第110話:自己喪失感は迎合している証
八剱は大きく背伸びをするとあくびをした。
「ふぁっ……うっーんと。さて〜俺の講義はこれで終わりにしましょうか?」
不安気な顔をしながら璻は八剱に話しかけた
「一つ聞いていいですか?」
「はい、いいっすよ」
璻は神妙な面持ちで八剱に質問をする。
「八剱さんはこんな事を知ってショックだとか思わなかったんですか?」
八剱は璻の質問を聞いた途端、フッと鼻で笑い質問に応える。
「ショックねぇっ…?ないですよ。ショックだと感じて何か現実に変化はあるんすか?」
八剱の言葉はだいぶ冷めて聞こえていた。八剱はまじまじと璻を見ると続けて話し始めた。
「はぁっ…旧石屋がこの世界の社会システムを作り上げ、そこに生まれた方々は物理的な持ち物、お金を持つ事に価値があるとルールを押し付けた。そして人間同士が都合のいいように社会を構築したんですよ?龍後さんがショックと感じているのは自分の中にあるどの感情から来ているんでしょうか?社会システムが自分が考えているのと違ったからショックと受け取っているんでしょうか?」
八剱の問いかけに璻は少し黙ると頭の中で考え始める
……水流士になるまで社会の裏のことなんて全然知らなかった。”そんな社会ではないはず”と自分の中で思い込んでいたのは事実。さらに八剱さんの話を聞いてなぜかわわからないけど”裏切られた”と感情が自分の中で沸々と湧いていた。ただそれが八剱さんと同じ気持ちなんだろうかと質問しただけだけど、これは自分の中にある何の感情と向き合い、気づくべきなんだろうか……
璻はゆっくりと口を開き八剱の問いに素直に応えた
「八剱さんの話を聞いて自分の中で"騙された裏切られた"って…思ったんです。八剱さんも同じ気持ちだったのかなと」
八剱は璻の顔をまじまじ見ながら質問をした。
「そっか…"騙された裏切られた"って思った龍後さんは社会に対して自分が思った以上の期待をしていたんですね?」
八剱の言葉にドキッとした璻はなぜか言葉を返せなかった。八剱は璻が何かを気づいたことが表情で汲み取れたのか次の瞬間ニヤッと笑い璻に偉そうにしながら助言をし始めた。
「経済崩壊をしてから日本人はシステムに迎合し期待し、自分自身で立ち上がる事を怠った。他責にしている奴らは気づいてはいませんが…自分の属している団体、所属会社、学校、チームメイト、塾、趣味の場、ママ友の会合、居住地域、その全て”人生運ゲー”と言って落ち込んでいる連中がいますが、それを選ばなければいけない選択肢を作っているのは全て自分です。それを……まぁ自分の期待値と違っただからショックで落ち込んで動けない?はぁっ?!それは自分の人生を賭けて本気で選択していない証拠。俺はもはや言い訳だとも受け取れるんですよ」
八剱の言葉は容赦なくグサっと璻の胸の奥に刺さる。これがカウンセリングだった場合、依頼主にこの対応をしたら即クレームものだと思う。だがここは環境業務だ。業務内容が違う。璻はなぜ自分がそれを言われているのか?必死に頭の中で考えをあぐねていた。
どうにも八剱に言葉を返そうとするがうまく言葉が出てこない。こんな経験は生まれて初めてだった。
戸惑う璻に対し八剱は続けて質問をした。
「なぜ?龍後さんは自分に期待しないで社会に期待するんですか?」
そう言葉をこぼした八剱は哀しそうな表情だった。
八剱は何かに気づいてほしい璻にはそんな様子に見えていた。
……確かに新卒の際、会社に入社した時から私はこの団体に迎合しなきゃと必死だった。八剱さんに言われた通り自分を押し殺し自分の期待を諦めて生きてきた節はずっと、どこかにあった……
八剱は璻をじっと見つめると助言をする
「いいです?もう拝金主義社会は終わったんです。自分で学んで実践し経験を積むことを恐れないでください。考え行動すれば絶対に自信がつくはずなんすよ。龍後さんの根底にある考え方は母性の使いすぎです。さっき水分子見る時に見えなくなっていた原因は母性だと言いましたが、母性が過剰だと自分の能力を無意識で抑えてしまう。そのことに気づいて欲しいんですよ!」
八剱の熱量が高い言葉に対し璻は頭を使い過ぎたのか少し放心状態になっていた。2人の会話を静かに見守っていた藤宮は八剱と璻の会話に話に割って入った。
「あの八剱くん?熱くなるのはいいですが同期だからって璻さんのことを追い詰めすぎですよ」
八剱はハッと気がつき藤宮の表情を見ると目を丸くしながら申し訳なさそうに謝った。
「あっ…サーセン。やっべ。俺熱くなったらつい……やりすぎちゃって」
藤宮は八剱に言葉を返した。
「まったく…璻さんのトラウマを八剱くんが無意識に掘り起こしたんですよ。見てください。そこの璻さんどうするんです?」
藤宮が指を指した方向に顔を向けた八剱は璻を見た。いつの間にか離れた場所の地面に蹲っていた。八剱は思わずその場で璻に声をかけた。
「りゅっ…龍後さん?」
八剱の問いかけに璻は無視するとボソボソと何か言葉を呟いた。
「ぬっ……ぬう」
落ち込んでいるのか璻の頭がキャパオーバーになったのか?璻の周りがジメジメとし始めると急に頭の上から赤い毒きのこが生え始めた。
藤宮は璻の様子をじっと見つめると八剱に言葉をかける
「璻さんは八剱くんの意図を誤解しているようなのでちゃんと説明してあげてください。璻さんにあなたのことを攻めているわけじゃない。ただその考え方に固執してるよって教えただけですってそう、言えるのは八剱くんだけなんですから。自分の発言は自分で責任を取ってください。それに…仕事する仲間ってとても大事な関係ですからね」
