真ん中にしか立てない男の子
「真ん中にしか立てない男の子」
ロケ先に持ち込んだ小学校の卒業文集のコーナー「~はこんな人!」の項目で僕はこう書かれた。
普段は普通にのんびり生きている自分にしては、なんだかザワザワする言葉。
何だろう……当時は喜んだんだけれど、だんだん違和感が浮かんできた。
文集が配られた1年後の今、僕は今、私立中学校から復学した地元の公立校の授業を休んだロケ先でモヤモヤとしている。
「これがよく言う『皮肉』ってやつかな?」
二つ目のお弁当のそぼろご飯を食べる手を止めて独り言を呟くと、すっかりコンビが板についた外山海音がボソッと答えた。
「それ、ひき肉だよ。皮肉の意味は後でググってみな。もうすぐ撮影だぞ」
「いや、それは流石にわか……」
海音くんはジャケットを羽織ったので、僕も渋々メキシカンハットを被った。
「いつも観てるよ!」
たまに学校に行くとクラスメイトはこう言ってくれる。
みんなは僕を「観ている」かもしれない。でも、僕はみんなを「見る」機会が殆どない。そのことについて海音に聞いたら何て言うんだろう?
っていうかさ。僕はこの世界に入らなかったら、気の置けない相棒のような存在になんて巡り合えたのだろうか?そもそも友達ができただろうか。
「眠そうな顔してるぞ。ケータリング二個も食うなよ。ほら、口にそぼろがついてる」
圭人が僕の口を拭うと、老若問わず女性の声が響く。
「てえてえ!マジで尊い……」
「あの二人が一緒にいると絵になるよね!」
「そのそぼろちょうだーい」
そぼろをファンの女性に持っていこうとしたらマネージャーの関さんに止められた。
「ズレてるなあ、相変わらず!」
ニヤニヤした顔で鉢巻をまくお母さんくらいの女性が大声を出す。鉢巻には、
「懺悔しろ偽善者!白川光」
そう書いてある。「後悔」の「悔」の字があって……ニセヨシモノ……文字の意味が分からない。後で海音くんに聞いてみよう。
撮影が終わり……
「すみません、僕、ちょっといいですか?」
「あ、そうか浅草か」
関さんがいつものようにボソッと言った。
「バレないようにしろよ」
海音とは別のマネージャーさんの車に乗って、浅草演芸ホールに向かう。「師匠」、今日こそまた会えるかな……。
僕は昔から声が大きかった、らしい。らしい、というのは自分では自覚がないからだ。大きな声は、産まれた時からだった。
2002年の1月1日に僕は生まれた。お父さんも、ばあばも、じいじも皆で陣痛のお母さんに声援を送ったらしい。生まれた後は病室でお雑煮を食べたと親戚皆から何度も聞かされた。
僕はその時の写真をみたことがある。お母さんだけお椀を持たず疲労困憊、従兄弟の亮介君が青いユニフォームを着ていた。
そう、お父さんの大好きなサッカー日本代表が日本と韓国で開催されたワールドカップに向けて準備していた年の元旦に、僕は産まれた。
ものすごく大きな声で泣くので、母方の祖母はとても心配したと今も聞いている。6つ上の従姉妹の美希ちゃんからお母さんの実家で「あの時の光にはちょっと引いた」と何回も言われた。
千葉県の市川市で育った僕は、毎日が楽しくて楽しくて仕方なかった。
サッカーをすれば、ドリブル一直線。草野球で17打連続ファールボール。
歌を歌えば機材が壊れるほどの大声。教室でバク転していたら勢い余って机をひっくり返して壊してしまった。
それでも、同級生もチームメイトも野球仲間も、僕のことを受け入れてくれた。
「ドリブルめっちゃ上手いじゃん!光がエースだな」
「歌ってる声、格好いい!ダンスとか習ってみたら?」
それとよく、女子のお友達が誕生日会に僕を呼んでくれた。
「光くん、私の隣」
ぼくの定位置はいつも主役の隣だった。ケーキを二人で持って中央で映った。写真を撮る直前にそっと耳元で、
「大人になったら結婚しようね」
そう言われた。結婚とか、そんなことよく分からないけれど、一緒にいたいと思ってくれる同級生の皆の気持ちが嬉しかった。
でも、小学校も高学年になるにつれてだんだん皆が僕に距離を置くようになった。
「パスを出せ、白川!チームでサッカーしてるんだぞ!」
「また、光が場外ファールボール……もうボール無くなっちゃったよ」
「せんせー、白川くんが踊っててまた給食こぼしました」
女子の誕生会にも呼ばれなくなった。他の高橋君とか、金川さんとか、他にも仲の良い皆が呼ばれているのに僕だけ呼ばれない。
雑巾がけをしている時に、窓の向こうで女子たちの会話が聞こえた。
「光くん呼ばないの?」
「だってさあ、あの子、ちょっと空気読めないじゃん?」
「分かるー」
「悪い子じゃないんだけどね……」
それに、と言って、毎年5月20日に家に呼んでくれた八十田さんがこう呟いた。
「光くんがいると、私が映えない。キラキラしてるから、あの子が全部持って行っちゃう」
僕はバケツに突っ込んでひっくり返してしまった。慌ててやってきた八十田さんたちは笑顔で僕に手を差し伸ばした。
今の話、直接言ってよ。
そう思ったけれど言えなかった。
小学校6年の総合学習は合唱だった。曲は自由に選べて、うちのクラスは『君は薔薇より美しい』。最後のパートを僕が大声でソロ歌唱した。
隣のクラスの音楽の先生からはお気に入りだったので、僕はよく大役を任されていた。
当日。僕の歌唱ばかりが目に(耳に?)ついてしまい他の父兄さんからクレームが来た。
担任の先生は三者面談で苦笑した。
「白川君は既存のスケールに収まらない子ですから。進学先の私立の中学で活躍できますよ」
その2週間前、僕は推薦で私立中学校の進学が決まっていた。
候補で落ちた同じクラスの女子のお母さんに、
「こんな得意不得意が激しい子が推薦なんておこがましい」
と甲高い声で睨まれたことより、お母さんの言葉がショックだった。
「こんな恥ずかしい子でごめんなさい」
お母さん、事を納めるためとはいえ僕のことそんな風に思ってたんだ……。




