事件の発端 七 お断りします
「お断りします」
八花は平身低頭し、ではそういうことでと、もごもご呟きながら腰を上げようとした。
「待て」
ユツギが身を乗り出し、うなるように告げる。
「当人の意向も聞かずに一蹴とは、どういう了見だ」
威圧オーラに頭を押さえつけられて、よろよろと座り直した。
そうだった。このひと、バス停でさっくり息の根を止めようとしてきたんだった。
どうやったら切り抜けられるのこれ。
「ご、ごめんなさい。二次元までなら見て見ぬふりもできますけど、リアルで犯罪なのは無理です。だって小学生ですよ。しかも自分の身内なのに、大人の男のひとにアレやコレやとか、どう考えても無理よりの無理。生理的にも許せません」
「……蒼白な顔で震えているくせに、言いたい放題ではないか」
「いえ、本当に。こればかりは勘弁してください……!」
両手を畳について頭を下げた。
「当人の意向とは言いましても、いえ私も双葉がどうしたいかは双葉自身が決めればいいと考えているのですが、なにぶん幼く世間知らずでして、いきなり重要な判断とそれにともなう責任を負わせるのは酷だと思いますし、ですから自分で自分の将来が決められるよう、少しずつ導いていけたらと心がけているところでありまして――」
「おい、少し落ち着け」
ユツギが呆れ返った顔で片手をかざした。
「お前が何を案じているかは分かる。安心しろ、さすがにあれでは幼すぎる」
あれ。てっきり特殊性癖の持ち主かと思ったのに。
だけど、自称紳士はみんな同じことを言いそうだ。
「でしたら、もう少し説明してもらえませんか。さっきの、何とかの契約というのは?」
「『天地の秤器』だ。簡単に言えば、おれとナギは昔、一つの約束をした」
その聞き慣れない単語を説明する気はないのかな……。
「先ほどお前に返した龍笛だが、実は非常に稀なる宝具でな。所有権を巡り、過去に奴といさかいになったことがあったのだ」
多少の暴力沙汰と協議の末に、ナギが交換条件を持ちかけたそうだ。
ユツギは最終的にその提案をのみ、龍笛を譲った。
そのときナギの出した条件というのが――
「将来、もしも自分に娘が生まれることがあれば、おれの嫁に差し出す、とな」
「本当ですかあ?」
日本昔話かよという人権無視な内容に、我ながら疑わしげな声が出た。
第一、あの日だまりの文鳥みたいなナギさんが暴力沙汰なんて、ちょっと想像できない――と思ったけど、母さんと出会う前の出来事だとしたら、何にも考えずに約束しそうだよな、あの人は。
……やばい。考えれば考えるほど、事実のような気がしてきた。本当にもう、何てことしてくれたんだか。
「ナギの奴め、その娘を、まさか人草の女との間に作るとは思いも寄らなかったが、契約は契約だ」
こちらの非ではないぞというように、ユツギがふんぞり返って腕を組む。
人草、というのはバス停でも聞いた言葉だ。たぶん〝人間〟っていうくらいの意味なんだろうけど、つくづく価値観の相違を感じる。
畳の縁をにらんで必死に考えを巡らせた。
このまま押し切られてはたまらない。
「ええと、つまり双葉を嫁にやる云々の約束は、ナギさんと交わしたわけですよね?」
「いかにも」
「でしたら、まずはナギさんに話をつけてもらえませんか。ちなみに、先ほども言ったように留守ですので、後日、改めておいでください」
よし、時間稼ぎと責任転嫁ができた。ひっそり拳を握っていると、
「それはできん。すでに奴は死んでいる」
……はい?
