泥にまみれた栄光
朝の冷たい光が、王宮の正面アーチに新しく掲げられた重厚な銘板を照らしていた。
かつてラングハイム王国の威厳を誇示していた金獅子と剣の紋章は跡形もなく削り取られ、代わりに漆黒の鋳鉄に金文字でこう刻まれている。
『アスガルド公爵家 ラングハイム特別管理本部』
「……実に素晴らしいわ。無駄な装飾を削ぎ落とした、実用性と威厳を兼ね備えた佇まいね」
私は王宮のバルコニーから、眼下に広がる王都の景色を見下ろしながら、淹れたてのハーブティーを一口含んだ。
昨日まで絢爛豪華な調度品や絵画で埋め尽くされていた玉座の間は、一夜にして我がアスガルド公爵家の「統括執務室」へと姿を変えていた。足元を飾っていたペルシャ絨毯はすべて剥ぎ取られて清掃のしやすい石畳が剥き出しになり、壁に飾られていた歴代国王の肖像画は、色鮮やかな『部門別歳入推移図』や『債務返済計画表』へと差し替えられている。
「お褒めに預かり光栄です、エレオノーラ様。本日付で旧王家高官らの給与八割削減手続き、ならびに王宮の公金口座の凍結が滞りなく完了いたしました」
私の背後で、セバスチャンが恭しく礼をした。
「して、あのお二方の『強制労働による債務弁済プログラム』ですが……こちらも現場より非常に順調であるとの報告が入っております」
セバスチャンが手元の魔法鏡をつけると、二つの現場の映像が鮮明に浮かび上がった。
───
【第三黒鉛鉱山】
「ひぃぃっ! 重い! 重すぎる! こんなの無理だ! 手の皮がむけて血が出ているんだぞ! 私は……私はラングハイム王国の第一王子、アウグスト・フォン・ラングハイムだぞ! 誰か……誰か私に冷たい水と、柔らかいベッドを持ってこい!」
薄暗く湿気た坑道の中で、ドロドロに汚れた作業着を纏った男が、泥水の中に膝をついて悲鳴を上げていた。
かつて完璧にセットされていた彼の輝く金髪は、いまや真っ黒な炭粉と汗でべったりと頭皮に張り付き、自慢の男前な顔立ちも見る影なく汚れ切っている。彼が運ぼうとしているのは、己の体重の倍以上はある黒鉛の塊が詰まった鉄製の手押し車だった。
「おい! そこの作業員! 何サボってやがる!」
背後からドスの効いた怒声が響き、巨漢の現場監督が巨大なツルハシを地面に突き立てた。彼は元平民の鉱夫であり、我が公爵家から正当な給料を受け取っている忠実な現場責任者だ。
「さ、サボってなどいない! 私は呼吸を整えているのだ! 高貴な王族には適切な休息と人道的な配慮が保障されるべきだ!」
アウグストはガタガタと震えながら叫び返した。
「ハッ! 王族だぁ? ここにいるのは『返済期間八億年の巨額債務者』だけだ! いいか、お前の一時間の基本給は銅貨三枚だ。今日のノルマである手押し車二〇台分を運び終えなきゃ、今日の夕飯の『硬いパン』と『塩スープ』はおあずけだぞ! 嫌ならその自慢の頭で黒鉛を掘り叩け!」
「ひ、ひぇぇっ! そんな……そんな殺生な! マリア……マリア助けてくれ……! 私は……私はこんなところで死にたくない……!」
アウグストは涙と鼻水を泥まみれの顔に撒き散らしながら、必死で手押し車を押そうとするが、鍛えられていない彼の細い腕はガクガクと震え、車輪はピクリとも動かない。現場監督の怒号と、他の作業員たちの冷ややかな視線が容赦なく彼に降り注いでいた。
──
【現アスガルド直営第十四ジャガイモ農場】
「嫌ぁぁぁっ! 虫! 虫がいるわ! キャーッ! 誰かこの汚い虫を殺してぇ!」
カンカンと照りつける太陽の下、果てしなく広がるジャガイモ畑の真ん中で、粗末な灰色の麻チュニックを着た女が狂ったように跳ね回っていた。