八剱は藤宮の言葉を聞き「はい」と返事を返した。
ゆっくりと璻の元へ近づいた。
「すんません。俺、嘘つくの苦手だから気になったら夢中で言葉にしていました。俺…実を言うとショックとかそういう感情が薄くて。あんまりわからないというか…期待してる感覚とかって正直わかんないんです。全て俺がやりたくて選んでいるんだって思っちゃっていることが大半なんで。だからね?こう…傷つけて言っているとか、そういう意図はなく…ただ純粋に仲間として考え方や意見を龍後さんと共有したいなって」
戸惑う八剱の言葉に璻は頭の上にあったきのこを自分で引っこ抜きその辺に投げ捨てた。璻は急に手を前に伸ばし始めるとヨガの猫のポーズをし始めた。予期せぬ璻の行動に八剱は驚き「えっ?」と思わず声を上げた。
「あの龍後さん?何してるんですか」
璻はゆっくり身体を動かし八剱の顔をちらっと見た。
申し訳なさそうにしている八剱の表情に対し璻は自分が臍を曲げていることが心底馬鹿馬鹿しく感じられた。
……この人は必死に私に伝えようとしている。それなのに落ち込んでる私ってなんなん?……
そう考えると急に立ち上がり八剱に声をかけた
「うっ〜ん。なんか落ち込んでるの飽きたので。それに自分が弱い所を指摘されて凹みましたけど、それって自分の中で見ないふりしてた自覚はあるんです。八剱さんに指摘されてるって事は行動や言動を自分の考えに戻すチャンスだなとそれに……」
璻は言葉を口に出す事を少し躊躇っていると八剱は聞き返した。
「それに?なんですか」
璻はニヤっと笑って応える
「今の時代、集団で生活し集団で行動する世の中です。トラウマを克服しない場合またトラウマが出てくる。そうすると自分の中にある不快感が勝ってその集団、または会社から絶対に出たくなる。でも、その時に自分の中でやらなければならない経験、体験を投げ出し嫌なことから逃げたら、また場所が変わっても同じことを同じシチュエーションで経験するもうそのことは体験済みなんです。後回しを続けてもチャンスを見逃しているのと一緒だから八剱さんみたいに感情で判断しない練習を身につけたらきっと私最強ですよね?」
璻の前向きな言葉を聞き、八剱はなぜか急に笑い出した。
「はははは〜そっ、それで急にヨガやり始めたんですかっ……個性的な考えですね」
八剱は唐突に後ろを振り返り、待機をしている藤宮を見ると手を振った
「藤宮さん〜龍後さんと和解しましたよ〜」
藤宮は頷きながら返事を返した。
「それは良かったです。ともかく早くこっちに帰ってきてください」
璻と八剱は藤宮の元へ歩き出した。歩きながら八剱は璻に語りかける。
「俺、ショックな事や悲しい事があっても人って立ち上がれるって信じてるんです。今の時代、激情に呑まれた人ほど、自分の事を冷静に見れずシステムが出した回答に迎合する人が大半じゃないですか?自分の中で感情を認識し自分で決断し自分で行動する。違ったら別の選択をすればいい。いいとか間違ってるとかなく、そういう人間の生き方が自然だと俺は隠者に所属しているときから思っているんですけどね」
八剱が真面目に語る姿に璻は”人間であり続けることの意義を常日頃から考えている人”ということがなんとなく会話から受け取れた。
璻はニヤッと笑うと八剱に言葉を返した
「やっぱり八剱さんってクソ真面目なんですね。もう一つ称号を与えるなら"クソ優しい"ってのもつけておきます」
八剱は呆れながら璻のボケにふっと笑うとツッコミを入れた
「いや、勝手にそんな称号つけるなし!つか、どっちもクソは余計なんすよ」
どことなく距離があった八剱との会話に少しずつだが打ち解けている感覚がある
年下だが、自分の能力を認め相手も自分も社会すら自分と同じ対等な距離感でいられる。年上だろうが違うと思ったことは物怖じせず指摘ができることは八剱の良さそれがわかった途端、璻はこんな人まだ世の中にいたんだ。そう思うと何故か面白く少しだけワクワクしている自分がいた。
璻はふっと軽く笑いながら八剱に言葉を返した。
「じゃあこれから”クソ”をつけずに言いますね」
璻と八剱は歩きながら藤宮の元へ戻って行った。
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・人生運ゲーとか言っている連中いますがそれを選ばなければいけない選択肢を作っているのは全て自分。
特に運が悪かったとなどを聞くと八剱はよく「運のせいにしてるが、結局自分の実力と才能をその時のタイミングに合わせ努力を積み重ねなかったという選択肢を常日頃から自分で選んだだけ。それをさも運のせいにする。みっともない連中だな」ということを常日頃口にしています。結構合理的な考え方をします。
・母性の使いすぎは自分の能力を無意識で抑えている
母性は柔軟力になりますが母性を自分の根底に置きすぎると常に相手に謙っていなければなりません。
これをやり出すと自分の才能や能力を十分に出せず自己喪失が積み重なります。これを続けると精神系の病気になりやすくなりどうしても他責思考になります。ちなみにネグレクトの育ちの人は母性が強い傾向にあります。
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