ユツギが大げさに首を振って溜息をつく。
「おれとて、はじめは奴に履行を迫るつもりだったのだ。だが今一歩、遅かった。駆けつけたときには肉体も魂魄も行方不明で、意思の疎通もできなんだ」
いろいろ言い回しがおかしい。
まるで、身体と魂さえあれば話ができるみたいじゃないか。
「ナギはお前に龍笛を託した。十枝もいない今、双葉どのにはお前以外に身内がいないようだ。双葉どのが幼く、まだ自分で物事の判断が付かんというのなら、つまりお前が保護者なのだろう? だからこうして、お前と話をつけようというのだ」
おれは何か間違っているかと問うように、じっとユツギが見つめてくる。
「――いやいやいや、ちょっと待って」
手のひらを広げて突き出した。
「話を戻していいですか。今、重要な発言がありましたよね。ナギさんが死んだって。どういうことです? どうしてそんな話を知ってるんですか?」
ユツギが、うんざりという態度で髪をかき上げた。
「寄り道ばかりで、ちっとも話がまとまらんではないか」
「だって聞き捨てならないでしょうが!」
「分かった、分かった。少し待っていろ」
ユツギは天井のあたりへ目を向け、「ヒノメ」と呼びかけた。
「はいはい、おそばに控えてございます」
軽快な少女の声が聞こえたと思ったら、宙に紅色の星が現れた。
バス停でユツギを説得し、結果、八花を窒息から救った、あの蛍のような光だ。
「おれは、しゃべり疲れた。こいつに事のあらましを聞かせてやれ」
ヒノメと呼ばれた星は、「ええー?」と面倒くさそうに声を上げた。
「嫌ですよう。障りの出ないようご説明しないといけないのですよね?」
「……お前、さっきは本当におれを振りきって飛んだろう」
ユツギが低い呟きを吐くと、紅の星は急にハキハキしゃべり始めた。
「僭越ながら、わたくし説明係を務めさせていただきます」
そうして何かを描くように泳ぎ回ると、空中に光の軌跡が焼き付いた。
何だか人のシルエットみたいだと思ったとき、残像は本当に人の姿をとり、ふわっと畳に着地した。
「初めまして、八花さま。わたくしは我が君の一の従者、八尋和迩のヒノメと申します」
お見知り置きを、と片足を下げ、小首をかしげるようにしてお辞儀した小柄な人影は、忍者としか言いようのない黒装束をまとっていた。
といっても、袖はノースリーブだし、裾は膝上から十五センチ。フィクション感の満載な、いわゆる『くの一』だ。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだメリハリボディ。かと思えば首から上は中学生じみた童顔で、たちまち年齢が謎になる。
「おい待て。何事だ、その面妖な風体は」
渋い顔をしたユツギに、ヒノメが豊満な胸をぽんと叩く。
「せっかくですから、こちらの風俗を勉強してまいりました。従者といえば隠密! 隠密といえば忍者でございますよ!」
ねっ、と強めに合意を求められ、八花は反射的に頷いてしまった。
少女の一点の曇りもないような笑顔には、何だか従わざるを得ないような圧がある。
「テキパキまいりましょう。まずは、お話の前提としてご理解いただきたい点がいくつかございます」
八花の差し出した座布団に、くノ一装束のヒノメが、きちっと正座した。
「まず一点。我々は、ヒトとは違うコミュニティに属している者です。このコミュニティには厄介な決まり事がございまして、その一つが、ヒトに対して未見となる情報を供与してはならない、というルールです。ルールに抵触しますと、まーいろいろとペナルティやらフルボッコやらをくらうわけです。よって、我々がお話しする一切の事柄には、事実と表現との間に解消しがたい乖離が存在することをあらかじめご了承ください。もちろん、理解に支障をきたさぬよう尽力させていただきますが、要するに、今この時点までに八花さまが見聞きなさったこと、以後に見聞きなさることのすべては、八花さまの理解しうるぎりぎりまで噛み砕かれた比喩のようなものとお考えください。――ここまでは、よろしいですね?」
中学生みたいな顔と声で、息もつかせぬ弾丸トーク。
こくこくと首を縦に動かすほかない。
「ありがとうございます。続けます」
ヒノメが嬉しげに両手を合わせると、大きな胸が、たゆんと弾んだ。
「もう一点。すでにお気づきかと存じますが、こちらに御座すユツギ様は、ヒトではございません。遥か東方の海域を治める神人の一柱、つまり、八花さまがたの言葉で言うところの『神様』のお一人でございまして」
「神様」ぽかんと呟き、また勝手にテレビを見始めた青年に目を向ける。
ユツギが神様? 化け物じゃなくて??
