破産宣告は昼下がりの紅茶とともに
翌朝、私の目覚めはこれ以上ないほど爽快なものだった。
極上のシルクのシーツから身体を起こすと、朝日が私のアスガルド公爵邸の寝室を優しく照らしていた。洗面台で顔を洗い、特製のミントと薔薇のトニックで肌を整える。鏡に映る自分の顔は、昨夜の「悲劇のヒロイン」の悲壮感など微塵もなく、獲物を前にした肉食獣のような健康的な艶に満ちていた。
「お嬢様、本日の朝食でございます」
給仕が運んできたのは、焼き立てのクロワッサンに、特製のハーブバター、新鮮な極上無塩サーモンのソテー、そして摘みたてのイチゴを添えた濃厚なヨーグルトだった。銀のティーポットから注がれるダージリンの香りが、部屋いっぱいに広がる。
「セバスチャン、王宮の様子はどうかしら?」
私はクロワッサンにサ小気味よい音を立ててナイフを入れながら、傍らに控える老執事に問いかけた。セバスチャンは白手袋を嵌めた手を恭しく前で組み、フッと口元を歪めた。
「最高に混乱しておりますよ、お嬢様。本日の午前六時を以て、我がアスガルド商会は王宮への食糧納入を完全に停止いたしました。同時に、王宮に水を供給している上水道の管理権も我が家の傘下企業に移転いたしましたので、現在は『点検中』の名目で止めております」
「まあ、素晴らしいわ。朝の洗顔もできないなんて、王族の方々の繊細なお肌にはさぞかし厳しい試練でしょうね」
「左様にございます。王宮の厨房では、本日の朝食に出すはずだった焼き立てのパンも、スープの材料も一切届かず、調理長が発狂して包丁を投げ出したとか。国王陛下は『我が朝食のブリオッシュはどこだ!』と叫ばれたそうですが、近衛兵が『金貨がないためパン屋が納品を拒否しました』と報告し、その場で泡を吹いて倒れかけたそうでございます」
「お可哀想に。でも、自分の国の国庫に金貨が十二枚しかないことを知らずにブリオッシュを要求するなんて、まさに王族の鑑のような無知ね」
私は優雅に紅茶を一口含んだ。口の中に広がる芳醇な旨味が、今日の「大仕事」へのモチベーションを極限まで高めてくれる。
午前十一時。我がアスガルド公爵家の本邸前には、黒塗りの馬車が数十台、ずらりと列をなしていた。
乗っているのは、我が家が抱える優秀な弁護士軍団、公認会計士の群れ、そして資産価値を瞬時に見抜く鑑定士たち。さらには、法的強制力を執行するための我が公爵家専属の私設騎士団「黒鋼の鉄槌」の面々である。
「お父様、行ってまいりますわ」
書斎で膨大な決算書に目を通していた父、アスガルド公爵が片メガネのフチを指で押し上げながら、私に淡々とした視線を向けた。彼こそが「財務の怪物」と恐れられる男であり、私の冷酷な経済哲学の師でもある。
「エレオノーラ。回収漏れのないようにな。王冠のダイヤモンド一粒、壁の金箔一枚に至るまで、我が家の資産だ。あのおバカな王子に、資本主義の構造というものを骨の髄まで教えてやりなさい」
「ええ、お父様。一銅貨の誤差もなく、きっちり清算してまいります」
私は深々とカーテシーをし、黒塗りの馬車へと乗り込んだ。
──
正午ぴったり。我が回収部隊は、ラングハイム王宮の重厚な鉄門の前に到着した。
いつもなら誇らしげに槍を構えているはずの近衛兵たちは、生気を失った顔で門の前にへたり込んでいた。朝から水も出ず、朝食も与えられず、さらには「今月の給料の支払いは延期される」という噂が王宮内を駆け巡ったため、すでに士気は完全にゼロである。
「開門しなさい。アスガルド公爵家令嬢、エレオノーラ・フォン・アスガルドである。債権者としての正当な権利を行使しに来ました」
私が馬車から降り立ち、凛とした声で宣言すると、兵士たちは逆らう気力すらなく、ガタガタと震えながら重い鉄門を開けた。
王宮の中庭を進む。昨夜までの絢爛豪華な雰囲気は微塵もなく、廊下を行き交う侍女や従者たちは着の身着のままで右往左往していた。
私は大股で玉座の間へと向かう。後ろには、黒いスーツを着た数十人の弁護士と会計士、そして台車を押した回収スタッフがぞろぞろと続いている。まるで巨大なイナゴの群れだ。
ドスン! と玉座の間の観音開きの扉を押し開ける。
そこにいたのは、青ざめた顔で玉座に腰かける国王フレデリック六世、その脇で怒りに顔を真っ赤にしているアウグスト王子、そして彼の後ろでガタガタと震えているマリア、さらには顔色を土気色にした大臣たちだった。
「エレオノーラ! 貴様、何の真似だ!」