マリアだった。
彼女の自慢だった桃色のふわふわとした髪は泥と藁くずで鳥の巣のようになり、丁寧に手入れされていた爪は丸ごと割れて指先は黒く染まっている。
「うるさいねぇ、新入り! 大声出すヒマがあったら手を動かしな!」
隣で黙々と作業をしていたベテランの農婦が、冷ややかな声で吐き捨てた。
「ジャガイモの芽には毒があるんだ! 丁寧に取り除かないと出荷できないんだよ! あんたがサボった分は、あんたの今日の食費から引かれるんだからね!」
「な、なんで私がこんなことしなきゃいけないのよ! 私は男爵家のお嬢様なのよ!? アウグスト様に愛されて、王宮で贅沢な暮らしをするはずだったの! エレオノーラとかいうあの冷酷な女が、何か卑劣な罠を仕掛けたに決まってるわ! こんなのおかしいわよ!」
マリアは畑の泥の中に膝をつき、地べたを叩いて泣き叫んだ。
だが、周囲の農民たちは誰一人として彼女に同情の視線を向けない。彼らは皆、アスガルド家から正当な賃金を得て真面目に働く人々であり、国家の財政を食いつぶしていた「おめでたいお嬢様」の正体を知っているからだ。
「はいはい、お嬢様ね。いくらお高くとまったって、うちの農場じゃ『一日ジャガイモ五〇キロの芽かき』がノルマだよ。達成できなきゃ、今夜の寝床は豚小屋の隣だからね」
「豚小屋ぁぁぁ!? 嫌ぁぁぁ! 臭いのは嫌! アウグスト様のバカ! 使えない男! 私を助けに来なさいよぉぉぉ!」
マリアの悲痛な叫びが、空しく畑に響き渡っていた。
──
「……フフフ、実に健気な労働風景ね」
私は映像を消し、冷めかけたハーブティーを飲み干した。
「素晴らしいわ、セバスチャン。自分を特別な存在だと信じ込んでいた二人が、今や『一粒のジャガイモ』や『一塊の黒鉛』の重みを身体で学んでいるなんて。感情論ではなく、汗と労働の対価を叩き込む……これこそが最高の社会復帰プログラムだわ」
「お気に召していただけて光栄です、エレオノーラ様。なお、彼らにはさらなる『労働の喜び』を感じていただくため、毎週末に互いの作業効率と返済実績を記載した成績表を送り合うシステムを採用しております」
「まあ! なんて機能的なシステムなの! 『相手の方が楽をしている』とお互いに疑心暗鬼になって、あの薄っぺらな愛の絆がどう変化するか見ものね」
私が愉悦に浸っていると、重厚な扉がノックされ、秘書の女性が入室してきた。
「エレオノーラ様、隣国バロア帝国からの特別全権大使、レイナルド・フォン・バロア殿下が到着されました。応接室でお待ちです」
「あら、噂をすれば『次の顧客』のお見えね」
私は淑女の笑みを深め、ゆっくりと立ち上がった。
──
応接室の扉を開けると、そこにいたのは極めて不快な圧迫感を全身から撒き散らしている男だった。
レイナルド・フォン・バロア。
軍事大国として知られるバロア帝国の第二皇子であり、軍部を仕切る野心家だ。濃紺の軍服に身を包み、胸には無数の勲章を誇らしげに下げている。鋭い鷹のような瞳と引き締まった顔立ちは確かに見栄えがしたが、その口元に浮かぶ露骨な蔑みの笑みがすべてを台無しにしていた。
「やあ、初めましてかな、アスガルド公爵令嬢」
レイナルドは立ち上がりもせず、革張りのソファに深々と腰掛けたまま、脚を組んで私を見下ろした。
「一国の王家を破産させ、自らの手中に収めるとは恐れ入った。だが、女の身で国家という巨大な装置を動かせると思ったら大間違いだ。周辺国がおとなしく黙っているとでも思っていたのかね?




