、どうにか絞り出した。
「こちらへ来い、アスゴルド」
また体のどこかで代金を払わされないよう、怒りは顔の奥へ押し込んだ。
なんで俺は、会う奴会う奴に殴られてばかりなんだ?
瀕死の白鳥を演じながら、のろのろと立ち上がり、年嵩の騎士のもとへ歩み寄る。
男は、大きく毛並みのいい馬の上から、俺を見下ろしていた。
「聞かせてもらおうか、アスゴルド。——お前はどうやって、ミノダルと契約を結んだ?」