「文句のありそうな顔だな」
爬虫類みたいな金色の目に睨まれて、慌てて手と首を振った。
「いえあの、神様って実在するんだなあって――あ、ひょっとしてクロミミ様ですか!」
不吹村で神様と言えば、守り神である風の神様だ。
オオカゼで家屋を壊したり、難題を出して村人をいじめたり、女性や子どもを『持っていっ』たりする困ったさんとして地元の昔話にも登場する。
おおむね厄介な神様ではあるけれど、古くからの米どころである不吹村の肥沃な土壌は、クロミミ様の祀られている乙女山を源流とした河川がもたらしてくれたものなのだ。
「クロミミだと?」
ユツギが低く呟いた瞬間、その輪郭が、ざわっとうごめいたように見えた。
「よりによって、あの山犬女と一緒にするなどと――」
「す、すみません。失言でした」
食い気味に言って頭を下げた。
あのって何? クロミミ様と知り合い? 仲悪いの?
ていうか、すぐ威圧オーラ出すのやめてくれないかな!
「八花さまのご心痛、お察し申しあげます」
心得た顔でヒノメが小さく耳打ちする。
ちょっとテンション高いけど、いい人みたいだ。
彼女がいなかったらユツギと二人きりだったと思うと、ヒノメさまと呼びたくなる。
「話の腰を折ってごめん。続けて」
ヒノメはにっこり笑って頷いた。
「はい。実は双葉姫のお父上、ここでは恐れ多くもナギさまとお呼びしますが、ナギさまもまたヒトではございません。かつては南方の海域を治める神人の尊き一柱であらせられました」
『旅の人』と呼ばれていた、どこの世界の人とも知れなかったナギ。
人間ではないという話には、何だか、すとんと納得した。
「ナギさまが神人としての立場をお捨てになり、ヒトの世である常世にお移りになったのは九年ほど昔。きっかけは、双葉姫のお母上、十枝さまとの出会いでございました」
思い当たる節があって、うつむくようにして頷いた。
※ ※ ※
ちょうど九年前、小学生のころに、十枝も行方不明になったことがある。
当時は洋裁師として独立し、勤めていた工房を辞めたばかり。少し時間もできたし、心機一転の門出だからと、十枝の発案で母娘水入らずの旅行をしたときの出来事だ。
訪れたのは湾岸の観光地。あちこちで写真を撮り、ご当地B級グルメをつつき合って、楽しい思い出をたくさん作った。そうして旅の締めくくりにと、フェリーで近隣の島々を巡るツアーに参加した。
船に乗ったことがない八花は気が進まなかったが、『度胸試し』と十枝がにんまり笑ってチケットを買った。だから怖いのを我慢して一緒に乗船したのだ。
本来ならば、風光明媚な数時間ばかりの船旅になるはずだった。
けれど、突然の時化とエンジンの故障に見舞われ、風雨の中をボートで救出される事態になってしまう。
混乱の中で十枝と離ればなれになったものの、無事に港へ帰ってこれた。
そうして他の客たちと避難所で待機していたが、皆が次々に家族や友人たちと合流する中、八花は最後まで一人だった。
日没まで待っても、なぜか十枝だけが戻ってこなかったのだ。
※ ※ ※
「このとき十枝さまは海中に転落し、お亡くなりになるはずでした。しかし、強運にも半死半生の状態で、神域、つまり我々の世界に迷いこんでいらっしゃった」
このような迷い人は昔からまま見つかるのだとヒノメは言う。
「そんな十枝さまを発見したのがナギさまです。ナギさまの介抱で十枝さまは快癒し、やがて常世へお戻りになることを決意なさった。それを手助けする形で、ナギさまも一緒に神域をお出になったのでございます」
ヒノメの話を聞きながら、八花は視界が狭くなっていくような錯覚に陥っていた。
そうなのだ。
消息不明だった十枝は、一カ月も経ってから、けろっとした顔で不吹村に帰ってきた。
事故の海域からだいぶ離れた場所で救助されたが、軽い記憶障害を起こして身元も分からずにいたため、親切な人のもとで療養していた、と教えてもらった。
当然のこと村は大騒ぎだ。帰還を祝う宴会が賑やかに行われる中、八花は十枝から、見るからに異分子と分かる綺麗な青年を紹介された。
『実はな、うち再婚することにしてん』
と、ちょっと照れくさそうに付け加えて。