アウグストが叫んだ。彼の自慢の金髪はボサボサで、心なしか昨夜着ていた豪華な衣装もシワだらけだった。朝の着替えを手伝う侍女たちが、給与未払いを恐れてストライキを起こしたのだろう。
「これは不敬であるぞ! 王宮の物品納入を止め、水道まで止めるとは何事だ! 貴様、我が王家を謀反に陥れるつもりか!」
国王もまた、絞り出すような声で私を糾弾した。彼の手には、私が昨夜残していった「債務一括返済要求書」が握りしめられ、シワシワに揉みくちゃにされていた。
私はくすりと微笑み、優雅に歩み寄った。
「お言葉ですが、国王陛下、ならびにアウグスト殿下。『謀反』などと穏やかではありませんわね。私はただ、契約に基づき、正当な経済活動を行いに参上しただけでございます」
「契約だと!? このような不当な借金、我が王家は認めん! 第一、四億八千万枚などという途方もない金貨、いつ我が家が借りたというのだ!」
アウグストが唾を飛ばしながら怒鳴る。
私は後ろに控えていた筆頭弁護士に手招きをした。弁護士は無表情のまま、厚さ三十センチはあろうかという分厚い羊皮紙のファイル束をドン、と王の前のテーブルに置いた。
「殿下、お忘れですか? 過去十年間にわたり、王家の歳出赤字を埋めるために我がアスガルド公爵家が融資した実績のすべてでございます。軍備の近代化資金、王宮の改修費用、王族の社交費……そして何より、この三年間で殿下が私的に流用された『交際費』」
私はファイルの中から、特に分厚い数頁を抜き出し、パラパラとめくった。
「マリア様のために買い与えた、隣国の『ペガサスの馬車』金貨二万枚。マリア様の誕生日に贈られた『南洋の黒真珠のネックレス』金貨五万枚。マリア様が『可愛いから』という理由で購入された、王都の一等地にある別荘三棟、金貨十五万枚。……まだまだございますが、お聞きになりますか?」
会場の視線が一斉にマリアへと注がれた。
マリアはヒッと短い悲鳴を上げ、アウグストの背中に隠れようとした。
「な、なによ! アウグスト様が私にプレゼントしてくれたんじゃない! 私、悪くないわ! お金のことなんて知らないもの!」
「ええ、ご存じないでしょうね。お金というものは、空から降ってくるものではなく、誰かが汗水垂らして稼ぐか、あるいは『借金』として台帳に記載されるものなのですから」
私は冷たい視線をマリアに浴びせた。
「アウグスト殿下。あなたが私との婚約を維持している間は、我が公爵家も『将来の国父となるお方への投資』として、これらの無謀な浪費を目をつぶって融資の形で処理しておりました。……ですが、昨夜、あなた様は仰いましたね? 『婚約を白紙撤回する』と」
私は懐から、昨夜アウグスト自身がサインし、国王の御璽が押された婚約破棄の合意書を取り出し、ひらひらと掲げて見せた。
「婚約が破棄された以上、あなた様は我が家にとって『ただの他人』であり、『焦げ付きそうな巨額の債務を抱えたハイリスクな貸出先』でしかありません。そして、こちらがあなた方の署名捺印が入った『国家資産担保条約』でございます」
私はもう一枚の、漆黒の印章が捺された契約書を広げた。
「第十七条第三項。『婚約が王家側の都合により破棄された場合、すべての累積債務は即座に弁済期を迎え、一括返済されなければならない。返済不能の場合、王家の所有する全動産・不動産・徴税権は、直ちにアスガルド公爵家に差し押さえられ、その所有権は移転する』……間違いございませんね?」
「つ、不当だ! そんな契約、騙し討ちだ!」
アウグストが叫ぶ。
「騙し討ち? 失礼ね。この契約書は五年前、あなた様が私との婚約を喜んで受け入れた際に、お父様と国王陛下の間で締結された正式な文書です。国王陛下、ご自身の御璽に見覚えはおありでしょう?」
国王はがたがたと震え、言葉を失っていた。彼は当時、公爵家からの巨額の融資に目が眩み、契約書の細かい条項など読まずに御璽を捺したのだ。まさか自分の息子が、こんな形で婚約を破棄するなど思いもしなかったのだろう。
「さて、時計の針は十二時十五分を回りました。返済期限の正午は過ぎております」
私は静かに手を叩いた。パパン、と乾いた音が玉座の間に響き渡る。
「これより、担保権の強制執行を開始いたします。――皆さん、お仕事の時間ですよ」
その瞬間、私の後ろに控えていた数十人の鑑定士と回収スタッフたちが、一斉に動き出した。
「おい! 何をする! 離せ!」
「その絵画は我が王家の至宝……!」
「ダメです! これは差し押さえ対象です!」




