第四話 ひびの音
老婆が死んで、三日が経った。
ルシアは夢を見た。
暗い水の底にいる夢だ。
全身が何かに包まれていて、動けない。
透明な膜のような何かが、自分の体にぴたりと貼りついている。
その向こうに、ぼんやりした光がある。
光の中に、誰かの顔がある。
エリーナだ。
エリーナがこちらを覗き込んで、何か言っている。
しかし声は聞こえない。
膜が、全部吸収してしまうから。
「エリーナ!」と叫ぼうとしたが、口は開かない。
膜の内側から見えるエリーナの顔が、やがて歪んだ。
顔の輪郭が、ひびのように崩れていく。
皮膚の下に、別の何かが透けて見える。
「——お母さん」
その声だけが、水の底まで届いた。
ルシアは目を覚ました。
息が荒かった。
横に眠る夫のセバスは気づかず、静かに寝息を立てていた。
ルシアは起き上がり、エリーナの部屋を覗いた。
娘は静かに眠っていた。
栗色の髪が枕に広がり、薄緑の目は閉じられ、均整のとれた顔が穏やかに呼吸している。
ルシアはそっと部屋を出た。
しかし扉を閉める直前、娘の首の後ろに、一瞬見えた気がした。
暗がりの中で、白く光るような、細い線が走っているのを。
翌朝、マルタが訪ねてきた。
目が赤く腫れていたが、表情は妙に落ち着いていた。
「いなくなったアランの夢を見たの」
「そう……」
「でも、夢の中のアランが、なんか変だった」
ルシアはコップに水を注ぎながら、「どんなふうに?」と聞いた。
「顔が……なんか、うまく言えないんだけど。
いつものアランじゃない感じで。
なんか、こう……」
マルタは自分の頬を両手で包んだ。
「皮みたいなの。
顔が、皮みたいに見えた」
ルシアの手が止まった。
「……ただの夢よ。気にしないでいいわ」
「そうよね。
夢よね」
二人は沈黙した。
窓から朝の光が入ってくる。
きれいな光だった。
ヴェルナの朝は、いつでもきれいだった。
ベルタが「カルのことで話がある」と言ってきたのは、その夜だった。
ルシアがベルタの家を訪ねると、ベルタは台所のテーブルに両手をついて、何かを凝視していた。
「どうしたの?」
「……見て」
テーブルの上に、小さなものがあった。
かけらのような、薄い白いもの。
「カルが使っていた服から落ちたの。
昨日、洗濯物を整理してたら」
ルシアはかがんで、それを見た。
それは、皮だった。
蛇が脱皮するような、薄い半透明の膜。
ただ、形が、妙だった。
うっすらと見えるその形は……子供の腕の皮膚のような、細かな皺と、小さな毛穴の跡があって。
「これ、カルの……?」
「わからない。
でもカルの服から出てきたのよ」
ベルタは震えながら、顔を上げた。
「これ、なんだろう?すごく、気持ちが悪いの」
ルシアは答えられなかった。
それが何なのか、想像もつかなかった。
「池に、行かない方がいいわよね?」
「池に?」ルシアは静かに聞いた。
「池なんか関係ない。
あの老婆は嘘をついてたのよ。
私たちを混乱させようとして、でたらめを言ったのよ」
ベルタはカルの服から出てきた皮のようなものをゴミ箱に捨てながら、興奮して早口で言った。
「そうよ」ルシアは頷いた。
「そうよね」ベルタも頷いた。
二人はそれ以上、その話をしなかった。




